中野ブロードウェイ。
上層階は、いつぞやの都知事も住まったという、当時の億ションの走りであり、その最上部には緊急時のヘリポートをも備える。
対して地下から4階までは小さく仕切られた小部屋にアニオタやら古着、古道具、なにやら怪しい食品から4席しかないカレー屋、8連ソフトなどなどなど。
まるで手塚治虫の予言した未来図である。
陽の当たる上層階に住まう裕福な人々、対して陽の当たらない下層部にうごめく貧民層。そんなデカダンな様相を呈しているのだ。

その下層部にある一軒の天ぷら屋、住友は実は前述の故都知事も通った店らしい。のだが
ま、そんなコトはどうでも良い。下層部にカテゴライズされるであろう自分は、梅雨も開けようかという7月の半ば、路麺巡りだけではどうにも叶わない旬の穴子天丼を食べにやって来たのだ。

先ずは冷や酒(常温)を。そしてなにかひとつばかし。。
ん?下から六番目。聞き慣れた言葉に、聞き慣れない語尾がついてるなw それにしよう。

酒とげそ煮120。
何だいこれは。すてきしぎでないの?
どうやら注文毎にさっと煮てる様なんだけど、この濃汁にたゆる白肌の御御足。実に艶かしい。そんな思うのはロメオタだけなのかしら?(笑)

と同時に齧ればこの戯れるが如き食感。うまいまずいとは舌だけで感じるものではなかった。口内で愉しむという快楽。その巾。その粋。

程なくして現れた穴子天丼690。
実は、げそと戯れながらも、ご主人が穴子に目打ちしていたのを見ていたのよ。
そして揚げた天ぷらをジュホっと丼タレに潜らせる所作。

駿河台のホテル天ぷらや門仲のオブジェ天ぷら。ソレもいいけどコレもいい。
手塚治虫の描いた日の当たらないココには江戸の立ち食いからの流れを汲む大衆天ぷらがあるのだ。
上層階は、いつぞやの都知事も住まったという、当時の億ションの走りであり、その最上部には緊急時のヘリポートをも備える。
対して地下から4階までは小さく仕切られた小部屋にアニオタやら古着、古道具、なにやら怪しい食品から4席しかないカレー屋、8連ソフトなどなどなど。
まるで手塚治虫の予言した未来図である。
陽の当たる上層階に住まう裕福な人々、対して陽の当たらない下層部にうごめく貧民層。そんなデカダンな様相を呈しているのだ。

その下層部にある一軒の天ぷら屋、住友は実は前述の故都知事も通った店らしい。のだが
ま、そんなコトはどうでも良い。下層部にカテゴライズされるであろう自分は、梅雨も開けようかという7月の半ば、路麺巡りだけではどうにも叶わない旬の穴子天丼を食べにやって来たのだ。

先ずは冷や酒(常温)を。そしてなにかひとつばかし。。
ん?下から六番目。聞き慣れた言葉に、聞き慣れない語尾がついてるなw それにしよう。

酒とげそ煮120。
何だいこれは。すてきしぎでないの?
どうやら注文毎にさっと煮てる様なんだけど、この濃汁にたゆる白肌の御御足。実に艶かしい。そんな思うのはロメオタだけなのかしら?(笑)

と同時に齧ればこの戯れるが如き食感。うまいまずいとは舌だけで感じるものではなかった。口内で愉しむという快楽。その巾。その粋。

程なくして現れた穴子天丼690。
実は、げそと戯れながらも、ご主人が穴子に目打ちしていたのを見ていたのよ。
そして揚げた天ぷらをジュホっと丼タレに潜らせる所作。

駿河台のホテル天ぷらや門仲のオブジェ天ぷら。ソレもいいけどコレもいい。
手塚治虫の描いた日の当たらないココには江戸の立ち食いからの流れを汲む大衆天ぷらがあるのだ。
どぶろくはもうないけど...
ありましたねえ(笑)
好味屋も隣の肉屋も夕方セールに行きたいいいい