次の文章を読んで下記の問に答えよ。
天保のころから、農業生産をもとに年貢を取り立てていく幕藩体制は既に転機を迎えていた。
19 世紀になると、商品生産地域では、商人が原料・器具などを生産者に前貸し、その生産物を買い上げる( 1 )工業が発達した。
これを契機に大坂周辺や北関東などでは(a)奉公人が集められ、織物業を中心に(b)新しい生産形態が見られるようになった。
諸藩では有能な人材を登用し、財政再建と藩政改革を行った。
薩摩藩では、新たに登用された( 2 )が大坂商人などからの借財を帳消しにし、奄美の砂糖の専売と琉球との貿易拡大によって財政
を立て直した。
( 3 )は鹿児島に(c)洋式工場群を建設し、また島津忠義は長崎の外国商人から洋式武器を買い入れ軍事力を強化した。
長州藩では、( 4 )が多額の負債を整理し、紙や蝋の専売を行うとともに、兵制を改革して権力強化をはかった。
また、瀬戸内地域を中心に加工業や商品生産が進んでいたことや、下関が物資の中継基地であったことから、(d)下関に金融や倉庫業を営む役所を置いて藩の財政収益をあげた。
佐賀藩では、小作料の猶予や(e)土地の一部を藩に返させたりして本百姓体制の建て直しがはかられた。
さらに、陶磁器の専売が藩の財政に余裕をもたらし、1850 年には日本で最初の( 5 )が建設され、大砲の製造などの洋式軍需工業がおこった。
こうして(f)西南の各藩は、新しい人材を登用して財政再建と軍事力強化をはかり、( 6 )として幕末の政局に強い発言力をもち、幕
末・明治維新期には大きな役割をになったのである。
[設問]
(1) 空所 1~6 を最も適当な語句または人名で埋めよ。
(2) 下線部分(a)について、この奉公人となった人々の出身は主にどのような職業階層であったか、記せ。
(3) 下線部分(b)について、この新しい生産形態とは何か、その名称を記せ。
(4) 下線部分(c)について、この洋式工場群は何と呼ばれたか、その名称を記せ。
(5) 下線部分(d)について、この役所は何と呼ばれるか、その名称を記せ。
(6) 下線部分(e)について、このような改革は何と呼ばれるか、その名称を記せ。
(7) 下線部分(f)について、土佐藩において、吉田東洋を登用して藩政改革を行い、後に将軍慶喜に
大政奉還を建議した人物は誰か、記せ。
[解 答]
(1) 1 . 問屋制家内 2 . 調所広郷 3 . 島津斉彬 4 . 村田清風 5 . 反射炉 6 . 雄 藩
(2) 農 民 (3) マニュファクチュア( 工場制手工業) (4) 集成館 (5) 越荷方 (6) 均田制 (7) 山内豊信 ( 容 堂 )
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