DK大衆食の旅3

路麺好きがそんな感じで巡る大衆食の旅。

大善寿し@両国

2018年05月28日 | その他
ワンコインでどう寿司を美味しく食べさせるコトができるか。
そんな難しい命題にトライしてる店が、このブログでも何度か登場してる。

テイクアウトであれば、思う店がいくつかある。が、やはり店内で食べさせる店とあっては、今やもう諦めざるを得ない時代なのかもしれない。と内心思っていたのだが。



それは、たまたま気になっていたお寿司屋さんに入り、ふと壁を目にした時のコトである。



貼り紙の左上。五色丼500。表には出ていなかったメヌーである。
実は、五色丼お願いします。と言うまでにはちょっと躊躇があった。上記の様にも感じていたし、店に入るまで通常のちらしを頼もうとしていたから。



さてどうか。
ミニサラダと粉茶が供される。なんとはないサラダだが、何気なくうまい。そして粉茶がいい。



大将が徐ろに自分の五色丼に取り掛かる姿。テンポのよい所作にぼんやりいい予感。



そして届いた五色丼。イイ。
ねぎとろ、白身、とびっこ、ひきわり納豆にゲソ。そこに鶉の黄身と青海苔。
いただきますと呟いて生海苔の味噌汁をひと口啜る。あ、うまい。

それだけではない。



ぷりりとした白身からはネタの鮮度の良さが、柔らかく火の入ったゲソからは仕事の確かさが伝わった。

そして何より全体のバランスがすこぶる良い。
それほど高価な食材を使わずとも、500でどううまく食べてもらえるか、を真剣に考えたバランス。心意気がぐいぐい伝わる。素晴らしい。

あっという間に夢中で平らげ、ご馳走さま!



と500玉を奥さんに渡すと、ありがとうございます。はいどうぞ。と名店の証をいただきました(笑)

店を後にして思う。五色丼をお願いして良かったなと。次回以降、にぎりやちらしを頼むのも楽しみになったのだから。

500玉一枚の裏に潜む市井のプロの心意気。
それはワンコインという食に対する鮮やかな解答であった。




GOFUKU ゴフク@砂町銀座

2018年05月22日 | 弁当・惣菜・デリカ
砂銀はメインストリートもいいけど、ちょいと脇道に入ってみるとちょいと面白い店があったりする。



昨年末にできたこちら。
谷中のひみつ堂出身のご主人が始められたかき氷の店。などと説明すると、俄かに色めき立つ行列愛好家もいるとは思うがw



このブログで取り上げるというコトは、当然そこではない(笑)



焼きそば、いもフライ。
北関東を旅する自分には馴染み深いワードがなぜか存在しているからなのである。



しかも焼きそばは二度蒸しのポテト入りだという。
もうこれは偶然ではないだろう。

いもフライをテイクアウトでお願いしながら、ご主人にちょっと話を聞いてみた。

もしや佐野辺りのご出身なんですか?

よくご存知ですね。佐野はお店を出す前に修行に行きました。出身は北海道なんです。
じゃがいもも氷も子供の頃から親しんできましたから扱いには自信ありますよ(笑)



なるほどイイ。
そしてたしかにうまいいもフライだ。いろいろ工夫したというタレも、大きさも、火の通り加減も申し分ない。

そして何より、こういった北関東文化の使い方があるコトに、なんだか嬉しい心持ちになった。

今度は焼きそばも食べてみよう。いや、かき氷もいただこうかしら。

佐野から砂町銀座までの距離、90㌔。
北海道から砂町銀座までの距離、1000㌔。

そう思わせるひたむきないい店が、下町商店街にできていたのであった。




米世本店@横浜 曙町

2018年05月21日 | 菓子・甘味








久々に甘納豆を買う。横浜橋商店街から曙町に入った辺りにあった米世。広い間口の立派なお店。
甘納豆って別に安くはないからねえ、とおそるおそるケースを覗くと、お好み500を発見してひと安心(笑)

思えば生まれて初めて買い求めた甘納豆が蒲田の谷口屋。あん時ゃ感動したなー(笑)

しっとりぬんめりな内側と、じょりとした外側を、口の中でひとつのものとして完成させる世界観があった。

そのじょりが今回少し足んない気がしちゃったんだよね。うまいはうまいんだけどね。




万俵@門前仲町

2018年05月21日 | 大衆酒場・角打





















3月の末のコト。昼から家族宴会を設定せい!とのことで久々の万俵へ。

こちらのキラーアイテム寿司5貫500えんに子供らが食いついての訪問であったが、なにやら酢飯が妙に甘くてそこは不完全燃焼^^;
ま、でもピザやゲソもあったり季節の独活があったりと、ファミリーでもおkな昼から居酒屋てのは何気に貴重なワケで。

もつ焼きテイクアウトで桜咲く公園の二次会もキメて、緩やかな昼下がりのひとときを過ごせたのであった。。。あ、ニュー浅草って手もあったかw






鈴家@市川

2018年05月20日 | そばうどん
一由、一◯、そして六文神田須田町
次男が完全にげそにハマってしまう。



となれば、避けられぬ道。



市川の澄み渡った湖に浮かぶという



げそアイランドへようこそ(笑)



おとーさん、ココの汁黒くないよ?!

