Serbia
6世紀にビザンチン帝国領となり、スラブ族のセルビア人が移住、12世紀に独立した。1389年6月15日、コソヴォの戦いに敗れてオスマン-トルコに服属(セルビアの国恥記念日)。
1804~16年に独立戦争を起こし、自治を認められたのちも反抗を続け、78年、ベルリン会議の結果、セルビア王国として独立した。
ロシアの汎スラブ主義下に大セルビア主義を掲げ、オーストリアの南下政策と衝突。
1908年オーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナ併合は、14年6月のサラエボ事件に発展し、第一次世界大戦の導火線となった。
大戦後の18年、サン=ジェルマン条約により、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国の中核となり、29年、ユーゴスラビアと改称。
第二次大戦後、社会主義のユーゴスラビア連邦では6共和国のうち最大の共和国となる。
1992年モンテネグロとともにユーゴスラビア連邦共和国を結成した。
2003年、国家を再編し、国家連合セルビア・モンテネグロに移行したが、2006年にモンテネグロの住民投票でモンテネグロは独立を宣言し、セルビア・モンテネグロは解体された。
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