守護の権限の拡大
大使仮断然主
(大犯(たいぼん)三か条・刈田狼藉(かりたろうぜき)取締権)(使節遵行(しせつじゅんぎょう)(半済(はんぜい)・段銭(たんせん)・守護請(しゅごうけ))
[ポイント]
1.守護は、従来の大犯三か条に加え、刈田狼藉取締権や使節遵行を獲得、さらに半済地の支給権・守護段銭徴収権・守護請を獲得して、守護大名へと成長していった。
[解説]
1.鎌倉時代初期の守護権限は、守護がその職務をテコとして国ごとに自立することのないように、大犯三か条に限定されていた。しかし幕府は南北朝内乱・観応の擾乱を鎮めるため、大犯三か条を超える権限を守護に付与した。この職権拡大により守護は、従来国衙がもっていた行政権を吸収してゆき、一国の支配権を確立した。さらに同時に幕府からの自立もすすめ、守護による領国支配(守護領国制)へと進んだ。
2.刈田狼藉取締権の 「刈田狼藉」は、収穫以前の他人の田の作物を刈り取る行為。多くはその領地をめぐって争う両者の一方が収穫を先に確保する目的で行う。この田地紛争を取締る権限
3.使節遵行は、室町幕府が出した判決を強制執行する権限。幕府が守護の権限拡張を容認して与えた権限。将軍の使節となって判決を遵守実行を容認させるということ。
4.半済地支給権は、領国内の荘園・公領の年貢の半分を武士に分配(半納)する権限。南北朝時代、足利尊氏が兵粮料所(軍費調達)として、近江・美濃・尾張3国に1年限りで半済を承認した(観応の半済令、1352)。これが制度的な年貢の半済(半納)のはじまりである。やがて全国化、恒常化。また応安半済令(1368)以後下地(土地)そのものの分割まですすむ。
5.守護段銭は、田地1反(12a)単位、棟別銭は家屋の棟数によって課せらた銭・夫役の賦課 臨時税。従来段銭の賦課は朝廷や幕府の権限で、守護を通じて全国から徴収していた。次第に守護が私的かつ頻繁に課すようになり、既得権化したもの。
6.守護請は、荘園・公領の年貢納入を一定額で請け負う。武士勢力による年貢横領に苦しんだ国司・荘園領主が年貢確保を目的に守護の実力に期待して依頼したもの。
〈2016早大・文化構想
問5 下線c守護の権限に関連して、室町時代の守護の権限として正しいものはどれか。2つ選べ。
ア使節遵行 イ地下検断 ウ刈田狼藉 エ段銭の徴収 オ宗門改め」
(答:ア・エ ※ウ×守護権限は「刈田狼藉」の取締権であって刈田狼藉ではない。引っかけのウの後ろに正解のエを隠してある。常套的作問法です、引っかからないように)
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