そーそーそー。
ひとつとして同じ味の路麺はないのだよ。



なーんてワケ知り顔しつつ、5滴ほどこやつを垂らした温汁が、自分的にベリーナイスであるコトを今回初めて知ったりしてw



そして定例となったげそ土産(笑)
毎度こっそりオマケを忍ばせてくれるご主人、いつもありがとう存じますー



けっこー前に買って微妙に開けられないでいた千葉限定のワンカップ。



そーゆーコトじゃないコトは重々承知ながら合わせてみましたw
イヤ違うけどイイよ~ (・ω・)ノ的な(笑)




たいあん@砂町銀座

2018年05月20日 | 菓子・甘味
実はワタクシ、砂銀にステキ熟女3人組の知り合いがおりましてね(笑)
砂銀にやってきた時は手土産を商店街で選んでは挨拶に行くのである。

前回は次男が選んだマムシドリンク(意味はわかってない)を持参したトコロ、あらーん。私達にはもう必要ないのよーんウフフ。と言われちまいましてw

さて今回どーすっか。と商店街を歩いていると、



あら。新大橋のたいあんじゃないの。



お兄さんおんなじ方だ。
支店出したんですか?と訊くと、なんでも立ち退きでこちらに移転してきたそう。
水天宮→新大橋→砂銀。東方見聞録かw



でもココは人通りがあるから、売れても売れなくても寂しくなくていいですよ!だって(笑)

そのなんか明るい感じが良かったのだ。



塩あんこを3つ。手土産に。
ココのたいやきはなかなかうまいからいいんじゃないかな。
でも元々は水天宮でたいあん。。
もう必要ないのよーん。とは言わないよなきっと(笑)





かたばみ精肉店@戸越

2018年05月19日 | 弁当・惣菜・デリカ









メンコロの旅。なんとなーく見えてきたものがある。
それはメンコロの中にもオールドスクールな一群があるというコト。

それらは凡そ扁平で、都心の小学校の極狭な校庭に作られた80mトラックみたいな型をしてる。
衣は細かめのパン粉であるコトが多くて、油ぎれがよく冷めてもちゃんとうまい。
そして中身はちょっと粘りがあるというか、ほっくほくー!とかジューシー!というよりは、ぺとーんとかでーんとかいった、なんとなくどっしり構えた面持ち。

ゆで麺の昔ながらの立ち食いそばにも似た、共通した様式美みたいなものがメンコロにも存在したのだ。

横須賀に、川越に、下高井戸。そして戸越銀座にも。

自分の巡ってきた限り、それらはどこも人気店であった。
もちろん、かつてはもっとたくさん存在した中から、平成の世も潜り抜けてきた精鋭たちなのだから、当然とも言えるワケだけれど。

でも。メンコロの世界も多様化し、新たな商品が次々に話題になってきた中で、ひとつの様式が継承され、その町で人気であるコトに言い知れぬすばらしさを感じる。

今回、達人にオススメされた戸越銀座の精肉店。
古くから営まれている、来客の途切れない人気店であったが、ココで出会ったメンコロがこれまたしっかりとそのタイプであったコトに、ひとつの確信を得たというワケ。

その起源は?とか、他には?はじっくり見ていくとしよう。大衆食の旅はすぐに答えを見出せるものでは到底ないのだから。




まことや@御茶ノ水

2018年05月19日 | 大衆パン
こちらをあとにして
次男は言うのである

お兄ちゃんにお土産買ってこうよ。

二人で出かけた時に
次男がいつもそう言うのはワケがある



ニコライ堂の坂を登って
聖橋を渡って



お父さんがお土産にコチラを選んだのにも
やはりワケがある



人が人を思う気持ち。



どちらのワケも、それを大切にしたかったからである。



お兄ちゃんにそんな気持ち、伝わっただろうか。
なんかぺろりと食べちゃったみたいだけど(笑)





汀@石川台

2018年05月18日 | 大衆酒場・角打

















いいよ いいよ いいよおおと聞いていたコチラ。
やっとこ訪問できまして(笑)

結果とてもいいいいいーで御座いました。

特に極彩色ラベルの金陵レギュラーをコップでくぴぴと飲ってるトコに、どーんと出てくる鳥ピラフの感動(笑)

大衆食というものを感じ愉しむコトに理屈などないと思う。頭ごなしにどーのこーのと定義づける無意味さ。素直になればいい。
そしてたくさん感じ愉しんだ後に、大衆食とはなんだろう?の答えは出てくると思う。

素直になって、夢中になって、
食べるこの鳥ピラフはまさに大衆食の喜びそのものであった。