◆ニコライ(後のニコライ2世)
●明治時代(明治天皇 第一次松方正義内閣)
1891(明治24)年 〈大津事件〉★★
Otsu Incident; assassination attempt on Russian Crown Prince Nicholas Alexandrovitch, who is on a pleasure tour of Japan.
非(ひ)は悔い大津で 真っ青に。
1891年 大津事件 松方正義内閣 青木周蔵 ニコライ
第1次松方正義内閣の1891年、シベリア鉄道の着工式に出席する途中で日本に立ち寄ったロシア皇太子ニコライが、滋賀県大津で巡査津田三蔵に襲われ負傷(大津事件)。
イギリスはシベリア鉄道の完成によるロシアの東アジア進出を警戒し、条約改正にほぼ同意していたが、外相青木周蔵が事件の責任をとって辞任したため、交渉は中断した。
〈大隈外相の条約改正交渉〉
青木周蔵外相の前任者であった大隈重信は外国人判事の任用を大審院に限ることにして交渉を進めた。しかし、その内容が暴露されると、反対運動が展開された。そして1889年に彼が玄洋社の活動家に爆弾を投ぜられて右足を失うという重傷を負い、時の黒田清隆内閣が総辞職したため改正交渉は挫折した。大隈重信の〈大〉に注目して大審院を覚えよう。
また、マニアックな内容だが、爆弾を投じた玄洋社の活動家の名前は来島恒喜である。〈苦しますべき〉と考えたのか?