
▲北条貞時
●鎌倉時代(伏見天皇 北条貞時)
Tokuseirei(cancellation of debts order) is issued by Hōjyō Sadatoki.
皮肉(ひにく)な定め 徳政に。
1297年 北条貞時 永仁の徳政令
鎌倉幕府の御家人たちは、元寇の際に命を懸けて戦ったが、十分な恩賞を得られず、かつ分割相続というシステムのため所領の細分化が進展。そこで1297年、9代執権北条貞時は困窮する御家人を救うため、永仁の徳政令を発布。しかしこれは経済の混乱を招き、一部は翌年廃止されたが、かえって御家人の窮乏化が進んだ。
頻出史料「永仁の徳政令」
関東御事書の法
一 質券売買地の事。 永仁五(1297)年三月六日
右、地頭御家人買得の地に於いては、本条※1を守り、廿箇年を過ぐるは、本主取り返すに及ばず。非御家人并びに凡下の輩※2買得の地に至りては、年記の遠近を謂はず、本主これを取り返すべし。
※1御成敗式目のこと。
※2「凡下の輩」侍身分に属さない一般庶民のこと。具体的には貸上など。
〈2013上智大・法総合人間科神外
C(悪党)(b)正安・乾元ノ比ヨリ、目ニ余り耳ニ満テ聞へ候シ。所々ノ乱妨、浦々ノ海賊、寄取、強盗、山賊、追落シヒマーク、異類異形ナルアリサマ、人倫ニ異ナリ、柿維(かたびら)ニ六方笠ヲ着テ、烏帽子・袴ヲ着ス、人ニ面ヲ合セス、忍タル体ニテ、…鎧腹巻等ヲ着マテノ兵具更ニ無シ、カゝル類十人二十人、或ハ城ニ籠リ、寄手ニ加ハリ、或ハ引入・返リ忠ヲ旨トシテ、更ニ約諾ヲ本トセス。……( ウ )ノ制禁ニモカゝハラス、日ヲ逐テ倍増ス。
(b)この時期に得宗として武家政権を主導していた人物は誰か。
(答:ウ守護、b北条貞時)〉
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