deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

119・青春の海

2019-06-14 20:28:47 | Weblog
 夏になると、ラグビー部のメンバーで海にいく。金沢の盛夏はじとじとの暑さで、グラウンドで練習などしてはいられないのだ。あまりに暑い日には、昼休みに校内放送で「部員集合」の連絡が入る。
「本日のラグビー部の練習は、海で行います」
 キャプテンの独断だ。こうして午後の講義後に待ち合わせ、かき集められたありったけのバイクや車に乗り込んで、権現森の浜に向かう。オレはもちろんカワサキにまたがる。マッタニはモンキーだ。オータのアルトミニには、成田やチカちゃんが相乗りする。すべての座席に尻がおさまったら、出発だ。風情よろしき浅野川を下り、郊外の田園地帯を横切り、30分弱のドライブ。最後の松林を突っ切り、湾岸道路の高架をくぐれば、眼前に海がひらける。まったく、なんていい街なんだ、金沢。
 浜に着くと、さっそく着替えだ。が、海パンではない。みんな野暮なラグビーパンツだ。ひるがえって、女子マネージャーたちの水着は時代を反映し、年々股間の切れ込みが深くなっていく。小麦色の肌に、浮き輪を通した細い腰。これはたまらない。ギラつく太陽、輝く白砂。そして、グラビアから抜け出たような女子やそうでないような女子たち。なんと青春の風景ではないか。日中には粘土をこね、夜にはジムショで背を丸めて封筒を折っている身には、血液が入れ替わるような刺激だ。バンカラ文化のラグビー部では、ウハウハ顔を見せることなど許されないが。
 平日昼間のこの時間、浜に人影は少ない。スペースを独占し、思う存分に暴れることができる。ボールが海に向けて蹴り込まれると、部員はいっせいに波間に飛び込んでいく。わんわん。誰もが犬化している。そんな野生児の中でも、最初にボールをくわえて戻ってくるのは、必ずオータだ。こうなると、他のチームメイトも黙ってはいない。血の気の多さを競うように、わんわん、わんわん・・・際限なくエキサイトしていく。それをマネージャーたちは、バカね男子って、などと言い交わしながらも、きゅんきゅんと遠い目をするのだった、たぶん。
 ケンカ腰のテンションをひと通りやらかしたら、すっかり満足してしまい、あとはのんびりとした雰囲気になる。荒波で鳴らす日本海だが、この浜の水面は穏やかだ。水は透き通り、海底に光の綾が踊っている。その透明度は、海面に肩まで浸かっても、足の指間からこぼれる砂のひと粒ひと粒がくっきりと見えるほどだ。そのまま足の裏をにじらせると、砂の中にころりとした感触がある。足指を器用に操って、そいつをつかみ取る。
「アサリ、獲ったどー」
 その一声で、貝掘り勝負の開始だ。わんわん。部員全員で寄ってたかって、海底をほじくる。横一線に並んで腰を振るその光景は、さながらディスコの野外ホールのようでもある。
 時を同じくして、砂浜では流木の薪が組み上げられている。宴会部長の丸ちゃん先輩が、末端冷え性の女子マネージャーたちのために、焚き火の用意をしているのだ。上背のあるマネージャーたちの間を縫うようにヨチヨチと立ち働く小柄な丸ちゃんは、周囲の女子に指図をしながら、こき使われているのは逆に自分なのだということに気づかない。それでも、不思議とモテている。ちょっとうらやましい、愛すべきキャラクターだ。
「獲った貝は、丸ちゃん先輩とこに持ってきてー」
 マネージャーに言われれば、差し出さざるを得ない。南の島の王様への貢ぎ物だ。焚き火を背にふんぞり返る丸ちゃんの足元に、アサリが山と積み上げられる。丸ちゃんはそのアサリを焼き、側室のような女子マネージャーたちに分け与える。まったくバカバカしくなってくる。マネージャーのみなさまがすっかり満足なさったところで、残った貝は、ようやくオレたち奴隷労働者への日当としてあてがわれる。焚き火にかけられたズタズタの焼き網の上にアサリをのっけると、熱さに悶える貝の合わせ目が開く。そこへすかさず、醤油を回しかける。アッチッチのやつを素手でつかみ、具を歯でほじってチュルンと舌の上に放り込めば、至福のひとときだ。腹が満たされることはないが、今日一日を仲間と過ごした幸せ感が満ちてくる。
