deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

125・コツコツ

2019-06-22 17:32:28 | Weblog
 毎日、コツコツと・・・本当の意味で、コツコツと、ノミとゲンノウを手に、巨石と格闘している。垂直に起こした石は、180センチあるオレの背丈よりも高い。日本酒の一升瓶で桐箱入りのものがあるが、ちょうどあの箱のような形をしている。そんなノッポの巨石の半ばあたりに、くびれを刻んでいく。長い長いウエストを、細く細く彫り込んでいくのだ。胴部が砂時計のように削げていくにしたがって、相対的に上半身前面のボインバストと下半身バックのプリプリヒップが、ぱあーんっ!と飛び出して見えてくる。マイナスにえぐれた部分は、プラス部分のボリュームを際立たせるのだ。ちょっとずつちょっとずつ、まさしくコツコツと、ノミを打ち込む。石は、少しずつ少しずつ形を変えていく。こうしてプロポーションを見ながら、局所をつつき倒していくうちに、徐々に全体像が姿を現してくる。仕事の成果が見えれば、意欲は再びみなぎり、作業の手にも力がこもる。カッターで切れ目を入れ、石ノミでハツる。サンダーの石粉にまみれながら、ゲンノウを数千回も振り下ろす。一日中、こんなことをしている。おかげで、オレの肩には異様な筋肉が付き、上腕は風船のように膨らみ、腹筋はチョコレートのように割れ、まるでジュニアヘビー級の新米プロレスラーのようになってきた。院生氏の予言通りに、鼻毛も黒々と伸びている。進化だ。床屋にもいかずにほったらかしの長髪をボリボリと掻きむしると、フケの代わりに石クズがバラバラと落ちる。そんな粉塵を総身に浴びた真っ白な姿でも、平気で学食に入っていける。お行儀がよかった画学生の、明らかな変化だ。ここまで開き直ると、不思議な万能感に包まれる。ついにオレは、怪人になったらしい。すなわち、石彫場の住人に。
 夕暮れ。竹藪の影の石積みに腰掛け、作品の出来栄えを見る。なかなかいい。一日の仕事量は、きちんと作品の量感に反映されている。その代償に、からだは疲れ果てている。いつもいつもへとへとだ。学食で、ハシを持つ手が上がらないほどなのだ。このまま横になれば、いつでも気絶できそうだ。ところが、ここからさらにラグビー部の練習に向かうのだ。義務感ではない。まったく無垢な意欲だ。この熱量の源泉とは、いったいなんなのだろう?
「グランドいこうぜ」
 同じ石彫場のマッタニに声を掛ける。やつはすでに親分格だ。屋内の一等地に、必要なだけの面積を与えられている。ところが、やつの作品にはキョトンとさせられる。いや、正確には、その仕事っぷりには、と言おうか。その作業工程は、まったく異端と言うほかはない。
 マッタニの買い込んだ石は、オレのものよりもさらにでかい。3メートルを超すようなものだ。が、ボリューム感はない。平たく、ひたすら長い。その長大で真っ白な大理石が、石彫部屋中央に長々と横たわっている。やつはこいつを、毎日毎日、こつりこつりと、小さな耳かきのようなノミで彫っている。ガツンガツンと豪快にゲンノウを振り回しているオレに言わせたら、そのノミ使いは、まるで石の上っ面をくすぐっているように見える。疲れているのかも知れない。それとも、やる気を失ったのだろうか?うっかりと大きすぎる石を買ってしまい、もはや完成をあきらめたのだ・・・周囲からは陰口が聞こえてくる。教授たちも呆れている。しかし、マッタニ本人はどこ吹く風。あの粗暴で横着な性格をどこに追いやったのか、石の目に丁寧に耳かきを・・・じゃなくて、小さなノミを立て、愚直に、丹念に、少しずつ少しずつ、刻み跡を進めていく。これぞまさしく、コツコツ、だ。その背中は、ほとんど手芸をする女子のそれだ。やがて大理石が目に見えてやせ細ってきた頃、やつは新たなキョトンを周囲に提供した。今度は、なんと紙ヤスリを持ち出してきたのだ。それで石の表面をカシカシと削っていこうというのだ。カシカシ、カシカシ、カシカシ・・・頭がおかしくなったのだろうか?最終的になにができるのか、誰にも想像がつかない。そんな石彫のプロセスなど、聞いたこともないのだから。
「ヒミツや」
 マッタニは、いつものニヤケ顔をさらにニヤケさせる。
「できてからのおたのしみやねん」
 ニヤニヤ、にたにた。しかし、そのほっそいメェの奥には、執念の炎がひらめいている。恐ろしや。
「さ、練習いくで」
「おう」
 グラウンドにいちばんに顔を出すのは、必ずオレかマッタニかのどちらかだ。あるいは両方か。ラグビー競技の細部が理解できず、最もボール扱いのヘタなこのふたりだが、どういうわけか、練習が大好きなのだ。そしてラグビー部の空気が。そこで、誰よりも早出の練習となる。
 ふたりで向き合い、手持ち無沙汰にボールの蹴りっこをはじめる。そのうちに、ようやく部員が集まりはじめる。油絵科の連中は、絵の具まみれの顔を洗ってもこない。デザイン科の面々は、提出する課題のせいでまともに眠っていない。彫刻科の連中は、意味なくむっすり傲然と現れる。誰もが制作でクタクタだ。それでも、この時間になるといそいそとやってくる。こうして集まった数少ないメンバーで、ダラダラと練習がはじまる。しゃべりながら、笑いながら。こうしてお互いの間をボールが行き来するだけで、たのしい。
 マネージャーがベンチに集まりはじめ、女同士の秘密会議をはじめている。彼女たちは、ここになにをしにきているのだろう?自分たちでもはっきりとはわかっていないにちがいない。選手そっちのけに、おしゃべりに花を咲かせている。そんな彼女たちだが、ふとわれに帰り、グラウンドの方を見ることもある。彼女たちがグラウンド上に見るものは、救いがないほどのヘタクソなボールのやり取りだ。しかし、見つめる男たちの誰もが、ボールを追う目を輝かせている。それを見てマネージャーたちは、胸の奥をきゅんきゅんさせてしまう。そこは間違いない。彼女たちは、救急手当ての方法も、テーピングの巻き方も知らない。ましてや、ラグビーのルールを知っているわけでもない。ただ「バカなひとたちの見物」と、おしゃべりと、大声を張り上げることが目的でやってくる。しかし、そここそが重要だ。バカな男子は、ベンチ脇にヤカンを持った女子がいてくれるだけで、力をみなぎらせることができるのだ。しかもたまに彼女たちは、足元に転がったボールを拾ってくれる。そして投げ返してくれる。なんとすばらしい青春の1ページではないか。
「がんばってー」
「はしれー」
「たおせー」
 黄色い歓声(どやし声?)がはじける。そんな声に促されて、男たちは走れるのだ。グラウンドが夕闇に沈んでも、ぶつかり合う。校舎の窓の明かりを頼りに、まだボールを追いつづける。なんとなく、終われない。終わりたくない。卒業が迫っている。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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