南十字星☆

この道48年のフラメンコギタリスト青木敏郎のひとりごと

晩秋の夜の萬翠荘

2013-11-28 13:40:33 | ・音楽雑記
11月27日
少し早く着いたので人気のない萬翠荘の坂道をゆっくりと歩いた。小雨上りと山の精気に満ちていた。佐藤卓史(さとうたかし)さんのピアノリサイタルは圧巻だった。彼の音楽と古い建物がマッチしていた。

佐藤さんは思いの籠った1枚のパンフレットを残して去った。リサイタルの類は多々拝聴した中で、こんなに感動したことはいくつもない。音のひびきとふるえは耳に残り、彼の決然としたたたずまいと演奏中の自然な振る舞いは心に残る。

なにより音楽の本来の究極の姿であるむき出しのピアノと、素手で臨んで生の音を聴かせて貰った珠玉のひとときに感謝したい。

もちろんPAも楽譜もクロスも水もメモも司会者もな~~~~んにもなし。

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8番出口は建設中でした

2013-11-24 23:09:42 | ・ボクの日記。
11月24日
レッスンの休講がありお誘いを受けていた ぽこあぽこさんのピアノコンサートに駆けつけた。
萬翠荘でのコンサートも楽しみだが、間近で才能に触れることが出来でスカ~~ッとした。
鍵盤に指が触れた瞬間と最後に指が離れて音が消える瞬間は、まるで真剣が一閃するようだった。佐藤卓史さん素敵でした。


11月20日の夕方だった。家内のいない郵便受けに一通の喪中葉書が。2月に亡くなられたという故森元青芳先生の奥様からだった。
砥部焼の人形作家として有名な先生は、私の芸術上の師匠であり、その存在は我が一家がとても困難な状況を迎えて潜り抜けて行った間たいへんな希望を常にいただいた。詳しい出来事は折を見るが、知らなかった。2月に受けた強いインスピレーションも一連の出来事もそうだったのかという思いと、再来年3月に迎えるギターこの道50年に至るまでの足取りを一歩も踏み外すことなく進めと言って頂いている気がする。夕暮れの先生の窯に通わせていただいた37~8歳から50歳までのころの、この道一筋まっしぐらの私の姿は今はない。それじゃだめだと先生のお叱りの声が聴こえる。

いまから再びフラメンコギターの猛修行をいたします。1年以上をかけます。
8番出口はどんなに探しても存在しなかったのです。夢は正夢でした。
具体的に2015年3月×日に8番出口は完成します。

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8番出口が見つからない

2013-11-23 18:21:42 | ・ボクの日記。
11月23日
たぶん明け方でした。変な夢をはっきり見ました。いくら考えてもおかしなことばかりなので全く答えが見つからず、いかんきっとこれは夢なんだと続きを打ち切ったら夢でした。
中国のように大きな公園で出口を探しているのに大通りを横切り、ビルの階段で途中のトイレに入り、西日に向かって歩きました。おかしい、本当におかしい。
さ、コミセンに出かけよう。このあいだのコンサートが8回目のリサイタルでした。

祝七五三の三

2013-11-22 23:42:13 | ☆姫の成長日記
11月22日
東京では満でお祝いをするそうだ。今日は孫娘の姫(3歳6か月)が両親と二人のばあちゃんに祝ってもらった。おめでとう。
近くの神社でやったそうだ。とっても喜んではしゃいでいたそうだ。じいちゃんは行けなかったけど、靖国神社では先月みんなで遊んだね。

今日の夕食はお祝いをこめてこれだ!

サラダも付けたぞ

エイ!ヤッ! あんくん、みちゃん、おめでとう。

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四つのお願い

2013-11-21 17:41:40 | ・ボクの日記。
11月21日
じろうさんに貰ったコメントに書きました。四つの鉄の球は何なんだろうか。
# (ボク)2013-11-22 20:14:41美味しいコーヒーを頂いてホッとしました。疲れ切った体で無事帰りつきました。
両手両足に重い鉄の球を括り付けられた出来事でしたが逃れることはできません。
もうコンサートはしませんが残された1年余りはフラメンコギターに生きて両手両足を伸ばして終わりたいと……ぼ~~~っと考えた一日でした。

昭和49年昔、東京に出たころに長谷川きよしの別れのサンバが流行っていた。レコードを買って、よく下北沢の親戚に泊まって聴いた。
同じころのちあきなおみの 四つのお願い を思い出す。本当は喝采が好きだ。
そのあとの山口百恵の秋桜は大好きだ。以上

