10服地で/政子は/洋裁す
(寿福寺)(北条政子)(栄西(ようさい))
[ポイント]
1.寿福寺は北条政子が創建、開山は栄西。
[解説]
1.栄西(1141~1215)は臨済宗の祖。28歳(1167年)のときに続いて、47歳(1187年)のとき再渡宋して帰国後、北条政子の帰依を得て鎌倉に寿福寺(1200年、鎌倉五山第3位)、京都に建仁寺(1205年、京都五山第3位)を開いた。
〈2015立大・文
問5.これ鎌倉時代の都市鎌倉に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.勧進僧往阿弥陀仏が、この地に近い和賀江島に港湾施設を築いた
b.市中は保という行政区画に分けられ.保奉行人がおかれた
c.北条時宗の招きで来日した無学祖元が、円覚寺と寿福寺を開いた
d.若宮大路が由比ヶ浜まで延ばされ、計画的な街路がつくられた」
(答:c×時宗の招きで来日した無学祖元が円覚寺を開いたが、寿福寺は開いていない。寿福寺を開いたのは栄西、※a鎌倉時代初期に往阿弥陀仏という名の勧進(寄付集め)僧が、鎌倉の材木座に和賀江島を築港している。ここで日宋貿易が行われた、b京都から帰還したた北条泰時は、鎌倉に京都にならって保という行政単位を設け、保奉行人を置いた、d由比ヶ浜から鶴岡八幡宮まで)〉
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