一昨日で閉店となってしまった立ち食いそばの重鎮、そば清。
その存在の重要性については以前のエントリに譲るとして、カウンター物語を少し。
幾度もお世話になったそば清だが、強く自分の記憶に残るのは、ご主人や娘さんではなく、どことなく大村崑を想わせるおじちゃんだったりするである。この方もまた実にいい方でして。
そば清に初めて訪れたのは夏真っ盛りの暑い日だった。
自転車漕ぎながらやってきて、うっすら汗ばみながらの入店。
躊躇はしたものの、やはり初訪だしな。と温かいカレーセットにかき揚げを追加して。
あ、カレーも食べてーと天の声がしたからね(笑)
天ぷらを揚げながら注文を受けた大村崑は、そんな自分を見て、はい。と取りかかった。
カレーセットを作り、また背中を向けてもくもくと天ぷらを揚げ始めた大村崑。
しかし一瞬、手元にあった扇風機の角度をすっと15度ほど傾けたのだ。
すると、首を振っていた扇風機がちょうど自分と大村崑を行き来する塩梅になったのである。
すごいなあと感心した。これ以上のサービスってないと思った。
ひと目でオーダーと客の様子を察知し、扇風機の首振り角度とカウンターの位置、店の隅々まで熟知していなければできないサービス。
それもワンアクション、1秒足らずのさりげなさである。
もちろん猛暑の中で天ぷらを揚げる大変さは知っている。だから半分こが正解。
全てをこちらに向けられたら、自分は恐縮して味わうどころではなかったと思う。
そんな熟練のホスピタリティのお陰で、そば清はさすが名店という余韻に至ったのである。
あれから5年。その思い出深いカウンターには花が飾られていた。
閉店を惜しみ、きっと自分と同じようなさりげなく素晴らしいサービスを受けた、多くのファンから贈られた花。
それが立ち食いで、ほんの数分の滞在時間だとしても。
客を思いやり、おいしく食べて貰おうとする心は、何千円もするレストランと全く変わらない。
50年の締め括りを、惜しまれながら、感謝されながら、花の飾られたカウンターで仕舞いにできるのは、そんな名店であった事の証なのだろう。
ご馳走さまでした。ありがとうね。そう伝えて自分は名店を後にしたのであった。
その存在の重要性については以前のエントリに譲るとして、カウンター物語を少し。
幾度もお世話になったそば清だが、強く自分の記憶に残るのは、ご主人や娘さんではなく、どことなく大村崑を想わせるおじちゃんだったりするである。この方もまた実にいい方でして。
そば清に初めて訪れたのは夏真っ盛りの暑い日だった。
自転車漕ぎながらやってきて、うっすら汗ばみながらの入店。
躊躇はしたものの、やはり初訪だしな。と温かいカレーセットにかき揚げを追加して。
あ、カレーも食べてーと天の声がしたからね(笑)
天ぷらを揚げながら注文を受けた大村崑は、そんな自分を見て、はい。と取りかかった。
カレーセットを作り、また背中を向けてもくもくと天ぷらを揚げ始めた大村崑。
しかし一瞬、手元にあった扇風機の角度をすっと15度ほど傾けたのだ。
すると、首を振っていた扇風機がちょうど自分と大村崑を行き来する塩梅になったのである。
すごいなあと感心した。これ以上のサービスってないと思った。
ひと目でオーダーと客の様子を察知し、扇風機の首振り角度とカウンターの位置、店の隅々まで熟知していなければできないサービス。
それもワンアクション、1秒足らずのさりげなさである。
もちろん猛暑の中で天ぷらを揚げる大変さは知っている。だから半分こが正解。
全てをこちらに向けられたら、自分は恐縮して味わうどころではなかったと思う。
そんな熟練のホスピタリティのお陰で、そば清はさすが名店という余韻に至ったのである。
あれから5年。その思い出深いカウンターには花が飾られていた。
閉店を惜しみ、きっと自分と同じようなさりげなく素晴らしいサービスを受けた、多くのファンから贈られた花。
それが立ち食いで、ほんの数分の滞在時間だとしても。
客を思いやり、おいしく食べて貰おうとする心は、何千円もするレストランと全く変わらない。
50年の締め括りを、惜しまれながら、感謝されながら、花の飾られたカウンターで仕舞いにできるのは、そんな名店であった事の証なのだろう。
ご馳走さまでした。ありがとうね。そう伝えて自分は名店を後にしたのであった。
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