deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

121・金沢彫刻展

2019-06-17 08:15:00 | Weblog
 ついに自分たちが主催する「第7回金沢彫刻展」の幕が上がる。が、会期を控え、やらなければならないことが山ほどある。まずはもちろん、作品の搬入と展示だ。こいつが大変なんてものじゃない。とてつもない大事業だ。考えてもみてほしい。数トンという重量の石彫群、形や構造の複雑な木彫群、もろく壊れやすい石膏像群、それに加えて、デリケート極まる建築マケット(ミニチュア)群、計140点+平面作品を、市内各所の展覧会場に運び入れ、かっこよく構成し、安定させて設置しなければならないのだ。それも、わずか三日間のうちに!プロもいない、学生だけの手で!
 彫刻科の学生の人数は限られている。ここは3年生だけではなく、後輩も先輩も院生も総出の作業となる。この人員を、各会場に効率よく割り振らなければならない。市役所、市立図書館、NHKビルのエントランス・・・屋内会場は問題ない。石膏の頭像や、ブロンズの小品などが多く、ひとりで運べる作品が多いので、慎重に作業しさえすればいい。等身大の像なども、毛布に包んで数人が周囲につけば抱え上げられる。運搬の際の破損にだけ気をつける。そこを徹底すれば、展示はどうということはない。問題となるのは、野外に設置する作品群だ。これらは、移送自体に困難がある。重機を運ぶタイプの10トントラックと、クレーン付きの中型ユニックを手配してあるが、レンタルの時間は限られている。最小限のピストン輸送ですまさなければ、間に合わない。作品の設置も突貫作業だ。計画は綿密に練ってあるが、うまくいくかどうかはやってみなければわからない。祈るような気持ちで、搬入日を迎える。
 決行当日。心がけもよろしく、空は晴れ上がった。金沢の繁華街のすぐ脇を流れる犀川は、広々とした芝生の河原を両岸にひろげている。ロケーションも最高な緑の河畔は、毎年、彫刻展のメイン会場だ。会の成功は、この野外展示の出来栄えにかかっている。しかし一方、この会場での作業が最も困難を極める。なにしろ、巨大作品のオンパレードなのだ。多くの人手を割き、運営委員会や先輩たちの中でもエース格がそろえられ、待機する。オレもこの会場の担当だ。
 作品の第一便とともに、石彫場のフォークリフトが運ばれてくる。大将がそれに乗り込み、重い石彫作品をトラックの荷台から下ろしていく。マッタニは、現場監督だ。あらかじめ決定されていた設置場所を示し、最終的な位置を決める重要な役割りを担う。この会場は、川の両岸数百メートルを一大展示スペースとする花形の舞台だが、設置作品の大小色合いのバリエーション構成、さらにはその順序や間隔によっても、見栄えは著しく変わってくる。その出来栄え如何で、マッタニの美的センスが露見するとともに、今年の運営委員会の質が問われることになる。ひいてはこの判断は、彫刻科全体の沽券に関わる問題といえる。頼りない委員長をだらしないブレインが取り囲み、あーだ、こーだ、と意見をがなり立て合う。しかし、「これはここ!」と全責任を負う形で裁断を下すのは、マッタニだ。指示が下れば、あとは黙って従うのみ。わらわらと奴隷たちの出番となる。寄ってたかって、作品を動かす。移動と設置は、ひたすら人海戦術の肉体労働なのだ。
 言っておくが、芝生の河原に石の作品を展示する、と言っても、ただポンと置くわけではない。数週間もそのままだと、芝が傷んで枯れてしまうのだ。だいいち、そんな乱暴な設置では、作品が傾いてしまう。そこで、まずは作品の底部に合わせて、剣スコと呼ばれる尖ったスコップで、芝生を切る。芝生は、草の生えた分厚いジュウタンのようなものなので、切り貼りすることができるのだ。こうして切り取った芝生は、後で埋め戻せるように番号札を付け、一ヶ所に保管しておく。さて、芝生を切り取って土がむき出しになった設置場所は、作品を安定して置けるように、水平に整地しなければならない。地面を30センチばかりの深さにまで垂直に掘り進み、穴の底を平らにならした後、設置面積分のブロックを敷き詰める。その上面で水平器をあて、ピタリと中心がきたら、やっと設置準備段階の完了だ。穴のすぐ脇に仮置きされている作品を、フォークリフトか、さらに巨大なものの場合は、クレーンで持ち上げる。ところが、この作業がまた難しい。どの作品も、シンメトリーにできてはいない。複雑な形のものもある。逆に、まん丸球体の作品など、どこに重心を取ればいいのかもわからない。そのバランスを見極めてロープ(ベルト)を渡し、安定させて動かすわけだが、この作業には相当の訓練と経験が必要だ。もちろんこれには、石彫場の練達があたる(彼らとて、最長で三年程度しか経験がないわけだが)。ここで、ちょっと想像してみてほしいのだ。人間の背丈よりも大きく、抱えると後ろに手もまわらないほどの巨石だ。数トンはある。それがヒョウタン型をしていて、ツルツルに磨かれ、横たわっているとする。そいつを垂直に起こし、吊り上げ、正確な位置に下ろさなければならない。果たして、どう作業を進めればいいのだろうか?しかも、絶対に安全に、という大前提がつく。吊っている最中に、少しでもバランスを崩したり、ロープが滑ってずれたりするだけで、作品が落ちたり、クレーンごと倒れたりする可能性がある。ケガ人どころか、死人さえ出かねない(マジで!)。こうした仕事を無事に、しかも正確にやりきるのが、石彫場の連中だ。そのロープ掛けの創造性、作品の移動技術の美しさときたら、ただただ見惚れるばかりだ。石彫場の連中は、こうして学内の尊敬を集めるのだ。彼らはすばらしい。モテはしないが。
 雨がぱらついてきた。午後遅くになると、気温も急激に下がる。金沢の秋は残酷で、容赦がないのだ。作業を急ぐ。夕暮れまでに、とても間に合いそうにない。それでも、みんなで心を一つに働く。スコップを振るう。芝生を、土を、ブロックを運ぶ。叫ぶ、走る、渾身の力で持ち上げる。作品が立ち上がる。安堵の息が漏れる。ガッツポーズが出る。教授陣がくる。やり直しの判断が下る。脱力する・・・彼らは気楽だ。「あれとこれを取り替えよう」「それはあっちに移して」・・・まったく、正論なだけに、かえって歯噛みをしたくなる。それを知っているマッタニは、どれだけ無茶な意見でも、躊躇なく飲む。「ほな、やろか」。まったく偉いやつだ。彼が一言を発すれば、誰もが動く。やつは信頼を置くべき人物に育っている。いろんな意味で、泣けてくる。日が暮れる。両岸が作品で埋まっていく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園