
少し早く着いたので人気のない萬翠荘の坂道をゆっくりと歩いた。小雨上りと山の精気に満ちていた。佐藤卓史(さとうたかし)さんのピアノリサイタルは圧巻だった。彼の音楽と古い建物がマッチしていた。


もちろんPAも楽譜もクロスも水もメモも司会者もな~~~~んにもなし。




何と悲しい叫びでしょう。映画音楽「シェルブールの雨傘」の歌詞はこれで終わっています。
この曲は音楽を始めたばかりの春に出会いながら一度も演奏することなく今日に至りました。
が,編曲できました。

メロディーもオブリガードもオッケーですが、シンプルで美しく響くギターのアレンジに苦心しました。
ぽこぽこライブでは1曲目にこれをやりましたが、なんと本番前のわずかな時間のリハーサル中に突然

今回は、共演の方々に1曲づつお好きな曲をアレンジしてプレゼント

マンドラの門田さんには、カッチーニの「アヴェ・マリア」を。マンドリンの牧野さんにはさだまさしの「秋桜」を。住田さんには天満俊秀さんの発売されたばかりの曲集から「ダニーボーイ」をマンドリン・デ゛ュオに。石河先輩には10月5日にリクエストをいただいた「シェルブールの雨傘」を。
共通して言えることは、全曲とも私の大好きな曲であったこと。どれも歌の曲でありギターソロでは表現できなかった曲であったこと。
ことばで語りつくし、叫びつくし、泣き明かした先に辿りつける音楽を求めた幸せな時間を送ることができました。
オー・ジュテーム (i love you) 行かないで






音楽演奏団体・松山スペイン音楽協会は1990年夏の暑い日に結成した。クラシックギターの青木一男さんのご師匠さんの貞本昌規先生のお墨付きをいただくまでの数年間に共演を重ねて、二度目のジョイント・ギターコンサートを初めてキャメリアホールで開催にあたってのことだった。
1982年ごろから2年間のスペイン留学帰りの彼と、12年間の東京演奏活動帰りの私が面識もなく、よく間違えられるので共通の知人だった故東矢邦彦氏の仲立ちで同じ舞台に立とうかということだった。当時クラシックギタリストとフラメンコギタリストの共演は珍しかった。その後はお互いのスタンスとペースで共同代表であるこの会の名のもとにそれぞれ数回のリサイタルを繰り広げた。盟友である。
ギタリストが平穏であるべき生活の中であえてことを起こすエネルギーの内面的な動機は大きいものがある。火山の噴火のように。そしてコンサートギタリストは決して本心を明かさず黙って弾く。
一男氏は短い文面からすべてを読み取ってすぐに電話をくれた。
板一枚下の地獄を知る人ならではある。「思いは言葉にしてもいい」と言ってくれた。
私の思いは「音楽は言葉の尽きたところから始まる」。今度はことばは必要かも。

空港の帰りにギャラリー リブ・アートさんで昨日から開催中の額展に寄った。
今年は「ロジャースの糸巻」をお願いした。会場の中央で異彩を放っていた。小品での風雅さんの傑作だろう。

家に帰るのが怖くてしばらく額と対峙した。


糸巻はヘッドと呼ばれるギターの先端を飾る工芸品としての役割を持つ。
また調弦に際してはギターの心臓部の役割があり、確実性、操作性、耐久性を求められる精密なマシンでもある。
この展示品は「ロジャースの糸巻」で、ギタリストには夢と憧れの存在であり世界の最高級品の誉れ高い無傷の完動品が額装されるものではない。
2010年秋、私のコンサートギタリストとしての集大成として臨んだコンサート「私の辿った愛の道」の前半のクラシックギターの部分で、イタリア製の「ロレンツォ・フリニャーニ」に装着して使用した一生の思い出の逸品である。
本来の糸巻は美しいものだったが軸の不具合で修理に出していた。2年を要してイタリアからフリニャーニ氏自らの刻印付きアレッシー製の代品が届いたのはその後間もなくだった。ギターとの出会いは恋人・妻との出会いに等しいと言われる。魂の宿るこの糸巻は今もギターと一体であることに変わりはない。





読ませていただきながら溢れる涙を止めることができません。
コメントでお返しするわけには参りません。記事を移動いたしました。


あなた様と、苦境を乗り越えて栄えるギタークラブ様の今後のご繁栄とご多幸をお祈りします。


これを機に楽器保管庫と収蔵物一切は大学学生課に帰属しました。ただし写真の内容物(松山商大と松大のクラブ旗・楽器3本・校歌スコア)は温山会に寄贈いたしました。

謹んでご冥福をお祈りし、ここに私の役割は終了いたしました。
2013-02-14 00:35:51付本記事にコメントをいただきました。現在日時に移動しました
2008-09-16 09:41:02オリジナル記事を現在日時に移動しました
松山大学マンドリン倶楽部は2005年度から休眠しています。
約3年前に部室を返還する際の記念撮影です。

撮影をお願いした写真館様との原版使用の約束期限も切れましたので、
関係者の方でご希望があれば元のデータを差し上げます。
メールまたはコメントまたは直接ご連絡ください。
(本写真は倶楽部が製作いたしました。ご自由にお使いください。)




ギターのエピソードを公開するのは初めてですが、
門田さんの記事でギタリスト稲垣稔さんの訃報を知りました。面識はありませんでしたが、愛器ロレンツォ・フリニャーニ(2003) の入荷時の試奏ではご縁があり、ベルカントを感じさせる明るい音色の中に稲垣さんの体温をいつも感じておりました。 謹んでお悔やみ申し上げます。


