炭酸神戸店 胡椒苦や。
湛慶 三十三間堂千手観音像(さんじゅうさんげんどうせんじゅかんのんぞう)(康弁(こうべん)・興福寺天灯鬼竜灯鬼像(てんとうきりゅうとうきぞう) 康勝(こうしょう)・六波羅蜜寺空也上人像(ろくはらみつじこうやしょうにんぞう)
[正誤問題]
1.市聖と呼ばれた空也をかたどった、六波羅蜜寺の「空也上人像」は国風文化を代表する彫刻である。(答:国風文化→鎌倉文化)
〈2014立大・法経済異文化コミュ
4.1180年、平清盛は〈 え 〉に、平氏に敵対する興福寺や東大寺の衆徒を攻撃するよう命じ、そのため奈良の諸寺院の多くが焼失してしまった。その後、奈良の諸寺を復興するさいに大きな役割を果たしたのが、奈良の仏師たちである。彼らの作業場は仏所(工房)の形をとるようになった。寄木造の技法が、1つの仏像を大勢の工人で造ることが多かったためである。そうしたなかで興福寺に仏所をかまえた奈良仏師のなかから、快慶や運慶、運慶の第3子で興福寺の竜灯鬼像を造った( チ )らが登場し、力強い写実性を有し、豊かな表情にあふれる仏像を生みだした。
(答:え平重衡、チ康弁)
京都三十三間堂の本尊(坐像)は、鎌倉時代の仏師湛慶の代表作であるとともに、十一面四十二臂像の典型作である。
The statue of principal image at Sanjusangendo Temple in Kyoto (seated statue) is a representative work of Tankei, a Busshi (a sculptor of Buddhist statues) in the Kamakura period and is a typical statue with 11 faces and 42 arms.
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