□近世427.『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』(読本後期・曲亭馬琴)◇C
[ゴロ]馬菌珍説 発見す。
(曲亭馬琴(きょくていばきん)・南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん))(椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき))
[ポイント]
1.曲亭馬琴は、『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』を著す。
[解説]
1.文化期には、滑稽本や人情本など絵入りの本の系統に対し、文章主体の小説で歴史や伝説を題材にした読本(よみほん)は、大坂の上田秋成(1734~1809)に始まり、江戸の曲亭馬琴(1767~1848)が評判を得た。
2.曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、旗本の家来の子として生まれる。俳諧、医術、儒学を学び、20代半ばに山東京伝の知遇を得て大きな影響を受けながら、はじめ黄表紙を刊行し戯作者として出発。結婚により履物屋として町人となったが、30代から読本を中心に旺盛な作家活動に入り、以後この収入のみで生計を立てるようになった。彼は豊かとは言えなかったが、筆一本で生きるわが国初の作家といえる。73歳で失明したが、故長男の嫁路(みち)(貞女としてよく知られる)の口述筆記で著述を続け82歳で死去した。
3.馬琴は、源為朝の武勇伝『珍説弓張月』(1807年)で評判をとり、『南総里見八犬伝』(1814~1842年)で名声を確立。同書は雄大な構想をもち、その底流に勧善懲悪(かんぜんちょうあく)・因果応報(いんがおうほう)の思想が流れている。
〈2015早大・社会科学:「
江戸時代後期においては、交通の整備が進み、人の移動が盛んになり、地域問の交流も活発に行われた。江戸の繁栄は経済面に止まらなかった。特に文化・文政時代の前後には、町人文化が開花し、近世文化が爛熟期を迎えた。文化年間には、600軒を超える貸本屋があり、人びとの1文学への欲求を満足させた。2文学作品の作者のなかには、江戸町人や浮き世絵師もおり、彼らは当時の社会や庶民の生活を描き、独特な感覚と手法を武器に多くの読者を獲得した。
問1 下線部1文学に関連して、文化・文政時代前後の文学に関する記述として、適切なものはどれか。1つ選べ。
イ 17世紀後半以来衰えていた浮世草子は全盛期を迎えた。
ロ 江戸の遊里の生活を描いた黄表紙が流行した。
ハ 江戸の風俗をうがち、風刺した洒落本が流行した。
ニ 恋愛ものを扱った読本が流行した。
ホ 庶民の生活を描いた滑稽本が盛んになった。
問2 下線部2文学作品に関連して、著者と作品の組み合わせとして、不適切なものはどれか。1つ選べ。
イ 式亭三馬『浮世風呂』
ロ 十返舎一九『東海道中膝栗毛』
ハ 山東京伝『江戸生艶気樺焼』
ニ 曲亭馬琴『雨月物語』
ホ 為永春水『春色梅児誉美』」
(答:問1ホ〇、※イ・ロ・ハは×で浮世草子、洒落本、黄表紙は化政期以前、ニ×読本は恋愛物ではない、問2ニ×『雨月物語』は上田秋成)〉
〈2014早大・教育:「
問9 下線部e文政の時代に活動していた文人をすべて選べ。
ア柳亭種彦 イ曲亭馬琴
ウ近松門左衛門
エ三浦梅園 オ松尾芭蕉
カ富永仲基 キ井原西鶴
(答:ア・イ ※ウ近松・オ芭蕉・キ西鶴は元禄期(17世紀後半)、エ梅園は明和・天明期(18世紀後半)、カ仲基は享保・元文期(18世紀前半))〉
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