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この先行き止まり。そんな住宅地の奥にある大衆そば店である。
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たぬきそば450を頼んで暫し。出てきた丼に箸を突っ込んでぐいと持ち上げて驚いた。
それは一茶で知ることとなった、うどんマナーに基づく極不揃いの暴れ麺であったからだ。
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やはり一茶だけで驚いてはいけなかった。
これまでにも周辺では吉田屋や喜久屋、食事処あじさいで同様の麺と出会った。
一茶のご主人が五霞出身という点も含め、この麺はやはりこの地にそもそも存在するのである。
そして太田のかどやでも出会った事実は、このそばが元々存在する範囲なのだ。
つまり、いにしえの利根川中流域の流れと共に在るそば、坂東太郎の生み出した小麦も蕎麦も米もある、肥沃な大地のそばと呼べるのだと。
そう、河の流れと共に北関東のそばスタイルは存在していて各々に共通項を備えている。そして、それを今に残し、教えてくれるのは、個人の大衆そば店や製麺所なのだ。その点と点を結ぶ旅。それが自分の大衆そばの旅でもある。
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もちろんこちらのそば、最高に美味かった。
汁も少し濃いめでたぬきの香ばしさと実にマッチするバランスのとれた一杯。いい。
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住宅地の路地、この先行き止まりの看板の先で見つけたそば、それはこの広大なる平野で生きてきた、人々の営みへと繋がっていたのであった。
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