夏になると、ラグビー部のメンバーで海にいく。金沢の盛夏はじとじとの暑さで、グラウンドで練習などしてはいられないのだ。あまりに暑い日には、昼休みに校内放送で「部員集合」の連絡が入る。
「本日のラグビー部の練習は、海で行います」
キャプテンの独断だ。こうして午後の講義後に待ち合わせ、かき集められたありったけのバイクや車に乗り込んで、権現森の浜に向かう。オレはもちろんカワサキにまたがる。マッタニはモンキーだ。オータのアルトミニには、成田やチカちゃんが相乗りする。すべての座席に尻がおさまったら、出発だ。風情よろしき浅野川を下り、郊外の田園地帯を横切り、30分弱のドライブ。最後の松林を突っ切り、湾岸道路の高架をくぐれば、眼前に海がひらける。まったく、なんていい街なんだ、金沢。
浜に着くと、さっそく着替えだ。が、海パンではない。みんな野暮なラグビーパンツだ。ひるがえって、女子マネージャーたちの水着は時代を反映し、年々股間の切れ込みが深くなっていく。小麦色の肌に、浮き輪を通した細い腰。これはたまらない。ギラつく太陽、輝く白砂。そして、グラビアから抜け出たような女子やそうでないような女子たち。なんと青春の風景ではないか。日中には粘土をこね、夜にはジムショで背を丸めて封筒を折っている身には、血液が入れ替わるような刺激だ。バンカラ文化のラグビー部では、ウハウハ顔を見せることなど許されないが。
平日昼間のこの時間、浜に人影は少ない。スペースを独占し、思う存分に暴れることができる。ボールが海に向けて蹴り込まれると、部員はいっせいに波間に飛び込んでいく。わんわん。誰もが犬化している。そんな野生児の中でも、最初にボールをくわえて戻ってくるのは、必ずオータだ。こうなると、他のチームメイトも黙ってはいない。血の気の多さを競うように、わんわん、わんわん・・・際限なくエキサイトしていく。それをマネージャーたちは、バカね男子って、などと言い交わしながらも、きゅんきゅんと遠い目をするのだった、たぶん。
ケンカ腰のテンションをひと通りやらかしたら、すっかり満足してしまい、あとはのんびりとした雰囲気になる。荒波で鳴らす日本海だが、この浜の水面は穏やかだ。水は透き通り、海底に光の綾が踊っている。その透明度は、海面に肩まで浸かっても、足の指間からこぼれる砂のひと粒ひと粒がくっきりと見えるほどだ。そのまま足の裏をにじらせると、砂の中にころりとした感触がある。足指を器用に操って、そいつをつかみ取る。
「アサリ、獲ったどー」
その一声で、貝掘り勝負の開始だ。わんわん。部員全員で寄ってたかって、海底をほじくる。横一線に並んで腰を振るその光景は、さながらディスコの野外ホールのようでもある。
時を同じくして、砂浜では流木の薪が組み上げられている。宴会部長の丸ちゃん先輩が、末端冷え性の女子マネージャーたちのために、焚き火の用意をしているのだ。上背のあるマネージャーたちの間を縫うようにヨチヨチと立ち働く小柄な丸ちゃんは、周囲の女子に指図をしながら、こき使われているのは逆に自分なのだということに気づかない。それでも、不思議とモテている。ちょっとうらやましい、愛すべきキャラクターだ。
「獲った貝は、丸ちゃん先輩とこに持ってきてー」
マネージャーに言われれば、差し出さざるを得ない。南の島の王様への貢ぎ物だ。焚き火を背にふんぞり返る丸ちゃんの足元に、アサリが山と積み上げられる。丸ちゃんはそのアサリを焼き、側室のような女子マネージャーたちに分け与える。まったくバカバカしくなってくる。マネージャーのみなさまがすっかり満足なさったところで、残った貝は、ようやくオレたち奴隷労働者への日当としてあてがわれる。焚き火にかけられたズタズタの焼き網の上にアサリをのっけると、熱さに悶える貝の合わせ目が開く。そこへすかさず、醤油を回しかける。アッチッチのやつを素手でつかみ、具を歯でほじってチュルンと舌の上に放り込めば、至福のひとときだ。腹が満たされることはないが、今日一日を仲間と過ごした幸せ感が満ちてくる。
ふと見ると、浜の外れで地元の漁師たちが、家族総出で地引き網を引いている。ようし、とみんなで手伝いにいく。
