
●江戸時代(後西天皇 徳川家綱)
1657(明暦3)年 〈明暦の大火(振袖火事)〉★
Conflagration of Meireki ravages Edo, killing more than 100,000 people.
広(ひろ)くご難で べらんめい。
1657年 広小路 明暦の大火
1657年、本郷丸山の本妙寺で、信者が託した娘の振袖を焼こうとして出火、風に煽られて大火となった。振袖火事ともいわれるこの明暦の大火は江戸城も類焼し、焼死者10万を記録、江戸市中の半分以上を焼き尽くした。幕府は市街地の再建に際して広小路と名付けた火除地を設定し、翌1658年には定火消の制度がつくられた。
〈河村瑞賢〉 江戸前期の豪商河村瑞賢は明暦の大火に木材を商って巨利を得、豪商となった。幕命により江戸廻米のための東廻・西廻り航路を開くことに成功。また、淀川治水のため安治川を開いた。
「川も随分西東。」と、この人物も押さえておこう。
河村瑞賢 西廻り・東廻り航路 安治川開削
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