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CTNRX的文學試行錯誤 ♯012

2023-07-02 21:00:00 | 編集後記/追記

 ■寓話

 『雑談ネタにもならない雑学 ♯03−B』補足として。

 ▼寓話(ぐうわ)

 比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。名指しされることのない、
 つまりは名無しの登場者は、動物、植物、自然現象など様々だが、必ず擬人化されている。主人公が、もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を表現したりする本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって読者の興味をひき、解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ。民話によく見られるように、物語の語り末には寓意的な解釈を付け加えることが習慣的に行われてきた。

 ▼歴史

 〔古代オリエント

 寓話は、神話と同様にとても古い文献に発見されている。
 現時点では古代オリエントのものが最も古い。
 古代ギリシャ・ローマ以前の寓話は、アイソーポス(イソップ)以前の寓話 Ante-Aesopic fable と総称されている。
 19世紀後半から古代オリエントの楔形文字が解読され、1931年にドイツのアッシリア学者エーベリングがいくつかの文献をまとめて「バビロニアの寓話」として訳した。
 その後も文献は発掘されたが、寓話の研究は衰えた。最近ではアキモトの研究がヴァンダービルト大学から発表されているのみである。
 彼の研究によると、古代オリエント(メソポタミア、エジプト、地中海東岸、アナトリア)では、寓話は口承文学として文字以前からあり、文字の発達とともに粘土板にも現れた。
 シュメール語やアッカド語の短い寓話が、諺やその他の民話といっしょに収集された粘土板は、そのほとんどが学校の遺跡から発見されている。
 ヒッタイト語とフルリ語のバイリンガルで残る寓話集は、神話と伝説の中に盛り込まれていて、ある話し手が次から次へと寓話を語っては解釈して聞かせていくという形式をとっている最も古いもので、ヒッタイト版が紀元前1400年頃、その原本となったフル人の寓話はもっと古く、紀元前16から17世紀頃のものと推定されている。
 Ninurta-uballitsu ニヌルタ・ウバルリトゥスウの古代アッシリア寓話集は、紀元前883年に完成と記されていて、編纂者名前と編纂年の判明している最古の寓話集である。
 古代アッシリア王家の書簡の中にも寓話を使ったものが発見されている。

 〔古代ギリシャ

 寓話と言えばイソップ寓話である。彼の名を冠する寓話がこのギリシャ人の作品であるかは不明で、ヘロドトスの記述外での彼の歴史的な存在も確かではないにせよ、紀元前6世紀以降の寓話は、イソップの寓話 Aesop's fable またはイソップ的寓話 Aesopic fable と総称されている。伝説的イソップと文芸ジャンルとしての寓話は、ローマと東ローマの寓話収集家および作家の手によりギリシャ語とラテン語の文献が伝承された。

 〔インド

 サンスクリットで書かれた説話集『パンチャタントラ』では、釈迦が生まれ変わるたびに色々な動物として暮らす話を教訓的な寓話として表現している。

 〔欧州

 ギリシャ語とラテン語を読み書きするキリスト教の聖職者により、寓話は中世からルネサンス期を通じて受け継がれた。
 グーテンベルグの印刷機の発明のすぐ後に、ハイリッヒ・シュタインヘーベル(英語版)がラテン語とドイツ語のバイリンガルによる「エソプス」という題の寓話集を出版してから民間に広まっていった。
 近世には個性的な寓話作家も現れ、チョーサーやラ・フォンテーヌなどの作品はよく知られている。
  英仏: Fable(英語版)(フランス語版), 独: Fabel(ドイツ語版), 伊: Favola(イタリア語版), 西: Fábula(スペイン語版)などの各言語版ウィキペディアにある寓話の記事には、国ごとの寓話の発展が記されている。

日本

 イソップは、日本の寓話にとってもやはり元祖である。
 イソップの寓話として『伊曾保物語』は、16世紀のキリシタン(切支丹)によって日本語に翻訳され、しかも印刷されている(『イソホノファビュラス』のローマ字版は、現在大英博物館蔵)。

 ▼主な作品のひとつ
    『王様の耳はロバの耳』

 《ストーリー概要

 昔、立琴(ハープ)の神(アポロン)と笛の神(パン)がどっちの音が素晴らしいかで争っていた。
 その審査をした神たちは立琴の音が素晴らしかったと言ったが、王(ミダス帝)は「自分の耳には笛の音がよく響いた」と言う。
 怒ったアポロンは「耳がよく聞こえないのだろう。耳を大きくしてやる」と王の耳をピューンと伸ばしてロバのの耳にしてしまいます。
 このことに恥ずかしくなった王は頭巾を被って耳を隠すようになる。
  だが、床屋に髪を切ってもらう事になった時、王の耳がロバの耳であることを知ってしまった床屋は、王に口止めをされた苦しさのために、森の中の葦のちかくに掘った穴(或は井戸)の底に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ。
 数日後、穴を塞いだあとに生えた葦がその言葉を言うようになる。
 それを聞いた王は床屋が言いふらしたと思って激怒するが、床屋から事情を聞いて家来に調べさせた結果、葦が言っていることを知ると恥ずかしくなって床屋を釈放します。
 アポロンはそれを見て、「お前のその寛大な心に感銘を受けた。お前の耳を元に戻してやろう」と王の耳が元に戻りました。

 《解説

 王様の耳はロバの耳」はイソップ寓話(イソップ童話)の一つですが、その大元はギリシャ神話に登場するフリギア王国の王様ミダス(ミダース)帝の逸話です。フリギアはかつてアナトリア(現在のトルコ周辺)に実在した古代王国です。
 王様の耳はロバの耳は、元は、ギリシャ神話として伝わっていますが、発祥はトルコらしいです。

 中には「自分が知ってる物語とは違う!」という人もいらっしゃるかと思いますが、イソップ物語は中世のヨーロッパでさまざま時代を経て、その時代に合わせた教訓などを組み込まれて作り出されたものなので、多様な形の物語が出来上がっているようです。
 細かい部分で無数のバリエーションが存在します。

 《主にどこが違う?》

 ▶床屋が王様の秘密をもらさないように我慢していたせいで病気になってしまう。
 ▶我慢できなくなった床屋が「王様の耳はロバの耳ー!」と叫んだ古井戸は町中の井戸とつながっており、秘密が知れ渡ってしまった。
 床屋が自分で掘った穴に向かって王様の秘密を叫ぶと、そこから生えた葦から「王様の耳はロバの耳ー!」という声が聞こえるようになる。
 床屋が秘密を叫んだ穴から木が生えてきて、羊飼いがその枝で作った笛。
 噂が広まったことで逆に隠す必要がなくなって助かったと言って王様が床屋に褒美を取らせる。

 王様の耳はロバの耳の結末は、「最終的に床屋を許した王様の寛大さを認めてアポロンが王様の耳をもとに戻してあげる」というもの。人に対して寛大な心を持つという教訓、また真実を言う勇気が必要であるという教訓を説いたおとぎ話となっているようです。 上記のようにこの他にも多彩なバリエーションがありますが、いずれも現在にも通じるような学びを与えてくれる教訓めいた内容になっていることが、王様の耳はロバの耳という物語が長きにわたって愛される理由の一つだと思います。

    〔ウィキペディアより引用〕