今日は日航機が御巣鷹山に墜落した
事故から36年目の日である。この時
私はまだ大阪でアシスタント生活を
していた。そしてこの日は写真を
撮ろうと大台が原山にいた。
このニュースは大台が原山の売店の
テレビで見て第一報を知った。
あまりに多くの命が失われ、もともと
高所恐怖症で大の飛行機嫌いの私は
その後、飛行機にのるたびにおびえて
いた。そして私の飛行機嫌いをさらに
決定づけた出来事がその2年後のこと。
拠点を東京へと移したばかりで就職先
が決まらず、日雇いのバイトで食いつな
いでいたある日、何の仕事をするのか
告げられず、旧羽田空港の日航施設へ
連れていかれて、「今日は大事な仕事を
してもらいます。汚いからといって
物を足で蹴ったりしないように!遺族が
見に来ています」と。
そして、ぐしゃぐしゃになった機体を
手で一つ一つ丁寧に持ち運んだ。この作
業は下請けのおっさん一人と大多数の
日雇い労働者で行われた。
暑い倉庫内でへとへとになっている
日雇い労働者の背中を突っつきながら
「お前ら早くやれ!」
の作業は奴隷扱いそのもの。
そして、そして、最後に我々に対して
「写真撮ってやるから並べ」
おそらく日航に提出するものだろう。
個人情報保護がなされていない非道き
わまりないころの実話である。
こんな連中のやること言うこと全て信じ
られるわけがない。