これは2003年作のイタリア製。日本初輸入の作品で当時無名に近かったが、ヤマハの店頭で試奏したとき裏板を通して腸に沁みる音だった。縁がなければ出会いはない。
ギタリストにとってはギターとの出会いは恋人や妻との出会いに匹敵する。
あれから10年、現在の名声を考えると彼の作品が1年も市中に残ることはない。
音の秘密は①裏板に目を引く工夫があり、②弦長640㎜と短く、③糸巻ピッチ39.5mmと長い。
次作からは全くの標準になり、それならば私の心をとらえることはことはなかっただろう。





AYAKAちゃんが26歳の誕生日を迎えるとFBが知らせてくれた。


その第1ページの8つめの記事2006年1月25日で彼女との出会いに触れている。
若い彼女の前途の幸運を願い、またあの頃に願ったことをすべて実現させることができたお礼を申し上げてその記事を再録する。
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一昨年、私はギタリストとして生まれ変わった。生き返った。
失意のどん底に落ち、地獄の淵を彷徨った日々。 今だから言える生還談。思い返せば何人もの人達に助けていただいた。いくつかの出来事を書いておきたい。日西文化協会TORAの掲示板から私の投稿記事を転載します。
摩訶不思議な夜 青木敏郎 2004/02/16 01:55
2月14日夜松山市道後姫塚のユースホステルで、16歳の日本人天才少女シタール奏者ヴィーナ・文香のライブが行われました。
気品に溢れ、ときに超絶的テクニックを見せる彼女は一瞬にして聴衆を魅了しました。
デリー在住で飛び級によりデリー大学1年生の彼女は母親の胎内にいた時に聴いたシタールの瞑想的なインスピレーションを受けています。
松山市出身の母親と同級生のよしみで急遽私のフラメンコギターが参加して、この発見されたばかりの超新星と、地球の前を通り過ぎてはるか宇宙の彼方への旅を続けるハレー彗星が40年以上の時空を超えて、異国の民俗音楽それも弦楽器を生演奏で爪弾くという摩訶不思議な世界が展開されました。
3日前にカンセイ舎の企画で急遽実現したためわずか30数名の観客は、このやさしく夢幻の世界で至福のひとときを味わったのでした。
その夜帰宅した後、私は座ることもできずうつ伏せてしまい身体中の疲れや病、精神的弱気、不安、悔恨といったマイナス要素が一気に背中から抜けて空中に飛んでゆく気配を感じました。これがシタールの魔力というのでしょうか。
来年の暑い頃には彼女を呼んでふたたび競演をし、山を吹き飛ばして眠れる大魔神大いに怒って頑張ろうと思う今日この頃です。
ジャンル:きいて!きいて!

昨夜、珈琲専科珈壇さんの七夕ライブに行った。楽しかった。
余興の抽選では一瞬当たる予感がした。本当に自分の番号が呼ばれてびっくりした。
いただいたフレームは絵本作家 秋田 緑さんの作品だった。ストレートに胸に迫ってくるものがある。


ヤフオクで珍しいものを520円


一方では日本では買えないレーベルのスペイン盤を求めて横浜時代のイベリア、中目黒のマンションの2階にあったディスコ・マニアに足繁く通いまたタイプ打ちの入荷案内を貰って大阪の阪根楽器店にも通った。


その年の3月に家内とニュージランドとオーストラリアに少し長いツアーに行ったのが初めてにして結果唯一の南半球への旅となりました。このときオークランドの丘の上で初めて見たのがニセ十字と言われる星座でした。(添乗員の方に本物を教えてもらいました)

マンドリンDUOのメイプル・ハーモニーのお二人の愛奏曲(星の名が付いた2曲)は私が加わったときはギターがつきますが、今回ちゃんとアレンジしました。この2曲の時だけマークが反映できないのです。しかたなく南十字星をかいてみました。縦軸が左に少し傾くのが特徴です。

「桜静か」が完成した。夏至の夜はすぐに明けてしまった。
18日に久しぶりに海かふぇさんにお邪魔した。GWにツアー中に立ち寄られたジャズギタリストの岩見さんの目に留まり、奥様のやよいさんのキーに移して究極のセンスのコードをつけた楽譜を残していかれた。これはいい。海かふぇ奥様の詩が元の曲で辛く悲しいものだが桜が満開の朝 授かったメロディは長調だった。来島の青い海の香りが漂うこの曲は岩見さんの手によって魂が宿った。全国を回られる中でふと歌っていただければ光栄です。
私こと、11月17日のコンサートに向けて編曲作業に追われる毎日ですが、文句なくこの曲はオープニングに使わせていただきます。












ボロボロになったカルカッシ・ギター教則本の表紙をめくってみると48年前の4月17日のサインがある。
この日からギターこの道48周年になる。マンドリンクラブの一員として、2年目には当時の済美高校マンドリンクラブ・コーチとして研鑽し3~4年目は指揮者として活動をしながらギターを独習した。
本格的なキャリアは卒業後の上京で伊藤日出夫門下となってスタートした。

3年前のラストと位置付けたホールリサイタルのあと、模索を続けた中で昨年秋に決意して準備を進めました。ことし1年は最初に歩いた道に戻ろう。


マンドリンクラブの後輩牧野麗子さんとともに3回のコンサートをいたします。詳細は追って。
2006年秋に、内子町高橋邸の月遅れ芋名月の宴のリクエストに続き翌年道後温泉物語、さらに2008年秋に国際ホテル松山のお城下ヒーリングライブとマンドリンの住田貴子女史とともにキャリアを重ねています。
彼女たちのDUOグループを「メイプル・ハーモニー」と名付けていますが、楽器に使用している材に由来していると聞いています。昨年のカナダ旅行で色づいたメイプルを見て、秋のコンサートでは第一部にこのメンバーでと思っています。