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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

最後の水曜

2007-07-14 21:58:04 | マス研


今週、前期のマス研の活動最終回を迎えた。

同時に、僕のソーシャル・リサーチとメディア・リサーチの物語もおしまい。

最後に後輩たちがお別れ会を開いてくれたのが本当に嬉しかった。

水曜は丸々、金曜は二次会から参加させてもらった。

しかも水曜のは場所がね、HUB。

HUBってなんだかんだで個人的にとても思い出深い所になってて。

一番最初に行ったのっていつだったけ。



まあ思い出せないんだけど…

でも、あー、ちょうど一年前僕らもここで先輩のお別れ会やったんだなって思い出す。

僕らは直前だってのに先輩のお別れ会の場所決めをやってなかった。

あせって予約を済ませた、っていうのが一年前の出来事。

時間の流れは速すぎる気がする。

でも、丁寧に思い返していけばこの一年間だけで信じられないほどたくさんの出来事があった。

楽しいことも嬉しいことも、つらいことも凹むことも、うまくいかないことも自己嫌悪に陥ることも、

とにかくいろんな感情を味わえたな、というのが感想。

一年って全然短くない。




まあね、実際は雑誌作りとかイベントとか、

なんでもいいんだけど、そういうのって極端な話、とてつもなく優秀な奴がやれば一人か二人で出来ちゃうと思う。

でもマス研が何十人って言う規模の、少なくとも「とても小さい」とは言えない規模で活動していることに、意味を感じる。

たぶんこの規模が一番切磋琢磨できる規模じゃないのかな。

多すぎたら結局は動くのは少人数になるわけだし、

小さすぎたら、フィーリングの合う単に居心地が良いだけの仲良しグループになってしまう。

だからこれ位の大きさが全員に目が届いて、かつ面倒な衝突が起きるのにちょうど良いのかな。

「面倒な衝突」って言ったけど、これがあると結構頭使うからね。

気もつかうし。

そういうネガティブなイベントって大事に向き合ったほうが良いと思う。

無視や黙殺も、やっぱり生きていくうえで大事な技術なのかも知れない。

いちいち向き合ってたらストレスもたまるし、そもそも効率が悪いかもしれない。

「努力はしているけれど、いまいちデキない」っていう人間が、自己啓発本とかでは改善すべき人間像として紹介されている。

でも若いうちからそんなんでどうすんのって。

出来なくてもいいからとにかくいろんな努力をして失敗して傷つくのが良いと思う。

学生なんていうせっかく営利社会から離れた身分なんだから、目的とか成功とかばかりを求めて効率的な選択ばかりしているんじゃもったいない。

効率的なやり方ばかりで来た人っていつか絶対ボロが出る気がする。

まじめな奴が一番成長できるんだと思う。

僕自身の反省も込めて。

むしろこの点はとても反省している。





おっと。

書こうとしてた事から話がそれた。

戻る。


HUBでお別れ会を開いてもらったわけです。

プレゼントと色紙ももらった。

お別れ会で色紙をもらえるっていうことを忘れてた僕は、感激してしまった。

いろんな後輩の書き込みがモザイク状にならんでいて、その一つ一つを読んでは涙腺が緩んだ。

いつの間にか僕らは「先輩」になったんだなって今更ながら実感。

「先輩」の自覚がなかったってことではなくて、「先輩」として頼りない部分もたくさんあると思うけど、結局はちょっとでも頼りにされてたんだなっておもって。

やっぱ後輩っていいね。



…って、こういうこと書こうとしてたんじゃないんだよなー



前の記事に鼻怪我したって書いたけど、それはこの打ち上げのときの胴上げのときにCAPの頭とぶつかったから。

ほんと勲章だと思う。

自画自賛になるけど、マス研も僕らが仕切る立場になってからずいぶん元気なサークルになったと思う。

それは後輩の存在に拠るところが大きいと思う。

よくも悪くも後輩との仲が良いから。

相手してくれてる後輩には感謝。







思い通りの文章にならないのでもうテーマ放棄します。



実はマス研自体は全然終わりではなくて、企画はまだ進行中。

うまくいくのかとても不安。

一般人への取材って想像以上に難しかった。

質問への回答が予想不可能。

予想不可能だけなら全然いい。むしろ楽しめるし視野も広がる。

けれど、きちんと返事が返ってくることが少ない。

もちろん対話してるわけだから、沈黙ってのは当然ないけれど、全然質問の内容を踏まえていない発言だったりすることがきわめて多い。

てかほとんどそう。

取材なのに「材」が得られない。

でも知り合いというか友達というかその辺は微妙だけれど、そういう交流の輪は広がった。

得がたい経験が出来ていて、それはとても満足。

それをどうやって記事にまとめるか、正直すごく難しい。





それに、11月には早稲田祭っていう大きなイベントがある。

これも結構課題が山積みで、手をこまねいているのが現状。

でもプレッシャーを感じるのがちょっと楽しかったりして。

と悠長すぎることを言っていると失敗するからプレッシャーを感じる暇がないほどガンガンいかねば。



早稲田祭が終われば本当の引退。

引退が嫌でもあり、正直ちょっと楽しみでもあって…

楽しみって言うのは、決してマス研からさっさと離れたいってことではなくて、引退したときにはどんな達成感があるのかなっていうのが楽しみだってこと。



今は納会と夏合宿が楽しみ。

アンパンマンのマーチ

2007-07-14 18:15:27 | サブ・カルチャー
カラオケに行って、まあそこはマス研のノリだから軽い気持ちで「アンパンマンのマーチ」を入れた。

歌いだしてみるとこの曲、歌詞が心に響いた。
肌がチキンになった。





アンパンマンが「ヒーロー」であることは『それいけ!アンパンマン』の物語の前提ともなる事実だ。

だから彼がヒーローであることを当然のことだと思ってませんでしたか?




アンパンマンは弱った仲間に自分の顔を与える。

ヒーローであり続けるということは、自己犠牲によってみんなを助けることのへのモチベーションを持ち続けているということ。

何のために生きるのか。

ヒーローたるアンパンマンの葛藤に誰も気づくことはない。

ヒーローとは常に孤独なものなのだ。




   そうだ、恐れないでみんなのために
   愛と勇気だけがともだちさ




アンパンマンには友達がたくさんいる。

大切な人もたくさんいる。

けれど、敵に立ち向かうときは一人でなければいけない。

そういう意味でアンパンマンが最終的に拠って立つものは愛と勇気、つまり己の体と心だけなのだ。




ヒーローとは人に惜しみない優しさを注げる人だ。

アンパンマンがいかに強くて、優しいのか。

僕はかなり心を揺さぶられたし、身につまされた。

僕は大切な人のために何をしてあげられるだろう。




作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし 編曲:大谷和夫

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため