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1086(応得元)年 〈白河上皇、院政を開始〉★★★

2018-06-23 | 入試問題+ゴロ合わせ

 

●平安時代(堀河天皇)

 

Ex-emperor Shirakawa establishes the system of cloister government.

院(いん)をやろうよ 無理かしら?

 1086年 院政         堀川天皇 白河上皇 

 

1086、幼少の堀川天皇に譲位した白河天皇は、上皇として院政を開始。上皇の命令を伝える院宣は詔勅・宣旨に準ずるものとされ、政治の実権は院庁に移った。その職員である院司として仕えたのは、摂関家のもとでめぐまれなかった貴族たちで、中でも受領として地方を赴任し、巨富をたくわえた貴族たちが院近臣として政治の実権を握った。

〈武士団のはじまり〉 上皇の度重なる寺社への参詣は莫大な国費を必要とし、その費用を捻出するために荘園の拡大がはかられた。国司の任命に際しても売官によって知行国の制度がはじまるなど、公領はあたかも貴族の私領のようになった。このころ大寺院は貴族と対抗するために僧兵を組織して実力で主張を押し通そうとしたため、上皇は防衛のために北面の武士をおき、朝廷は滝口の武士を招いてこれを防いだが、これらの武士こそ源平両氏に率いられた新興の武士団であった。

 

[ポイント]
1.後三条天皇が築いた基礎に、1086年から、白河鳥羽後白河後鳥羽の4院政が続いた。

[解説]

1.後三条天皇(1034~73、位1068~72)、白河天皇(上皇)(1053~l129、天皇位1072~86、院政1086~1129)・鳥羽上皇(法皇)(1103~56、天皇位1107~23、院政1129~56)・後白河上皇(法皇)(l127~92、天皇位1155~58、院政1158~92)、後鳥羽上皇(1180~1239、天皇位1183~98、院政1198~1221)。

2.白河天皇後三条天皇にならって親政をおこなっていたが、1086(応徳3)年、にわかに幼少の堀河天皇に位をゆずった。しかし天皇を後見して実権は保持、院庁で上皇(院)による政治、院政を開始した。

3.院政は、自分の子孫の系統に皇位を継承させようとする意図からはじまったもの。上皇の地位は、国家の法や慣例にしばられないイレギュラーな存在であったため、専制的に実権を行使するようになった。

4.院政は天皇家の実権をにぎった家長(家督)が権力を行使するものであったから、天皇家一族間の激烈な争いに勝利した3上皇(白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇)のみが院政をおこない、100年余り続いた。そのため摂関家は、勢力の衰退を食い止めようと、院権力にすり寄るようになった。


〈2014明大・情報コミュ(情報コミュ(A))

 (ケ)院政が開始されると、たとえば、鳥羽院の妻であった美福門院や、平氏出身で、( コ )天皇の妻となった建春門院のように、多くの荘園を寄進され、政治的・経済的影響力が上昇していく女性も登場した。

問9 下線部(ケ).院政が開始に関して、下の史料の(   )に入る語句として、もっとも正しいものを、次の1~4のうちから1つ選べ。

 此御代には、院にて政をきかせ給へば、執柄はただ職にそなはりたるばかりになりぬ(中略)。此御時より(   )・庁御下文をおもくせられしによりて、在位の君、又位にそなわり給へるばかりなり。

 1宣旨 2官符 3院宣 4綸旨

問10 空欄(コ)に入る人名として、もっとも正しいものを、次の①~④のうちから1つ選び、マーク解答欄に記入しなさい。

 1.白河 2.後白河 3.三条 4.後三条」


(答:9→3、10→2)〉

〈2012北海道大:前期

 次の史料1・2を読んで、下記の設問に答えなさい。なお史料はわかりやすくするため、なおしたり省略したところがある。
   史料1
 第七十二代、第三十七世、[ ア ]院、諱(いみな)は貞仁、後三条第一の子。(中略)此御代には院にて政(まつりごと)を聞かせ給へば、a.執柄はただ職にそなはりたるばかりになりぬ。されどこれより又ふるきすがたは一変するにゃ侍けむ。執柄世をおこなはれしかど、宣旨・官符にてこそ天下のことは施行せられしに、此御時より[ イ ]・庁御下文をおもくせられしによりてb在位の君又位にそなはり給へるばかりなり。c世のすゑになれるすがたなるべきにや。                       (『神皇正統記』)

問1. 空欄[ア~イ]に入る人名・語句を記しなさい。

(答:ア白河、イ院宣)

問2.下線部a執柄、b在位の君はそれぞれ何を意味するか、答えなさい。

(答:a摂政・関白〔摂関〕、b天皇)

問3.下線部c世のすゑについて、この頃から、国家や社会の安穏に寄与する仏教界がしばしば朝廷と対立するようになった。どのような対立や衝突が見られたか、30字以内で説明しなさい。

(解答例:大寺院は荘園など領有権をめぐり天皇家や受領と対立、強訴した。(30字))

問4.この史料1に記された新しい政治形態は、さまざまな点で従来の国家、社会体制を変えていった。

(1)この政治形態は、本来どのような目的のために作り出された仕組みであったか。皇位継承の観点から簡潔に説明しなさい。

(2)近年、この時期の日本史に見られたもっとも大きな国家的あるいは社会経済史的変化とは何であったか。10字以内で答えなさい。

(答:1自分の子孫の系統に皇位を伝えるため。2荘園公領制の成立)

問5  この『神皇正統記』について
(1)この書物を著したのは誰か、氏名を答えなさい。また
(2)著述の目的は何であったか、簡潔に答えなさい。

(答:1北畠親房、2南朝による皇位継承が正統であるとの主張)〉


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