金山のまぼろし

全力で生きる!!

90 無断欠勤(前編)

2021-05-07 10:41:05 | 幻の走り屋奮闘記エピソード2

 

 

天国のようなゴールデンウイークは過ぎ去った。

 

天国というのは、鉄の扉制作会社での勤務時間中が地獄だったからだ。

 

その地獄をゴールデンウイーク前は一定のペースで勤務して気付かないように過ごしていたから辛うじてすり抜けて来られたが、ゴールデンウイークで鉄の扉制作会社に行かない時間を設けられたことでハッキリと心の中が分かってしまった。

 

なんてことだ。

 

ゴールデンウイークなんて無ければよかった!でも天国だった!

仕事を続けたくない!

行きたくない!

 

毎日やっとの思いで定時まで頑張って、その後1時間位金山に行って、PM7:30頃に家に帰り、母親がすぐに夕飯を作ってくれてテレビを見ながら祖母と3人で食事をする。

その後は車雑誌などを眺めながらテレビも見る。

あっという間にPM12:00になってしまうので急いでお風呂に入り、ベッドに入る。

 

そして10分くらい床でレッドバッジシリーズで知識を貯める。

 

大体いつも強烈な睡魔が襲ってきて起きていることは難しい。

でも、寝たくない。

明日になってほしくない。

明日の朝になれば決まった時間に起こされて朝食を食べて、決まった時刻に鉄の扉制作会社に行かなければならない。

 

行きたくないから、寝たくない。

 

朝になって欲しくない、と思いながらいつも意識が無くなって朝を迎える。そして辛い日々が繰り返されていく‥。

 

 

5月の中旬の平日、いつものように朝起こされて朝食を嫌々食べて、そして大好きなハチロクに乗って、大嫌いな鉄の扉制作会社に向かう‥。

 

朝、僕は途中まで鉄の扉制作会社に向かうルートを走り、‥衝動的にきびすを返し金山に向かっていた‥。

 

どうしても今日は鉄の扉制作会社は無理だ‥。

 

気が付いたら金山のコースに入っていた。

 

朝はハイキングやジョギングしていたりする老人が沢山いるから飛ばしてはダメだ。

 

そのままコースを上っていき、頂上の駐車場に着いた。

 

AM8:15

 

今、鉄の扉制作会社では朝の朝礼をしている時間だ‥。

 

もう後戻りできない…。

 

こんなに僕は不埒な人間だったのか?

 

会社に行きたくないから、さぼってしまうなんて‥やっていいことなのだろうか?

 

工場長には気をかけていただいたり、「順調だね」と言われながら信頼をもらっていた、はずだ‥。

 

 

仕事に穴を空けてしまった。

 

考えても、もうやってしまっていることだ‥。

 

 

 

くるくるハンドルで運転席側の窓を開けていたが、時たま車内に入って来る風が気持ちいいことに気付いた。

 

今いる駐車場の更に北方向には遠い昔の戦国時代に城が建っていたらしい。

その跡地が登って行くと今もある。

 

金山城跡地に歩いて登って行きたくなった。

 

ハチロクの外に出ると更に空気が気持ちよかった。

日差しも気持ちよく、ハイキングの人たちの車がパラっとあるくらいだった。

 

跡地に登る前に展望台の方を見たら太田駅やその隣にあるベルタウンやスバル工場、熊谷と太田を直接で繋ぐ国道407が細い線で見えた。人は小さすぎて見えないが車がかろうじて動いているのが見えた。

ここは太田市は誇る絶景ポイントだ。

夜の夜景とはまた違った景色を見せてくれる。

 

僕は少し眺めたあと、山道を登って行った。

 

足元はごつごつしているが草は全く生えていない。

沢山の人たちが登ったり降りたりするので土も固められている。

ここは小学生の時に遠足で来た覚えがあるが、その時と変わっていない雰囲気だ。

 

一歩一歩足を運びながら、これからの事を考えていた。

 

過去の事も考えた。

 

過去から現在、そして未来を想像すると途中で何か宝くじでも当たらなければ幸福の未来なんて来ない気がする。

高校の頃も中学の頃も、もちろん小学生の頃も勉強は出来なかった。

中学の頃は偏差値43くらいだった。

まぐれで48だったこともある。

 

そもそも生まれながらの偏差値60以上のクラスメイトは幸運だと思った。

勉強していない風だったが、実は影で勉強していたのだろうか?

いつもヘラヘラしていた人だったのに、隠れて勉強をしていたのだろうか?

でも、授業中その人を観察していたが「かったりぃー」みたいなオーラを出していたのを覚えている。

まあ、そんな人は突然変異だ。

 

みんな勉強したくなかったけれど、嫌々していたんだ。

その嫌々でも勉強しなかった人が偏差値30代なんだと思う。

 

僕なんかは勉強やりたくなさ過ぎたけど、勉強している格好をしなかったら母親に怒られるから、勉強机にずっと座っていたな‥。

頭の中では、色々は面白いことを想像して時間を潰していたな。

だから、結局やりたくない勉強はできない体質だったのだ。

 

廊下を歩く母親の足音がしたら、セットしていた教科書とノートにシャープペンシルを当てていたな。

たまに眠くならないように母親がホットコーヒー牛乳を作ってきてくれて、それを飲みながら何か空想していたな。

でも、そもそも飲み物出されたって、テストの点が良かったらゲームソフトを買ってあげる、と言われたって、出来ないものは出来ないのだ。

 

怒られるのが嫌だから勉強出来たのなら、勉強なんてさっさとしているさ。

やらなければならないと分かっていても、勉強出来なかったのだ。

学校でもあんな肩身の狭い思いなんてしたくないから、出来るんだったらしていたさ。

 

勉強ができなくても、スポーツができるならまだ学校生活は楽しそうだ。

 

僕にはそれも無かった。

 

音楽は1だった。リコーダーなんて吹けなかった。だから、リコーダーのテストが怖かった。

 

ただ、僕は絵を描くのが好きだった。

学生の時は「絵が上手いね」と良く言われた。

だから、一縷の望みで東京のゲームデザイナー学院に行ったのだ。

でも、当たり前だが絵が好きくらいでは就職できなかったから、夢破れて群馬の車の部品工場に就職したのだ。

 

 

くだらない人間を長い時間をかけて作り上げたのだ。

 

母親と苦労しながら、僕はくだらない人間となったのだ。

 

 

「そうはいかせるか!」とあがいたところで、何も起こらない。

 

何も起こせないのは知っている。

 

人と接するのが嫌だという動かしようのない僕の欠点があるからだ。

 

 

そんなはずはない!

 

と言いたかった。