奢る時政 まっぴらと。
1205年・時政 平賀朝雅 牧の方の女婿(じよせい))(牧の方)
[ポイント]
1.北条時政は1205年、牧の方の女婿を将軍に擁立しようとして失脚した。
1205.7 有力御家人の畠山重忠を謀殺する。
.9 後妻牧の方の娘婿平賀朝雅(ひらがともまさ)を将軍に擁立せんとして失敗失脚。
[解説]
6.畠山重忠は、1205年、時政に滅ぼされた。台頭してきた牧氏(牧の方は時政の後妻)と対立。さらに時政が、畠山氏の所領武蔵国を奪わんとしたことが、衝突の原因である。
7.時政と牧氏の勢力が、1205年に実朝を殺害して牧の方の娘婿である平賀朝雅を将軍に立てようとする陰謀事件がおこった。時政の前妻の産んだ子である北条政子および北条義時がこれを阻止、時政は引退させられて伊豆に隠棲した。
〈2015早大・文
3 下線b.鎌倉時代は政争が多いねに関連して、鎌倉時代の政争や事件の説明として正しいものを1つ選べ。
ア 源頼家は比企能員の乱で殺された。
イ 北条時政は平賀朝雅の将軍擁立に失敗して引退した。
ウ 政所別当和田義盛は挙兵して討たれた。
エ 源実朝が公焼に殺されたため、皇族将軍が迎えられた。
オ 名越光時は宝治合戦で一族とともに滅亡した。
(答:イ ※ア北条氏の討手により修禅寺にて謀殺、ウ和田義盛は侍所別当、エ迎えられたのは摂家将軍頼経、オ名越光時は摂家将軍頼経を支持する反北条得宗家の中心御家人で、頼経京都送還失脚、配流された)〉
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます