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上杉禅宗の乱

2018-09-03 | Weblog

1416年 上杉禅宗の乱 上杉氏憲(うじのり)は、4代目鎌倉公方足利持氏との不和で関東管領を辞し、入道して禅秀と号した。
禅秀は、反持氏の満隆(持氏の叔父)と反義持(4代将軍)の義嗣(義満の4男で義持の弟)とらとはかり挙兵したが、義持の幕府軍の来援で敗れた(1416~7年、)。義持と持氏は奇しくも4代目であることを意識。

一死披露へ 禅秀も。

1416年       上杉禅秀の乱 義持 持氏



[ポイント]

1.上杉禅秀は、1416年、挙兵し、持氏および義持に敗れた(上杉禅秀の乱)。

[解説]

1.上杉氏憲(うじのり)は、4代目鎌倉公方足利持氏との不和で関東管領を辞し、入道して禅秀と号した。

2.禅秀は、反持氏の満隆(持氏の叔父)と反義持(4代将軍)の義嗣(義満の4男で義持の弟)とらとはかり挙兵したが、義持の幕府軍の来援で敗れた(1416~7年、上杉禅宗の乱)。義持と持氏は奇しくも4代目であることに注意。


〈2016関西学院大学・全学部

問2.下綿部bに関する説明として、正しいものを下記より選びなさい。

 ア 義満は、美濃・伊勢の守護を兼ねた土岐康行を追討した。

 イ 義満は、西国11カ国の守護を兼ねた大内氏の内紛に介入し、大内義弘を滅ぼした。
 ウ 義満は、周防・和泉などの守護を兼ねた山名氏を討伐し、山名氏清を滅ぼした。
 エ 義満は、鎌倉公方に反旗を翻した前関東管領の上杉禅秀を討伐し、これを滅ぼした。 

(答:ア 

1390年(明徳元年)土岐康行の乱 義満は、美濃・伊勢の守護を兼ねた土岐康行を追討した。

いざ暮れる時 休み行き。

1390年 伊勢 土岐康行 美濃    

※イ×大内義弘を滅ぼした(応永の乱、1399年)のは正しいが、11カ国が6カ国の誤り、ウ×山名氏清を滅ぼした(明徳の乱1391)のは正しいが、周防・和泉はイの大内義弘の領地、エ×上杉禅秀の乱(1416~17)は鎌倉公方足利義持を襲った乱、4代義持が救援し禅秀を討った。義持は9歳で将軍になったが、父義満没(1408)後にようやく実権を握っていた)

〈2013早大・国際教養

問6 下線部e(義満が)国釣を秉(と)りが指している事態として最も近いものはどれか。1つ選んで、マーク解答欄紙の該当記号を選べ。

 ア 室町幕府を開設した。

 イ 後醍醐天皇を幽閉した。
 ウ 征西府を設置した。
 エ 太政大臣に就任した。
 オ 上杉禅秀の乱を鎮めた。

(答:エ)〉



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