Crystal Heart ・・☆

私はどこから来てどこへ行くのか・・・光の世界を追いかけて

纒向(まきむく)遺跡

2014年09月28日 | 


次の日は、まず 大神神社 に参拝。


社殿修復中の荒御霊社、 狭井神社 で薬井戸のご神水をいただき、いざ出陣!

どこへ?
今、邪馬台国だったのでは?と話題の纒向遺跡に!
纒向遺跡は、主に3世紀、弥生から古墳時代に移行する狭間の遺跡といわれ、前方後円墳の形ができ、掘っ立て柱の大きな高床式の住居がみられるようになります。
しかも全国各地の炊飯用の土器が発掘され、人の集まる政治の中心地だったのではといわれてます。


ほとんど知識を持たずに出かけたので、まずは 桜井市立埋蔵文化財センター で勉強・・・と思ったら、本日「休館日」。_| ̄|〇 il|

そんなことに負けてられないので、タイムスクープハンター風に特殊な交渉術を用い、無事、開館していただくことに成功!O(≧∇≦)O
出土品が縄文から律令国家の成立の頃まで、年代を追って見ることができます。
しっかり勉強させていただき、纒向遺跡の周り方などの情報をゲットして現地に出発!


纒向石塚古墳 。(桜井市纒向学研究センターHP)
遺跡はJR巻向駅を中心に、けっこう広範囲。
駐車場のある纒向石塚古墳に車を置き、徒歩で巡ることに。

纒向型前方後円墳の形の特徴は、方が魚のヒレのように三角っぽくて、円の頂上が比較的平らなんだそうです。

近くに勝山古墳と矢塚古墳もあります。
・・・なんか草むらにしか見えないよね?(^^;


辻地区の建物群
遺跡で最も有名な建物の柱跡などが発掘された場所。
上の写真の畑全体が、左の写真の「建物D」にあたるかな。

一番大きな建物Dは、出雲大社に似た建築様式を持った建物で、大王の宮殿ではないか?といわれています。
建物Cは、棟持ち柱のある伊勢神宮と同じような高床式の倉庫だったらしい。

日本書紀にある天照大神が始め大王の宮殿(建物D)に祀られていたが、災いがあったので、宮殿の外(建物C)に出し、やがて伊勢に・・・という流れが、この建物群から証明されるのでは?という話。

また大国主命が国譲りで出雲に宮殿を建ててもらう時、「大王の宮殿に似せて(建物D)」という話が古事記の中にあることから、これも神話の証明になると考える学者も。



↑代表的な 箸墓古墳
地図では「倭迹迹日百襲媛大市墓」みたいになってたりする。
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと) は、孝霊天皇の皇女といわれ、巫女としての神話、三輪山の大物主の妻だったという伝説も残る人。(Wikipedia)

何を隠そう!この人が卑弥呼であり、ここが卑弥呼の墓だという説がパワーアップ中!



↑前方後円墳の中でも古い ホケノ山古墳 は、石囲い木槨(棺を保護するもの)が復元されてました。

大神大社は、この古墳を 豊鍬入姫命 の墓としています。(Wikipedia)

そう、崇神天皇の皇女で天照大神を宮中から遷し、御杖代として倭姫命と交代するまで、伊勢の地へと旅する方。
ここから1.2㎞ほどのところに元伊勢の檜原神社があります。


いやー、30℃以上の炎天下を何時間も歩いたわ。
どこへ行っても彼岸花が咲き乱れ、美しい美しい桜井、纒向遺跡の旅。
もう少し突っ込んで勉強したいと思います。(*^^*)


皇心のセッションルーム Angel's smail です。


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