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985(寛和元)年 〈源信、『往生要集』を著す〉★

2016-02-07 | 『新世界史頻出年代暗記』

 

●平安時代(一条天皇)

The Ōjōyōshū was an influential medieval Buddhist text composed by Buddhist monk Genshin.

苦(く)は御免です 泳げんし。

        985年               『往生要集』   源信 

 

985年、横川の恵心院に隠遁していた源信浄土教の観点より、多くの仏教経典論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書、『往生要集』を著して死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創った。

また、『往生要集』が撰述された直後に、北宋の周文徳という人物が本書を持って天台山国清寺に至り、会昌の廃仏以来、五代の混乱によって散佚した教法を、中国の地で復活させる機縁となったことが特筆される。

 

 

 

 

 

〈2014早大・国際教養

6 下線郎f造寺・造物・写経等が盛んになりに関連する記述として、誤っているものはどれか。1つ選べ。
  
 ア 豊後国の豪族は富貴寺大堂を建てた。
 イ 定朝は寄木造による和様の仏像様式を大成した。
 ウ 藤原頼通は宇治に平等院阿弥陀堂を建てた。
 エ 藤原清衡は平泉に中尊寺阿弥陀堂を建てた。
 オ 源信は『往生要集』を書き、醍醐寺を建てた。

(答:オ ※醍醐寺の創建は違う)

〈2014早大・教育

問6 下線部e「濁世末代」から「往生極楽」するためには、念仏などの実践がもっとも有効な方法であるいう教えに関連する説明で正しいものはどれか。
 ア 慶滋保胤は『日本往生極楽記』を著して、これから念仏往生しそうな人々を記録にとどめた
 イ 比叡山の源信が著した『往生要集』は、宋に送られて広まったと言われている。
 ウ 六波羅蜜寺に伝わる空也像は、笏と太鼓をもって口から「南無阿弥陀仏」を唱えている立ち姿である
 エ 釈尊の死後、正法・中法の世についで末法の世がおとずれるという思想も浄土信仰を加速した
 オ 関白を務め終えた藤原道艮が晩年に建立した法成寺は、阿弥陀堂を中心とした壮麗なものであり、道長はここで死を迎えた

(答:イ ※ア『日本往生極楽記』は、これから念仏往生しそうな人々ではなく、往生を遂げた人々の伝記を集めたものである、ウ六波羅蜜寺に伝わる空也像は笏と太鼓ではなく、胸に下げた太鼓を鳴らす撞木を右手に、左手には鹿の角をさした杖をもっている、エ正法・像法・末法の順である、オ藤原道長は関白には就任していない)

〈2012法政大・法営文

問6.下線部A「末法思想」について、80字以内で説明せよ。」

〔解答例〕釈迦の死後、正法・像法を経て末法という乱世に突入するという仏教の予言思想。1052年に末法に入ると考えられ、浄土教信仰が強まる要因となる。(67字)〉

 

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