1898年中国分割
いや悔むだろ エグいとこ。
1898年 大連(旅順)・露 英・九龍半島・威海衛(いかいえい) 独 膠州(こうしゅう)湾
[ポイント]
1.1898年、ロシアは遼東半島を、ドイツは膠州湾を、イギリスは九龍半島・威海衛を、清国から租借、翌年にはフランスは広州湾を租借した。
[解説]
1.日清戦争によって清国の弱体ぶりを知った欧米列強は、あいついで同国に租借地を獲得し、各租借地を拠点に勢力圏を設定し鉄道建設などをしていった(中国分割)。
2.まず1898年に、ドイツが山東半島の膠州湾を、ついでロシアが遼東半島の旅順・大連を、さらにイギリスは九竜半島・威海衛を、翌年にフランスが広州湾を租借した。
3.租借とは、外国がその国の領土を借りるという名目で、一定期間実質的に植民地化することをいう。ちなみにロシアは遼東半島南部を25年間租借の権益を得ている。日露戦争後(1905)、日本は残りの租借権を得た。残りわずかになった租借の延長を二十一カ条要求(1915)に入れることに。
4.勢力圏とは、第三国にその一定地域を租借させないことを約束させ、自国の勢力地域とすること。この結果、中国は国土を分割され事実上の半植民地状態に陥り、各国はこれらの勢力圏に鉄道建設などを進めていった。
5.アメリカは、この年1898年にはハワイ王国を正式に併合し、ついでフィリピンを植民地化した。しかし、中国に関しては分割に出遅れたため、翌年に国務長官ジョン=ヘイが門戸開放・機会均等を、日本をふくめた列国に提案して、各国の勢力範囲内での通商の自由を要求した。
6.アメリカは、モンロー宣言(ヨーロッパの事態に介入しないかわりに、アメリカ大陸へのヨーロッパ諸国の介入を拒否するという大統領宣言、1823年)を発していたが、この門戸開放宣言によって外交姿勢を転換した。
〈2017早大・商
問F 下線部の遼東半島に関する記述のうち、誤っているものを2つマークせよ。
1.ロシア、フランス、ドイツによる返還勧告により、清に返還された。
2.ロシアが半島の南部に当たる旅順・大連地域を清から租借した。
3.ロシアの旅順・大連地域の租借権を日本が譲り受けた。
4.旅順の関東総督府が大連に移され、関東都督府とされた。
5.二十一カ条の要求により、租借の期限を50年問に延長した。」
(答:4×「旅順の関東総督府が大連に」→「遼陽の関東総督府が旅順に」、5×「50年間」→「99年間」)
〈2016立命館大・全学部2/4
[ C ]年に始まった第一次世界大戦に参戦した日本は、中国の[ D ]省にあったドイツの租借地である[ E ]を占領し、翌年に中国に対して突きつけた、いわゆる[ F ]の要求によって、旧ドイツ権益の譲渡を迫った。こうした日本の姿勢は中国国民の激しい反発を引き起こしたが、1917年に取り結ばれた石井・ランシング協定によって、アメリカはこうした日本の権益を承認した。
問e 空欄[ C ]にあてはまる、もっとも適当な西暦年を答えよ。
問f 空欄[ D ]にあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。
問g 空欄[ E ]にあてはまる、もっとも適当な地名を答えよ。
問h 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。」
(答:C1914年、D山東、E青島、F二十一カ条)〉
〈2012大学センター日本史A
三井物産は当初、政府によるヨーロッパ向け米輸出を仲介するなどして利益を得ていた。しかし、しだいに取扱商品の種類を増やしていき、肥料や海産物、さらには石炭などを取り扱うようになった。また、日本国内での紡績業の発展に呼応して、dイギリスからの紡績機械の輸入や、清国やインドからの原料綿花の輸入なども手がけるとともに、保険や貿易関連業務にも携わっている。このように、多様な商品を取り扱い、世界各地に支店を設ける商社のことを総合商社とよぶ。三井物産の成功をうけて、後年、日本には多くの総合商社が誕生した。
問5 下線部dに関連して、近代の日本と諸外国との関係に関して述べた次の文X・Yについて、その正・誤を判断せよ。
X 第一次世界大戦が始まると、日本は、イギリスが清国から租借していた香港を攻撃した。
Y 桂-タフト協定により、日本はイギリスのインド権益を認め、イギリスは日本の朝鮮権益を認めた。」
(答:X誤。「イギリスが清国から租借していた香港」→「ドイツの根拠地山東省の青島とドイツ領南洋諸島」。 Y誤。桂一タフト協定(1905)は日米間の協定)〉
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