 ふと見ると、浜の外れで地元の漁師たちが、家族総出で地引き網を引いている。ようし、とみんなで手伝いにいく。
「いっせーのっ・・・せっ!いっせーのっ・・・せっ!」
 日本最弱に近いところに位置づけられるわが部とはいえ、校内屈指の力自慢たちだ。三十本の強靱な腕力に引かれ、広大に開いた網が上がってくる。波打ち際にまで寄せたところで、かかった魚を一匹一匹と外していく。両手に抱えるほどのタイやヒラメやマグロがピチピチばたばた・・・というわけではない。網にかかっているのは、イワシだ。やつらは、水中で見えないほどの細い網目にエラを絡ませ、身動きが取れないでいるのだ。
「好きなだけ食べまっし」
 労働の報酬だ。この場で食べろ、と言うのだ。漁師さんに、イワシのさばき方を教えてもらう。包丁も必要ない。ビビビビッ・・と小刻みに震えるイワシを左手につかみ、肛門に人差し指を突き入れる。そのままアゴに向けて腹を割くと、ハラワタがこぼれ出てくる。海水でそいつを洗い落とせば、塩味の効いた鮮度抜群の刺身の出来上がり、というわけだ。そいつをそのまま頬張る。
「うまいーっ・・・」
 ・・・と、言ってはみるが、なんとなく残酷で、苦々しい。イワシが、ビビビビッ、を止める瞬間が怖い。断末魔が直に指先に伝わってくる。獲れたてというよりは、死にたてのそいつに歯を立てると、刺身の味というよりは、生き物の筋肉を噛みちぎっている感触だけが残る。刺身は居酒屋で食べるにかぎる。女子マネージャーがひとり、貧血で卒倒している。いい経験であることには間違いないが、生きることの罪悪も同時に勉強させられる。
 帰りは、しょっぱいからだのまま、「三々五々」という居酒屋に踊り込み、カラオケ大宴会だ。この時代のカラオケは、曲目をメニューから選び、カセットの何巻目の何曲目、などと自分で頭出しをしなければならない。きゅるきゅるきゅる・・・巻き戻し音を聞きつつ、イントロが出てくるのを待ち受ける。映像もなく、歌詞カードを目で追いつつ歌う、牧歌的なカラオケだ。これがひどく盛り上がる。合いの手を入れているうちに、マイクの奪い合いがはじまり、肩を組んでの大合唱になだれ込む。たのしいたのしい仲間たちとの時間が過ぎていく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

118・クルミ事件

2019-06-14 08:56:36 | Weblog
 ラグビー部では、いよいよ上級生という立場になり、毎日充実感をもって練習に出ている。彫刻科の1年坊でコータローというイガグリ頭が入部してきたので、部外でも可愛がり、悪い人間に育てようとしているところだ。酒場を連れ歩いたり、酒を持ってお互いの部屋を行き来して酌み交わしたり、と子分のような存在となりつつある。ある日のこと、ふらりとコータローん家に立ち寄ると、本人がいない。この頃の美大生は、アパートに鍵もかけず、いつでも入って先にやっててくれ(酒を)、という雰囲気なので、勝手に上がらせてもらうことにした。床に座り込んでぼんやりとひとり飲みをしていると、テーブル上に網袋に入ったクルミが置いてある。創作活動のモチーフらしいのだが、よし、こいつをアテに飲んでやれ、と思いついた。そうしてクルミを割りはじめたのだ。