「いっせーのっ・・・せっ!いっせーのっ・・・せっ!」
日本最弱に近いところに位置づけられるわが部とはいえ、校内屈指の力自慢たちだ。三十本の強靱な腕力に引かれ、広大に開いた網が上がってくる。波打ち際にまで寄せたところで、かかった魚を一匹一匹と外していく。両手に抱えるほどのタイやヒラメやマグロがピチピチばたばた・・・というわけではない。網にかかっているのは、イワシだ。やつらは、水中で見えないほどの細い網目にエラを絡ませ、身動きが取れないでいるのだ。
「好きなだけ食べまっし」
労働の報酬だ。この場で食べろ、と言うのだ。漁師さんに、イワシのさばき方を教えてもらう。包丁も必要ない。ビビビビッ・・と小刻みに震えるイワシを左手につかみ、肛門に人差し指を突き入れる。そのままアゴに向けて腹を割くと、ハラワタがこぼれ出てくる。海水でそいつを洗い落とせば、塩味の効いた鮮度抜群の刺身の出来上がり、というわけだ。そいつをそのまま頬張る。
「うまいーっ・・・」
・・・と、言ってはみるが、なんとなく残酷で、苦々しい。イワシが、ビビビビッ、を止める瞬間が怖い。断末魔が直に指先に伝わってくる。獲れたてというよりは、死にたてのそいつに歯を立てると、刺身の味というよりは、生き物の筋肉を噛みちぎっている感触だけが残る。刺身は居酒屋で食べるにかぎる。女子マネージャーがひとり、貧血で卒倒している。いい経験であることには間違いないが、生きることの罪悪も同時に勉強させられる。
帰りは、しょっぱいからだのまま、「三々五々」という居酒屋に踊り込み、カラオケ大宴会だ。この時代のカラオケは、曲目をメニューから選び、カセットの何巻目の何曲目、などと自分で頭出しをしなければならない。きゅるきゅるきゅる・・・巻き戻し音を聞きつつ、イントロが出てくるのを待ち受ける。映像もなく、歌詞カードを目で追いつつ歌う、牧歌的なカラオケだ。これがひどく盛り上がる。合いの手を入れているうちに、マイクの奪い合いがはじまり、肩を組んでの大合唱になだれ込む。たのしいたのしい仲間たちとの時間が過ぎていく。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
「本日のラグビー部の練習は、海で行います」
キャプテンの独断だ。こうして午後の講義後に待ち合わせ、かき集められたありったけのバイクや車に乗り込んで、権現森の浜に向かう。オレはもちろんカワサキにまたがる。マッタニはモンキーだ。オータのアルトミニには、成田やチカちゃんが相乗りする。すべての座席に尻がおさまったら、出発だ。風情よろしき浅野川を下り、郊外の田園地帯を横切り、30分弱のドライブ。最後の松林を突っ切り、湾岸道路の高架をくぐれば、眼前に海がひらける。まったく、なんていい街なんだ、金沢。
浜に着くと、さっそく着替えだ。が、海パンではない。みんな野暮なラグビーパンツだ。ひるがえって、女子マネージャーたちの水着は時代を反映し、年々股間の切れ込みが深くなっていく。小麦色の肌に、浮き輪を通した細い腰。これはたまらない。ギラつく太陽、輝く白砂。そして、グラビアから抜け出たような女子やそうでないような女子たち。なんと青春の風景ではないか。日中には粘土をこね、夜にはジムショで背を丸めて封筒を折っている身には、血液が入れ替わるような刺激だ。バンカラ文化のラグビー部では、ウハウハ顔を見せることなど許されないが。
平日昼間のこの時間、浜に人影は少ない。スペースを独占し、思う存分に暴れることができる。ボールが海に向けて蹴り込まれると、部員はいっせいに波間に飛び込んでいく。わんわん。誰もが犬化している。そんな野生児の中でも、最初にボールをくわえて戻ってくるのは、必ずオータだ。こうなると、他のチームメイトも黙ってはいない。血の気の多さを競うように、わんわん、わんわん・・・際限なくエキサイトしていく。それをマネージャーたちは、バカね男子って、などと言い交わしながらも、きゅんきゅんと遠い目をするのだった、たぶん。
