TOYOTAの新型VOXY,NOAHのエクステリア(外観)が受け入れ難いというお話し

2022-01-16 18:44:15 | 世評

Uさん、こんばんは。

 

自動車のお話しです。

トヨタ自動車のVOXYという車に乗っています。

 

70系という1世代前のモデルです。

と思っていたら、つい先日、VOXYとその姉妹車のNOAHがフルモデルチェンジしていましたので、2代前になりました。

 

先月、ホンダ技研のステップワゴンが発表されたばかり(発売は今年5月近辺)ですが、競合車であるトヨタの2車種も同じようなタイミングで新型を出していました。

 

いつもなら、両社のモデル更新は時期がずれていたのに、一つ前のステップワゴンの更新期間が延びたのか、同じようなタイミング(発売年)になりました。珍しいことです。

 

今乗っているVOXYは、12年もの、11万キロ弱の走行距離で、乗り換えか継続かを考えているところですが、少なくともトヨタの新型VOXYとNOAHのエアロタイプは無くなりました。

 

外観(フロントデザイン)が受け入れられません。前照灯・フロントグリル周りが駄目です。

 

見ていて気分が悪くなりました。

 

車の写真を見ていて、これほど不快になることはありませんでした。

現行のヴェルファイアが出た時も、酷いものだと嘆いたものですが、それ以上の過激さです。

 

NOAHのエアロ車は、大口を開けた飛び出た歯茎と出っ歯(厚い唇にも見える)。

標準車は、それ相応の無難なまとめ方ですが、でも細部が煮詰められていないトヨタらしいデザインセンス。実物は良いかもしれない。

 

VOXYは、この悪相は、…スズキのパレットSWをもっと細い目つきにして、パリウッド版のゴジラシリーズのキングギドラ(ゴジラでも良いのですが)とのキメラにして…、…ということで、最早、怪獣の顔つきです。GRスポーツ版はこの強面をもっと徹底的に仕上げています。

何だか、ウ~と唸っている声が聞こえて来そうです。

 

グリルを大きくし過ぎて、前照灯がこの中に組み入れられているそうな。

目つきの悪い細目は、ポジションランプ部です。

 

いずれにしましても、ボディ全体のプレーンなまとめ方に対し、フロント下部が重たく見えるのは、かなりバランスに欠けたデザインに思われます。

 

フロント以外のボディはシンプルで良い感じです。

Cピラー以降のウィンドウ下部のボディパネルの跳ね上げ方は、どことなくセレナと似ています。

 

ヴェルファイアはデザイン性の劣化で、売り上げが急激に落ち込んだと言われています。

その代わり、アルファードがヴェルファイアを求める顧客の受け皿になり、大幅な売り上げ増加になりました。

L型ミニバンの1択ですので、自然、そうなるでしょう。

 

しかしながら、VOXYはNOAHが地味で代替車になりそうもありませんから、恐らく、売れることでしょう。

ステップワゴンも地味な箱車に回帰しましたから、VOXYの敵になり得ません。

 

街で新型VOXYを見掛けたらどうしようか、考えます。

写真より実物の方が良いことを祈るばかりです。

 

一緒に祈ってください。

ではこれで失礼します。

 

ごきげんよう。

さようなら。


小室氏と眞子内親王の結婚

2021-10-29 21:48:38 | 世評

Uさん、こんばんわ。

本当はこの手の事柄については触れることは好きではないのです。

余りにもゴシップネタ化していますし。

 

しかしながら、将来このブログを見返して、あの時国民の関心が非常に高い、こういう出来事があって、その時、自分がどのような意見を持っていたかについて、一国民として簡単に日記に書き記しておこうと思います。

 

既に二人は戸籍法上の届出をし、眞子内親王は皇室を離脱して小室眞子さんになっていますが、そこまでに至る経緯に触れますので、記事中では内親王という称号を付けています。

 

さて、

若い二人の結婚、人生の新しい門出を、国民の多くがお祝い出来ない状況になってしまったことは悲しいことです。

その理由や背景については、既に多くが様々な場面で語られ、問題の核心への指摘がなされていますから、それには触れません。自分自身も止むを得ないことと感じています。

 

それよりも、26日に行われた結婚記者会見。

記事に目を通す気分にもなれず、仔細は分らないのですが、眞子内親王が海外留学を含めたここに至るまでのストーリーを書き上げ、小室氏を主導したと由。

 

これは真実とは異なるのではないか、と自分は見ています。

やはり海外留学は、小室氏自身の意向で行われたことであり、内親王は、彼を庇うため、敢えて悪役を買って出たのではないかというのが自分の見立てです。

 

彼への様々な支援が宮様方からあったことは、衆目が一致するところで、恐らく当然そういうことはあったのでしょう。客観的にはそうでなければ成り立たないことが多すぎます。

 

そうすると、小室氏は利得だけを得て、内親王が殊更批判にさらされることになりますが、これは内親王の非常に強い意向があり、二人で相談に相談を重ねて彼を説得させたものだと考えます。彼を緘口させるだけの何かがあったのでしょうね。

 

自分がそう考えるのは、眞子内親王にはこれだけのシナリオを画策するだけの知性を少しも感じないからです。

ついでに触れると、表面上は佳子内親王のように人間じみた感情の起伏も余り感じられません。ところが、こういう人物が意外に芯の固い意志を持っていることがあります。

 