 この自伝の中でのオレは、高校時代まではひ弱な画学生としてキャラ描写されてきたが、学生生活(彫刻とラグビー生活と言っていい)も数年を経ると、肉付きと背格好のたたずまいはマイケル・ジョーダンそっくりのムキムキ細マッチョになり、腕相撲では敵なし、なんてことになっている。そんななので、クルミを素手で割ることができるのだオレは。そこでさっそく作業に取りかかったわけだが、実はクルミとは割れるものではなく、砕けるものなのだ。手の平と四指とでプレスをかけると、どれもクシャクシャに潰れてしまう。これでは実とカラが混じって食べられたものではないので、なにか別の方法を考えなければならない。そのときだ、まったくまずいものを見つけたものだ。ふと床を見ると、巨大なカッターが落ちているではないか。美大生の部屋では、巨大なカッターが床に落ちていがちなのだ。チキチキチキ・・・と折り刃が出てくる例のカッターの、ゴツい握りしめタイプのものだ。オレは愚かなことに、ようしこいつで、と考えたのだった。
 想像してみてほしい。左手にクルミを持つとする。クルミのカラには、突端から底部にかけて「ここから割れますよ」というラインが走っている。その溝にカッターの刃を当てる。きみが持っている工作用のカッターより数倍も大きなやつをだ。刃先を突き立て、グリグリとこじる。固い殻は、もちろん切れない。どうにかテコを利用して割りたい。力を込める。すると、カッターの刃先が、つるりと滑るわけだ。あてがわれていた抵抗物を不意に失った刃は、力を加えられるままに、まっすぐに手の平に向かう・・・
 スパッ・・・
 かくて、オレの小指の根元、基礎関節の部分が、パックリといってしまった。斬れた!というよりも、通り過ぎた・・・という感触だ。熱い!という痛覚よりも、涼しい・・・という寒けが残っている。筋肉の切断面を見たことがあるだろうか?あれは、線維の束なのだ。はじめのうち、そこには美しい内部構造がくっきりと見えている。やがて、とろりと熱いものがにじむ。瞬後、鮮血がほとばしった。
「おっ・・・と」
 大声は出ない。代わりに息を飲んだ。痛みよりも、痛恨の方が深い。流血はとめどない。が、指は動く。神経は切れていない。骨まで見えそうだが、好奇心半分に観察している余裕はない。即座にティッシュを握り込み、その左こぶしを高々と上げる。手を上げたのは、患部を心臓よりも高くすれば、位置エネルギーが運動エネルギーに転化することを免れるという「エネルギーの保存則」を考えたからだ。なんと賢い男だろう。上腕の動脈を押さえる。しかし、いつまでもそこで・・・後輩の部屋で、じっとしているわけにはいかない。小指が取れそうなのだ。こんな応急処置でふさがるような傷ではない。高く掲げたこぶしから、ひじへ、そして脇へと血が滴ってくる。部屋を飛び出し、走る。近くに金沢大学医学部の付属病院がある。その救急窓口に、文字どおりに駆け込む。
 ラッキーなことに、当直が外科医だった。すぐに手術が開始された。まあ手術とは言っても、目の前で傷口を縫合してもらう、裁縫のような仕事だが。ムキムキの肉体を手に入れていたとは言え、オレの貧血質は相変わらずで、血まみれの傷口を縫い針が四度も通り過ぎるのを見ていられず、脳が酸欠でクラクラしてくる。手を包帯でぐるぐる巻きにされ、顔を真っ青にしたオレがベッドに倒れこむ頃、コータローは、帰り着いた自室が血の海になっているのを見て、卒倒したにちがいない。「なんじゃあこりゃああ(松田優作)」てなもんだろう。カッターによる猟奇事件が発生した、と勘違いしたにちがいない。悪いことをした。
 後日。抜糸までには相当期間が必要なのだが、縫合手術からわずか数日後に、ラグビーの試合があった。メンバーがちょっきりしかいないわがチームにおいては、欠員を出すわけにはいかない。やむを得ず、強行出場となる。そしてタックルに入った際に、案の定、ぱっくりと傷口が開いてしまった。その後は、左手をゲンコツにしてしのいだのだが、縫い目は完全にほつれている。もういいや、と思い、その場で自分で抜糸をした。あれは単純なステッチなんだね。マネージャーに借りたハサミ一本で、簡単にできた。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園