四つのお願い聞いて聞いてほし~の
一つ やさしく愛して
二つ 我がまま言わせて
三つ 寂しくさせないで
四つ 誰にも秘密にしてね     はい

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来島は心の鏡

2013-11-19 21:49:08 | ・ボクの日記。
11月19日
石油ストーブが暖かい、電気コタツがほんのりと。テレビは煩いから消している。腕枕をしてうたた寝。いくら待ってもお茶は出ない。そうか、家内はいない。ひと月ぶりに孫たちの家に行ったのだ。

 かいがいしく準備して、昼 成田に飛んだのに着いたのはもう暗かった。ボクは空港から今治の海かふぇさんに向かった。ファンホ・ドミンゲスのギターを聴きながら走った。眠くなりながらも無事に着いた。運転は大丈夫のようだ。

景色はすっかり冬の海だった。廣川君と布美ちゃんの話が出た。東京の美江ちゃんとアヤコレットの話もでた。みんなここのお世話によりタオル美術館さんでパフォーマンスさせてもらった。今年も間もなく暮れるなぁ。このお店からペンキ小僧中の布美ちゃんを美江ちゃんの相方に口説きに走ったな2年前。フラメンコはやっぱり人生だ。

今治の食文化を断ち切ってアイビーハウスのゴールデン・カツカレーを選んだら、なんと3時で閉店だ。
悪いことはできない、家内の作り置きのカレーで夕食をすませた。明日は起きられるかなぁ。明日からどうやって生きて行こうか・・・考えることが多くてこのまましばらく眠ることにする。
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終了報告

2013-11-18 23:40:08 | ♪コンサート日記
11月18日
コンサートから1週間、驚くほど冬の寒さに震える日だった。
早朝に後援をを頂いた愛媛新聞さんに報告書を郵送し、出演者に収支報告書と頂いた写真と映像を届けたり郵送してすべての処理を終わった。
本番でお世話になったアオノホールさん、事前ライブでお世話になったカフェ ポコアポコさん、珈琲専科珈壇さん、市内有名プレイガイドさま、チケットをお預かりいただいたお店の方々、日本音楽著作権協会の報告書もあった、写真を頂いたYOSSYおじさんにもお会いした。随分と街中を歩いた。ありがとうございました。忙しいが懐かしい風景だ。

明日はこのまま熟睡から目覚めよう、起きたら家内を空港に。
かわいい孫たちの七五三のお祝いに行くらしい。

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コンサートのおもいで

2013-11-15 01:30:05 | ・ボクの日記。
2013年11月10日 会場の最前列中央席で撮影されたYOSSYさんに提供して戴きました。
特色は各演奏者の方に私のつたないアレンジを提供させていただきました
◆Scene1;デュエット マンドリン・牧野麗子

クレイマーvsクレイマーを故東矢邦彦氏に、 ♪グスタボモンテサーノのカノンを私の孫娘の姫に etc

◆Scene2;メイプルハーモニー マンドリン・牧野麗子・マンドリン・住田貴子

ダニーボーイ をマンドリン・住田さんに etc

◆Scene3;メイプルハーモニー+

秋桜をマンドリン・牧野さんに etc 

◆Scene4;ソロ/すべては星のまたたき

シェルブールの雨傘をマンドリン・石河氏に
カッチーニのアヴェ・マリアをマンドラ・門田氏に贈りました。いずれも名演をありがとうございました。

◆Scene5
南十字星 急遽ラストナンバーに選びました。8年前にこのステージでともにこの曲を生んだ当時のロス・コンドルスの青年 故藤田真吾さんに捧げました。
またこの哀愁のマンドリンコンサート明星の夜明けのすべてを恩人・故池内義直様に捧げました。
すべてを承知の上参加していただいた演奏者の方々、ご遺族のみなさま、純粋に音楽を楽しんでいただくためにわざわざ会場に足を運んでいただいたみなさま、本当にありがとうございました。本日すべての残務を終えることができました、ここにお礼を申し上げます。

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お客様は神様です

2013-11-15 00:29:51 | ・ボクの日記。
◆背景
むかしこう言った歌手がいた。今になって解ったが、これは死ぬ気になってみないと理解できない言葉だ。
今回、私は十分な準備をした。けれど長年見向かなかったジャンルの方々に協力を仰いだ。元からの世界に追われる人も、何の不自由のない人もいただろう。最後には解っていただいたと思う。写真を見ればわかる。板の上では誰も助けてはくれない。幸か不幸か、私は流れている音を譜面にする。楽譜で構成はしない。使い古したものを使うこともない。だから練習するか実力を備えないと私の音楽は弾けない。ただ一気の長丁場、メンバーのガス抜きはした。

◆有料とは
有料コンサートでした。強い意図をこめて。私にとっては27年前の料金を戴きました。失敗はもちろん許されません。会場と開演時間を発表してから半年間、絶対に死んではいけません、病気も怪我も事故も事件も。それがアーチストの務めであり責任です。