眞子内親王の内心に迫ることは当然ながら不可能です。ただ彼女の中に非常に強い思いがあり、これを成就するためならどのような犠牲をも払う非常な決意をもっていたことは想像に難くありません。

 

正直なところ、内親王にとって、結婚する相手は小室氏でなくても良かったのではないでしょうか。

久しく、叩かれ続けたことによって、却って二人の結束が高まったか、後戻りできない状態になったかのどちらかでしょう。

 

息苦しい皇室を出たい、彼女の意思の根底にはこのような強い願望があったとの指摘があります。

本当は、眞子さんは、何でもよいから、自分自身、つまり眞子内親王自身以外の何物かになれれば良かったのでしょう。

 

拘束の強い閉ざされた宮中の空気を吸い、皇室の義務に束縛された中で形成された自分自身を葬り去りたい、いつかその殻を打ち破りたい、そういう想いが少しずつ彼女の中で形成されていったのでしょう。

 

ICUに入る前からその意識は醸成されていたのでしょう。彼女は、一般社会と、皇室の違いを小さな頃から様々なメディアや手法で感じ取っていたのでしょう。情報化社会の功罪です。

 

挽回のチャンスはいくらでもあったのに、悲劇と憎悪の対象となってしまった眞子さん。

小室君の罪は重い。

 

少し辛くなってきてしまいました。

ここで纏めます。

 

少し話が飛躍しますが、この件で自分が一番良かったと思えることは、国民の関心が宮中に向き、アンタッチャブルとなっていた皇室問題に自由な意見を言えるようになったことです。

これが真に意味での開かれた皇室でしょう。皇室廃絶の声が公然となった副反応はあります。

 

が、このような意見は以前から一部のセクターや市民の中に存在しており、今に始まったものではありません。これが普通の市民・国民の間で、喧伝されるようになったことが大きいのです。

そして、当然、皇室を擁護する声もあります。このように触れてはならなかったことが、社会全体、国民全体で、意見を交わすようになったことに大きな意義を感じます。

 

話が長くなりました。

 

では、ごきげんよう。

さようなら。


出来るだけ正確な表現が望ましい

2021-10-02 21:19:04 | 世評

Uさん、こんばんわ。

少しだけ更新の間が空きました。

 

さて、この間、YahooJapanのポータルサイトにアクセスする用件があり、調べ物をしておりますと、横綱白鳳の引退と、年寄名跡の継承に関する記事が目に留まりました。

記事に目を通したついでにコメント欄に目を通してみますと、白鳳が一代年寄を襲名出来なかったことに対する、日本相撲協会への批判がそれなりにありました。

 

自分も白鳳が自らの四股名で年寄に成れなかったことは残念に思いますが、それよりも批判書き込みの一つに、協会が人種差別をしているという表現があったことが気になります。

”人種差別”は正しくない表現ではないでしょうか。

 

白鳳はモンゴル出身のモンゴロイド(東アジア人)であり、我々、日本人の大部分の人種と同じカテゴリーに入ります。

すなわち、同じ”黄色人種”です。

 

また、白鳳は日本国籍を取得していますから、国籍差別にも当たりません。

強いて言うならば、”民族差別”ですけれど、モンゴル人の民族ってどう表現し、どれを以て民族というのでしょう。詳しくは分りません。”騎馬民族”ではシャレになりませんし。やはり民族差別でも無さそうです。

 

白鳳の場合、協会や横綱審議会がいうところの横綱らしい態度(いわゆる「品格」に欠ける)言動が影響したのだと思います。

 

モンゴル出身だから日本人の感覚とずれているという指摘がもしあれば、(朝青龍を除き)他のモンゴル出身の力士たちが必ずしも批判されているわけではないことから外れていると思いますし、まして白鳳は来日したのが16歳です。モンゴル在住の期間より、日本にいる期間の方が長いのですから、三つ子の魂百までとはいえ、やはり日本の文化や考え方の影響を強く受けているはずです。

 

そうしますと、白鳳は自分らしい横綱らしさとは何かを考え、結論に至ってからは、敢えてこれを実践し、貫いたのではないかと思われます。何度協会から指摘を受けても根本が変わらなかったのは、そこにあるのでしょう。

 

良い悪いは別にして白鳳にはある考えがあったのでしょう。横綱の座は、相撲に対する彼の考えを実践する場、表現の場であったのでしょう。

 

自分も、白鳳の立ち合いビンタなどは良くないなーとずっと思っていましたが、日馬富士の暴力沙汰の後の、土俵上での万歳三唱などはそれほど問題にするものではないとも感じていました。

 

いずれにしましても、白鳳はある程度(一代横綱になりたくても)なれそうもないということは覚悟してたのではないでしょうか。

 

希代の大横綱が一代年寄を襲名できないというのは、極めて残念です。

 

理由はどうあれ、一代年寄を襲名させることを前提に、誓約書を提出させた方が、協会自身の立場も社会的評価も良い方向になったのではないかと考えます。

相変わらず暗愚な村社会であることには悲しみを覚えました。

 

さっ、気持ちを切り替えましょう。

 

では、また。

ごきげんよう。さようなら。