ケンカ腰のテンションをひと通りやらかしたら、すっかり満足してしまい、あとはのんびりとした雰囲気になる。荒波で鳴らす日本海だが、この浜の水面は穏やかだ。水は透き通り、海底に光の綾が踊っている。その透明度は、海面に肩まで浸かっても、足の指間からこぼれる砂のひと粒ひと粒がくっきりと見えるほどだ。そのまま足の裏をにじらせると、砂の中にころりとした感触がある。足指を器用に操って、そいつをつかみ取る。
「アサリ、獲ったどー」
その一声で、貝掘り勝負の開始だ。わんわん。部員全員で寄ってたかって、海底をほじくる。横一線に並んで腰を振るその光景は、さながらディスコの野外ホールのようでもある。
時を同じくして、砂浜では流木の薪が組み上げられている。宴会部長の丸ちゃん先輩が、末端冷え性の女子マネージャーたちのために、焚き火の用意をしているのだ。上背のあるマネージャーたちの間を縫うようにヨチヨチと立ち働く小柄な丸ちゃんは、周囲の女子に指図をしながら、こき使われているのは逆に自分なのだということに気づかない。それでも、不思議とモテている。ちょっとうらやましい、愛すべきキャラクターだ。
「獲った貝は、丸ちゃん先輩とこに持ってきてー」
マネージャーに言われれば、差し出さざるを得ない。南の島の王様への貢ぎ物だ。焚き火を背にふんぞり返る丸ちゃんの足元に、アサリが山と積み上げられる。丸ちゃんはそのアサリを焼き、側室のような女子マネージャーたちに分け与える。まったくバカバカしくなってくる。マネージャーのみなさまがすっかり満足なさったところで、残った貝は、ようやくオレたち奴隷労働者への日当としてあてがわれる。焚き火にかけられたズタズタの焼き網の上にアサリをのっけると、熱さに悶える貝の合わせ目が開く。そこへすかさず、醤油を回しかける。アッチッチのやつを素手でつかみ、具を歯でほじってチュルンと舌の上に放り込めば、至福のひとときだ。腹が満たされることはないが、今日一日を仲間と過ごした幸せ感が満ちてくる。
ふと見ると、浜の外れで地元の漁師たちが、家族総出で地引き網を引いている。ようし、とみんなで手伝いにいく。
「いっせーのっ・・・せっ!いっせーのっ・・・せっ!」
日本最弱に近いところに位置づけられるわが部とはいえ、校内屈指の力自慢たちだ。三十本の強靱な腕力に引かれ、広大に開いた網が上がってくる。波打ち際にまで寄せたところで、かかった魚を一匹一匹と外していく。両手に抱えるほどのタイやヒラメやマグロがピチピチばたばた・・・というわけではない。網にかかっているのは、イワシだ。やつらは、水中で見えないほどの細い網目にエラを絡ませ、身動きが取れないでいるのだ。
「好きなだけ食べまっし」
労働の報酬だ。この場で食べろ、と言うのだ。漁師さんに、イワシのさばき方を教えてもらう。包丁も必要ない。ビビビビッ・・と小刻みに震えるイワシを左手につかみ、肛門に人差し指を突き入れる。そのままアゴに向けて腹を割くと、ハラワタがこぼれ出てくる。海水でそいつを洗い落とせば、塩味の効いた鮮度抜群の刺身の出来上がり、というわけだ。そいつをそのまま頬張る。
「うまいーっ・・・」
・・・と、言ってはみるが、なんとなく残酷で、苦々しい。イワシが、ビビビビッ、を止める瞬間が怖い。断末魔が直に指先に伝わってくる。獲れたてというよりは、死にたてのそいつに歯を立てると、刺身の味というよりは、生き物の筋肉を噛みちぎっている感触だけが残る。刺身は居酒屋で食べるにかぎる。女子マネージャーがひとり、貧血で卒倒している。いい経験であることには間違いないが、生きることの罪悪も同時に勉強させられる。
帰りは、しょっぱいからだのまま、「三々五々」という居酒屋に踊り込み、カラオケ大宴会だ。この時代のカラオケは、曲目をメニューから選び、カセットの何巻目の何曲目、などと自分で頭出しをしなければならない。きゅるきゅるきゅる・・・巻き戻し音を聞きつつ、イントロが出てくるのを待ち受ける。映像もなく、歌詞カードを目で追いつつ歌う、牧歌的なカラオケだ。これがひどく盛り上がる。合いの手を入れているうちに、マイクの奪い合いがはじまり、肩を組んでの大合唱になだれ込む。たのしいたのしい仲間たちとの時間が過ぎていく。
つづく
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園