847年(承和14年)12月 円仁、『入唐求法巡礼行記』成る。
橋成す入唐 求法巡。
847年 円仁 『入唐求法巡礼行記』
[ポイント]
1.円仁は祖とする比叡山延暦寺に拠る山門派の祖で、その著書に『入唐求法巡礼行記』がある。
[解説]
1.真言宗の密教を東密とよび、最澄が創始した天台宗の密教を台密とよんでいる。その後台密は弟子の代に本格化し、円仁の派と円珍の派に分かれる。
2.10世紀末以降、円仁の門流は延暦寺に拠(よ)って山門派とよばれ、円珍の門流は園城寺(三井寺)に拠って寺門派とよばれ、両者は対立した。
3.円仁(794~864)は、最澄の弟子で、唐に留学(838~847)し天台教学・密教を学ぶ。諡(おくりな)は慈覚大師(じかくだいし)という。
4.円仁の著した『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』はその際の旅行記で、史料が少ない唐末を知る上で世界史上貴重な史料である。
〈2015立命館・全学部
(h)下線部8. 高い力を有する僧はこれら有力者との個人的な関係を構築したに関連して、中国に留学し、帰朝して第3世天台座主となり、ときの天皇に灌頂を授けた僧は誰か。漢字2文字で答えよ。
(答:円仁※清和天皇に灌頂を授けた)
〈2012立命館大学・法文経済経営など
(b)下線部2念仏によって阿弥陀浄土への往生を願う浄土教に関連して、浄土教が日本に本格的に定着するのは、838年に入唐して天台教学や密教を学び五台山を巡礼して847年に帰国した天台僧の影響も介在している。この僧の名前を漢字2字で答えよ。
(答:円仁)〉
〈2011文教大・全学部:「下線部(g)円仁に関連する天台宗内部の派閥について述べた文として正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。
(1) 円仁の門派は山門派と呼ばれ、延暦寺に拠点を置き続けた。
(2) 円仁の門派は寺門派と呼ばれ、園城寺に拠点を置いた。
(3) 円珍の門派は寺門派と呼ばれ、延暦寺に拠点を置き続けた。
(4) 円珍の門派は山門派と呼ばれ、園城寺に拠点を置いた。
(答:1 ※2円仁は山門派、3延暦寺は山門派、4園城寺は寺門派)
三人珍事を。
山門派 円仁 円珍(えんちん)・寺門(じもん)派 園城寺(おんじょうじ)
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