中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

さらば、赤星…

2009-12-09 17:53:24 | Weblog
 ついに「この日」がやってきた、か。赤星引退―の一報を受けたとき、そう思った。発表のタイミングには驚いたが、その事実は胸にストンと落ちた。来るべき日が来た。個人的にはむしろ、遅かったと思うくらいだ。

 なぜそういうかというと、自分も赤星と同じ「頸椎ヘルニア」を患っているからである。これは以前にも書いた。ただ、自分の場合は軽度であり、約3年に及んだ投薬の結果、完治には至らないまでも症状は改善できた。赤星は違う。症状も重度でありながら、プロ野球選手として全力プレーをしなければならなかった。2年前だったか「両手がしびれているんです」ということを聞いたとき、そのオフでの現役引退が脳裏をよぎったものだ。

 それから2年も頑張った。大したものだ―と素直に思うし、尊敬に値する。頸椎ヘルニアより重度の病名を彼は口にした。状況は我々の想像をはるかに越え、深刻だったのだ。それでも、来季に向けて頑張ってきた。医者に「もう無理だ」と言われなかったら、ボロボロの身体にムチ打ってやっただろう。そんな男だ、赤星という選手は。

 普通の生活を普通にできるように、身体を慈しんでほしい。まだ若いのだ。まだこれからなのだ、人生は。彼のプレーはもう見られないが、将来を考えた場合、いい選択をしたと思う。「会長、ご苦労様、お疲れさん!」。僭越ながら、そう言わせてほしい。

人が「生きる」意味

2009-12-09 11:55:28 | Weblog
 空は、どこまでも碧かった。
 碧い空は、どこまでも果てしなく、澄み渡っていた。透き通っていた。
 そんな透き通った空が、憎らしかった。
 憎らしい空は、たまらないほど、碧かった…。

 田舎に帰った。三重・鳥羽の空は、きれいに晴れ渡り、清んでいた。それとは裏腹に、自分の心は分厚い雲に覆われたように、濁っていた。従兄が死んだ。50歳で天に召された。あの真っ青な天に、持っていかれた。

 告別式で、泣いた。子供のころ、よく遊んでくれた従兄だった。そんな従兄に病魔が襲った。凶暴な獣(けもの)に食いちぎられるように、短い時間で命を奪われた。獣の名前は、胃ガンだった。憎んでも憎みきれない凶暴なヤツめ…。幼い子供2人が哀れで、泣けてきた。

 人は、必ず死ぬ。誰だって等しく、死は訪れる。早いか、遅いか、は別にして。「死」に向かって、人は懸命に毎日を生きている。従兄は、一級建築士であり、詩人だった。死ぬその瞬間まで、仕事を想い、詞を作っていた。愛する家族の詞を…。「詞のボクシング」という県大会で優勝し、全国大会まで出た持ち主だった。斎場にその詞が流れると、また涙が出てきた。

 人は何のために生きるのか…。それを考えながら、帰ってきた。答えは簡単なはずなのに、わからない。ただ、人として懸命に生きればいい、と思っている。従兄は「人として」懸命に生き、そして逝った。

 プロ野球とも、スポーツとも関係のない、個人的ことを書いた。皆さん、きょうばかりはお許しあれ。