出発前日は17歳のT君の誕生会で白木屋&カラオケ。寮に戻ったのは午前4時半だった。当然寮の玄関は鍵がかかっているので、フロントのおじさんを起こして開けてもらった。非常に機嫌が悪そうだ。
出発まで1時間しかないのに、何の準備もしていなかったので、急いで準備をして1階に下りた。この寮から参加するのは、自分・おとうさん同志・okuさん・北海道文教大の3人組・エルリン、それに外に住んでいるドイツ人数名だけだった。
こいつをバスの中で寝かせては駄目だぞ
と、寮のおじさん。勘弁してください・・・
大量のミネラルウォーターとオレンジジュースを詰め込み、出発した。と言っても、宝山キャンパスの学生も乗るので、まずは宝山へ向う。乗ってきたのは日本人と韓国人だった。
上海を出たバスは高速道路を西に進み、江陰大橋で長江の北側に渡った。この橋は現在、長江の最下流に位置する橋だ。無錫付近まで遡らなければならないので、上海から南通など江蘇省の沿海部に行くには非常に不便だが、現在下流にも橋が建設中である。橋からの長江の眺めは素晴らしいものがあるが、大半の学生は寝ており、別段騒ぐわけでもない。

長江を渡ったバスは京滬高速を北上する。あいにくの雨模様の中、上海を出て4時間半で淮安に到着した。ここは中華人民共和国初代総理周恩来の出身地。
当然、見物するのは周恩来記念館だ。展示物は周恩来の生涯のパネルや、公用車などの各種の遺品。

見学後は、付近のホテルのレストランで昼食になる。今回の旅行はとにかく食事が豪華だし、おいしい。西安旅行は味が悪い上に、ビールも出なかったそうだから、この点では山東省を選んで正解だった。
再び高速道路を北上する。予定ではこのまま曲阜まで直行するはずだ。ところが、なぜか徐州で高速道路を降り、市内へ向った。道に迷いながら、ぐるぐる走り、到着したのは獅子山楚王陵だ。
引率の先生曰く、
予定には無かったが、たまたまあることがわかったので行くことにした
との事。学校のバスで行くからこそできる柔軟さだ。


現在、交通の要所として栄える徐州は前漢の時代、郡国制の元で楚国の都だった街だ。この陵は3代目の楚王劉戊の墓。数ある諸侯の中でも、特に強大だった劉戊は、景帝の時代に呉と共にいわゆる「呉楚七国の乱」を起こすが、うまく統率がとれず敗北し自害した。
で、その墓から23年前に発見されたのが兵馬俑だ。唯一等身大の始皇帝陵が目立っているが、実のところ兵馬俑自体はいろいろとある。30センチくらいの可愛い兵馬俑が並んでいた。景帝の陵墓の兵馬俑もこんな感じの大きさだと言うので、それだけでも往時の劉戊の権勢が偲ばれる




なお西安の兵馬俑には2年ほど前に行きました。その時の話もそのうち書きます。
徐州を出発したバスは更に北上を続ける。昨年、前進型蒸気機関車を見に来た鄒城を通過し、上海を出てから実に14時間、ようやく曲阜に到着した。
宿泊する場所は曲阜師範大学の留学生宿舎、夕食もそこに付いている食堂だった。これがなかなかおいしい。

曲阜は孔子の故郷として世界遺産にもなっているが、所詮は田舎町。大学前の売店などは周辺のyan州や鄒城と同レベルだ。
こうして長い1日目の夜が更けていった。
つづく
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出発まで1時間しかないのに、何の準備もしていなかったので、急いで準備をして1階に下りた。この寮から参加するのは、自分・おとうさん同志・okuさん・北海道文教大の3人組・エルリン、それに外に住んでいるドイツ人数名だけだった。
こいつをバスの中で寝かせては駄目だぞ
と、寮のおじさん。勘弁してください・・・
大量のミネラルウォーターとオレンジジュースを詰め込み、出発した。と言っても、宝山キャンパスの学生も乗るので、まずは宝山へ向う。乗ってきたのは日本人と韓国人だった。
上海を出たバスは高速道路を西に進み、江陰大橋で長江の北側に渡った。この橋は現在、長江の最下流に位置する橋だ。無錫付近まで遡らなければならないので、上海から南通など江蘇省の沿海部に行くには非常に不便だが、現在下流にも橋が建設中である。橋からの長江の眺めは素晴らしいものがあるが、大半の学生は寝ており、別段騒ぐわけでもない。

長江を渡ったバスは京滬高速を北上する。あいにくの雨模様の中、上海を出て4時間半で淮安に到着した。ここは中華人民共和国初代総理周恩来の出身地。
当然、見物するのは周恩来記念館だ。展示物は周恩来の生涯のパネルや、公用車などの各種の遺品。

見学後は、付近のホテルのレストランで昼食になる。今回の旅行はとにかく食事が豪華だし、おいしい。西安旅行は味が悪い上に、ビールも出なかったそうだから、この点では山東省を選んで正解だった。
再び高速道路を北上する。予定ではこのまま曲阜まで直行するはずだ。ところが、なぜか徐州で高速道路を降り、市内へ向った。道に迷いながら、ぐるぐる走り、到着したのは獅子山楚王陵だ。
引率の先生曰く、
予定には無かったが、たまたまあることがわかったので行くことにした
との事。学校のバスで行くからこそできる柔軟さだ。


現在、交通の要所として栄える徐州は前漢の時代、郡国制の元で楚国の都だった街だ。この陵は3代目の楚王劉戊の墓。数ある諸侯の中でも、特に強大だった劉戊は、景帝の時代に呉と共にいわゆる「呉楚七国の乱」を起こすが、うまく統率がとれず敗北し自害した。
で、その墓から23年前に発見されたのが兵馬俑だ。唯一等身大の始皇帝陵が目立っているが、実のところ兵馬俑自体はいろいろとある。30センチくらいの可愛い兵馬俑が並んでいた。景帝の陵墓の兵馬俑もこんな感じの大きさだと言うので、それだけでも往時の劉戊の権勢が偲ばれる




なお西安の兵馬俑には2年ほど前に行きました。その時の話もそのうち書きます。
徐州を出発したバスは更に北上を続ける。昨年、前進型蒸気機関車を見に来た鄒城を通過し、上海を出てから実に14時間、ようやく曲阜に到着した。
宿泊する場所は曲阜師範大学の留学生宿舎、夕食もそこに付いている食堂だった。これがなかなかおいしい。

曲阜は孔子の故郷として世界遺産にもなっているが、所詮は田舎町。大学前の売店などは周辺のyan州や鄒城と同レベルだ。
こうして長い1日目の夜が更けていった。
つづく
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記事の兵馬俑は江蘇省徐州の兵馬俑です。大きさは30センチ強の小さな物です。
西安の兵馬俑は等身大の大きさです。