Uさん、こんばんわ。
少しだけ更新の間が空きました。
さて、この間、YahooJapanのポータルサイトにアクセスする用件があり、調べ物をしておりますと、横綱白鳳の引退と、年寄名跡の継承に関する記事が目に留まりました。
記事に目を通したついでにコメント欄に目を通してみますと、白鳳が一代年寄を襲名出来なかったことに対する、日本相撲協会への批判がそれなりにありました。
自分も白鳳が自らの四股名で年寄に成れなかったことは残念に思いますが、それよりも批判書き込みの一つに、協会が人種差別をしているという表現があったことが気になります。
”人種差別”は正しくない表現ではないでしょうか。
白鳳はモンゴル出身のモンゴロイド(東アジア人)であり、我々、日本人の大部分の人種と同じカテゴリーに入ります。
すなわち、同じ”黄色人種”です。
また、白鳳は日本国籍を取得していますから、国籍差別にも当たりません。
強いて言うならば、”民族差別”ですけれど、モンゴル人の民族ってどう表現し、どれを以て民族というのでしょう。詳しくは分りません。”騎馬民族”ではシャレになりませんし。やはり民族差別でも無さそうです。
白鳳の場合、協会や横綱審議会がいうところの横綱らしい態度(いわゆる「品格」に欠ける)言動が影響したのだと思います。
モンゴル出身だから日本人の感覚とずれているという指摘がもしあれば、(朝青龍を除き)他のモンゴル出身の力士たちが必ずしも批判されているわけではないことから外れていると思いますし、まして白鳳は来日したのが16歳です。モンゴル在住の期間より、日本にいる期間の方が長いのですから、三つ子の魂百までとはいえ、やはり日本の文化や考え方の影響を強く受けているはずです。
そうしますと、白鳳は自分らしい横綱らしさとは何かを考え、結論に至ってからは、敢えてこれを実践し、貫いたのではないかと思われます。何度協会から指摘を受けても根本が変わらなかったのは、そこにあるのでしょう。
良い悪いは別にして白鳳にはある考えがあったのでしょう。横綱の座は、相撲に対する彼の考えを実践する場、表現の場であったのでしょう。
自分も、白鳳の立ち合いビンタなどは良くないなーとずっと思っていましたが、日馬富士の暴力沙汰の後の、土俵上での万歳三唱などはそれほど問題にするものではないとも感じていました。
いずれにしましても、白鳳はある程度(一代横綱になりたくても)なれそうもないということは覚悟してたのではないでしょうか。
希代の大横綱が一代年寄を襲名できないというのは、極めて残念です。
理由はどうあれ、一代年寄を襲名させることを前提に、誓約書を提出させた方が、協会自身の立場も社会的評価も良い方向になったのではないかと考えます。
相変わらず暗愚な村社会であることには悲しみを覚えました。
さっ、気持ちを切り替えましょう。
では、また。
ごきげんよう。さようなら。