833(天長10)年 2月15日 清原夏野ら、令の官撰注釈書「令義解」撰上。
挟み令義 柔軟か。
833年 「令義解」 清原夏野 淳和天皇 官撰注釈書
〈2018学習院大・文2/9
9世紀には嵯峨天皇とその弟淳和天皇の2系統の皇統が成立しかけたが、貴族層の支持にもとづき、嵯峨-仁明系を支えて藤原北家が執政する形に落ち着く。この仁明天皇のとき、清原夏野らによって編まれた⑤〔イ『経国集』ロ『延喜式』ハ『令義解』ニ『類衆国史』ホ『令集解』〕が施行された。」
(答:ハ)
〈2018慶大・法
以下の文章の空欄に入る最も適切な語句を語群(59語句省略)より選べ。なお文章中の[ A ]は問題作成上あえて空欄にしてある。
日本で律と令とがはじめて同時に編纂された大宝律令は、文武天皇の命により新たな律令編纂の総裁となった[ 1 ]らにより完成したものである。律令による政治が行われるようになると、律令の解釈学の気運が高まりをみせ、明法家による律令の私記なども多く出された。もっとも、それぞれで示された解釈がまちまちで不統一であったことから、[ A ]の修撰がなされ、同書に示された解釈が令と同一の効力を有するものと認められた。これによって律令の解釈の統一化は達成されたものの、逆に律令の研究は活気が失われた。[ 2 ]は、多くの解釈学説がうずもれることを恐れ、私撰の注釈書[ 3 ]を集成した。」
(答:1刑部親王、2惟宗直本、3令集解 *原問には59語の選択肢あり。Aは養老律令)
〈2016明大・文
C 藤原不比等は、(カ)律令制の整備に力をいれるとともに、娘の宮子や光明子を皇太子や天皇と結婚させて、天皇と密接な関係を結んだ。
問8 下線部(カ)に関連して述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 律令は、近江律令から存在している。
2 不比等は大宝律令の編纂に従事していた。
3 大宝令は、『令義解』として現在まで伝わっている。
4 養老令は、養老2年(718)の成立後、施行された。」
(答:問2〇 ※1×令のみ、3×養老令の官撰注釈書、4×施行は757年)〉
〈2016学習院大・法
中国文明をより徹底して吸収したという点では、法制度の分野でもこの時期のあり方が注目される。奈良時代までの社会では、④律と令を編纂し、それを使って官僚制を動かしてきたが、平安時代初期にはこれまで単行法令として発令された修正法が蓄積しており、これらを整理し直して有効なものを集めた「格」という法令集が作られるようになった。
問4 下線部④に関して、明法学の進展の結果、令の注釈書が多種作られたため、公的見解を統一した注釈書が833年に作られた。この注釈書を何というか、書物名を答えなさい。」
(答:問4令義解)
〈2015早大・人間科学
問7 下線部g律令国家の建設に関連して、律や令について述べた文として、誤っているものはどれか、1つ選べ。
ア 天武天皇の死後に飛鳥浄御原令が施行された。
イ 戸籍に基づく個別人身支配を定めている。
ウ 地方支配は受領が行うと定めている。
エ 律とは現代の刑法にあたるものである。
オ 官撰の令の注釈書として『令義解』がある。」
(答:問7ウ×)
〈2013立命館大・文法済営などA方式
清原夏野らによって編纂された令の官撰注釈書である『[ B ]』などによって今日まで伝えられている。
(答:令義解)〉
〈2000センター追 正誤問題
令の条文についてさまざまな解釈がなされていたのを統一し、政府による公式解釈を示す ために、『令義解』が編纂された。
(答:正文)
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