
▲金印
●弥生時代
King of the state of Na offers tribute to the Later Han dynasty and is awarded the gold seal of the king in return.
こんな金印(きんいん) 欲しかった。
57年 光武帝 奴国 金印 志賀島
『漢書』地理志によると、紀元前後の「倭人」の社会は、百余国に分かれていたという。『後漢書』東夷伝には、57年に倭の奴国の王が後漢の光武帝のもとに貢物を贈って金印を授けられたとある。このときに授与されたと考えられる「漢委奴国王」と刻まれた金印が、江戸時代の天明4(1784)年に福岡県の志賀島で発見された。
[問題]
つぎの各史料を読み、問1~7に正確な漢字で答えなさい。なお、史料は年代順に並んでいるとはかぎりません。
A.建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。使人、自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。(1)〔 〕、賜ふに印綬を以てす。安帝の永初元年、倭国王帥升等、(2)〔 〕百六十人を献じ、請見を願う。桓霊の間、倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主なし。(後略)(原漢文)
B.大業三年、其の王、(a)多利思比孤、(b)使を遣はして朝貢す。(中略)其の国書に曰く、
「日出づる処の天予、書を日没する処の天子に致す、恙無きや云々」と。(c)帝、之を覧て
悦ばず。(後略)(原漢文)
C.夫れ(d)楽浪海中に倭人有り、分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。(後略)
(原漢文)
D.興死して弟武立つ。自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事
(3)〔 〕大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年使を遣はして上表しなて曰く、「封国は
偏遠にして(4)〔 〕を外に作す。昔より祖爾躬ら甲胃をつらぬき、山川を跋渉して寧処
に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北
を平ぐること九十五国」(後略)(原漢文)
問1史料中の空欄(1)~(4)に入る適切な語句または人名を答えなさい。
問2下線部(a)の多利思比孤とは、この史料から判断して誰と考えられますか。
問3下線部(b)の朝貢に対する答礼使として派遣されたのは誰ですか。
問4下線部(c)の帝とは誰ですか。
問5史料Cの載せられている書物の著者は誰ですか。
問6下線部(d)の楽浪郡を設置したのは誰ですか。
問7史料Dの載せられている書物の書名を答えなさい。
[解答]
問1.(1)光武 (2)生口 (3)安東 (4)藩
問2.推古天皇
問3.裴世清
問4.煬帝
問5.班固
問6.漢の武帝
問7.宋書(倭国伝)
解説 問6. 中国の朝鮮 支配
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