●ローマ(共和政)
The first ten codes of the Roman Law of the Twelve Tables are completed by the first Decemvirate.
横(よこ)一列に 十二表。
前451年 十二表法 平等化の第一歩
ローマでは公職はパトリキ(貴族)により独占されていたため、次第にプレブス(平民)は不満を募らせた。前494年、プレブスはパトリキの譲歩を勝ち取り、護民官、続いて平民会の設置を認めさせた。そして前451年、旧来の慣習法が明文化され、12枚の板で公示された十二表法が制定され、貴族に対する平民の法的平等化の第一歩となった。
lex duodecim tabularumラテン語
古代ローマの最古の法典。法典制定十人官によって紀元前451~前450年起草され、ケントゥリア民会によって制定された。
12枚の青銅板または木板に書き記されてフォルム・ロマヌムに立てられたが、前387年のガリア人の侵入によって焼失した。
起草にあたってアテネに使節が派遣され、ソロンの法を参考にしたと伝えられ、ギリシアの法との類似が指摘されることもあるが、一般的には現行の慣習法を成文化したものであった。成文法の制定は、従来の貴族による法知識の独占を破る意味をもっていた。
一般的に認められているところによると、第1~3表は民事訴訟法、第2表は訴訟手続、第3表は執行、第4、5表は相続法と家族法、第6、7表は物権法と債権法、うち第6表は所有権と法律行為、第7表は隣接地間の関係に関する規定、第8表は刑法または不法行為法、第9、10表は埋葬規定その他公法および宗教上の儀式についての規定、最後の2表は追加規定、をそれぞれ含んだ。
これらの規定は、後代には時代遅れとなって使われなくなっても廃止されることはなく、キケロの少年時代にもこれを暗記させられた。若干の基本的な規定は、ユスティニアヌス時代になってもなお効力を失わなかった。
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