◆私が病気
1週間前にやっとメンバーの顔が揃いました。やっと全曲が繋がりました。特訓のあと全体練習までに蛍光灯がぐるりと回り続け立てなくなって便器にしがみつきました。初めて救急車に乗りました。点滴を持って帰り練習は気力で乗り越えて3日3晩眠り続けました。

◆神様
雨が降った当日は、恩人のご遺族を迎えて成行きを天に任せました。おかげさまで隅々まで生で弦が響き渡りました。そんな中に最前列に見知らぬ方々がおられました。ジャンルの違う音楽家のかたでした。当ブログに予期せぬコメントをいただき、しかも今回は予算の都合で手配しなかった写真を最前列で撮って頂いていました。ありがとうございます。写真をお届け下さいました。

◆これから
私はもう演奏家の道はこれまでと思っています。会場にクラシックギターの大家となった青木氏もフラメンコギターの新進廣川氏も駆けつけてくれました。
いっしょに歩んだ日々が懐かしい、ありがとう。
会場からはギターを弾き続ける私を見て「活き活きとしている」と言って下さる方もいました。
ギターこの道50周年まであと1年あまり、死にません。あとはフラメンコギターなどをどこかで爪弾いて生きてゆきます。

音楽は言葉の尽きたところから始まる

2013-11-12 23:46:22 | ・ボクの日記。
11月12日
アオノホールの受付でお配りしたプログラムの表紙を公開します。
見出し写真をクリックしてください(2度拡大します)

8年前には定員140名のところ225名に駆けつけていただき大変ご迷惑をおかけしました。
今回は100席に限定して発売しました。ご挨拶をせず多々不義理をお詫び致しますが、今回は恩人のご遺族をお招きして生音にこだわり、新しい編曲に時間を費やしました。
とても困難な選択でした。

私の趣旨を最初に理解し賛同して一途に取り組んでくれた後輩・牧野麗子さんに感謝します。冒頭のデュエットがその成果でした。さらに多忙を縫って全面的に参加して戴き会を成立させてくれた名花・住田貴子さんに感謝します。棋界では愛媛県下で先端を行くその音色は当分揺らぎませんが他の音楽業界に近づくにはさらなる期待を致します。後半の母校松山商科大学のマンドリンクラブを偲ぶコーナーでは私の口にそれを言わせず、演奏で支えて下さった全メンバーに感謝します。

私にフラメンコギタリストとしてさらなる使命が残っているか、常に白いタオルをバッグに忍ばせた家内に見守られてがんばります。指に再び水が回らないことを祈って。


明星の夜明け

2013-11-09 08:15:08 | ・ボクの日記。
11月10日
晴れたり曇ったり振ったりと忙しい1日でした。たいへん行事の集中した日だったようですが、哀愁のマンドリンコンサート「明星の夜明け」は無事終了いたしました。ご出演頂いた方々、本当にご遠路からはるばると駆けつけていただいた人々、ありがとうございました。

ギタリスト青木敏郎は、集大成となるギターコンサート「私の辿った愛の道」公演から丸3年間、支えていただく人々のお力添えを賜って生きてきました。美しい曲を書いてみることにもじっくりと取り組んでまいりました。最初に歩いた道に忠実に戻ってみることもできました。
そこから見えた景色は「すべては星のまたたき」そのものでした。
ギターこの道48年の思い出はほんの一瞬の星の瞬き、でしかなかった。と。そしてたった今、またたきもまばたきも同じ文字で表すということも。

私は、治療に専念する苦しい日々が明日から始まります。が、
近い将来一人の少年が、私そっくりの演奏をして喝采を浴びてくれることでしょう。そして彼はそこから大きく成長して一人のギタリストとして大きく羽ばたくことでしょう。時代はそこまで進みました。がんばりましょう。


11月9日
いよいよこの朝を迎えることができました。明日10日14時に開演いたします。

哀愁のマンドリンコンサート 明星の夜明け

魂が震える

2013-11-04 01:09:19 | ・ボクの日記。
11月3日
あとはひたすら元気で平和にその日を迎えるばかりです。

魂に触れるためには、天変地異をかいくぐり、驚天動地に見舞われなければならない。
商大魂を久々に思い起こさせていただき、敬愛する先輩石河 甫氏は霧雨に煙る高浜桟橋を静かに水中翼船最終便の人となった。

1週間後に迫った哀愁のマンドリンコンサートのプログラムはこの2日と3日で決まった。
♪コンサートの骨子は「音楽はことばの尽きたところから始まる」
 私の一生の演奏テーマです。ようやく解りかけたところです。

♪コンサートのテーマは「すべては星の瞬き(またたき)」つくづく思いました。
 音楽の旅の終わりに最初に歩いた道に辿り着いて、見ることができたものはそれでした。