● 江戸時代(孝明天皇 徳川家茂)
1862(文久2)年 〈坂下門外の変〉★
Sakashitamonngai Incident: Assassination is attempted on Andō Nobumasa, leading senior councillor.
いや無事安堵 坂下門外。
1862年 安藤信正 坂下門外の変 和宮降嫁
1862年、文久の政治改革を提1860年の桜田門外の変の後、老中安藤信正は、反幕府勢力をおさえるため、調停と幕府が提携してこの難局を打開しようとする公武合体運動を進め、孝明天皇の妹和宮と将軍徳川家茂の結婚(和宮降嫁)を実現させた。一方、尊皇攘夷論者はこの政略結婚を非難し、1862年安藤は坂下門外で水戸浪士に襲撃され、一命をとりとめたものの、失脚した(坂下門外の変)。
〈文久の政治改革〉 坂下門外の変で安藤信正が失脚したのち、薩摩藩の島津久光は公武合体の立場から江戸にくだり、幕政改革を要求。幕府は久光の勧告を受け入れて、松平慶永を政事総裁諸職(「事」に注意!「政治」ではない)に、一橋慶喜を将軍後見職に任命。また、京都守護職をおいて会津藩主松平容保を任命するなど、幕制を改めた(文久の政治改革)。
「守りは固く 政治よし。」と、2人の松永を区別しよう。
京都守護職年 松平容保
政事総裁職 松平慶永
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