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Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

名物!インディアン!どちらが残った?自由軒 大阪千日前

2007-02-14 10:34:40 | Weblog
先日NHKの「小さな旅」で織田作之助をはぐくんだ街として『夕陽丘』が取り上げられていた。私にとっては思いで深い光景が次から次へと展開した。
若かりし織田作が密かな憧れを抱いた夕陽丘女学校の制服を来た高校生が夕陽を浴びながら歩く姿が撮られていた。織田作は私の先輩。大阪府立五中つまり高津高校の先輩である。からして私にとっても、共学にはなっていたけれども夕陽丘高校の女学生は憧れだったのである。高校に入った時先輩が『今年の夕陽は不作やて~』「ほんで高津は凶作やで~」
夕陽丘の方が美人が多いと信じて疑わなかったのは女生徒の制服が楚々としていると思ったからに違いない。
高校時代から文学はからきし分からなくても(今でもそうだが)、漱石、ドストエフスキーこそが文学であり、織田作なんて俗なものは読まないと唆されたのか、思い込んだのか定かでないが読むことが無かった。・・・受験に出題される可能性のない文学作品だったから・・・。
「ここのはあんじょうまむしてあるよってに旨い!」と織田作の夫婦善哉にでてくるのが、ここ自由軒のカレーである。
といっても、あんじょうまむしてあるから旨いのは自由軒のカレーであって、すぐ近くの鰻のいずも屋のマムシ丼ではないっ!とはなはだ確信を持っては言えないのだが。
この千日前の店と船場に支店か暖簾分けだかの店があって、数年前に東京は新橋に出来た自由軒は船場自由軒の支店となっている。しかし自由軒本店は本来この千日前店の筈である。
ルーをご飯と混ぜて真ん中を少しへこませて生卵を載せて出す。
千日間の自由軒ではこのカレーと普通のカレーがあり。普通のカレーは別カレーと呼んでいた。そしてこの混ぜカレーは「名物いっ丁!」といったり『インディアンいっ丁!」といったりしていた。
店には親父と娘が二人いた。二人とも美人と言えば美人だった。二人とも典型的な食堂の白い上っ張りを着ていたが、姉と思しき非常に甲高い声の持ち主と少しポッチャリした少し甲高く鼻にかかる声をした妹と思しき姉妹であった。
高校の先輩ゆかりの店として高校時代から通っていたがこのお二人の恐らく20代後半から60代までを折にふれ見続けたことになる。
厨房への注文連絡にどちらかは「インディアン!」と叫び、どちらかは「名物!」としたのである。何故ならインディアン一丁!は尻上がりで、名物一丁!は尻下がりに発せられていたことを私の耳が覚えているから。
二人ともいつまでたっても嫁にいった気配が無かった。白い上っ張りと甲高い声に何時いってもお目にかかるのであった。
でも今回、中を覗くと一人しかいなかった。あ~とうとう一人欠ける状況に至ったか
と感慨しきりであった。どちらが消えたのか定かでない。姉妹だから顔は似ていたし、歳を重ねてからはお二人とも揃って中年太りだったから。
ちなみに名物に旨いものなしだが、ここのカレーはどうか?
懐かしい好きな味だが、混ぜてぐちゃぐちゃになったカレーを更に生卵でどろどろにして食べるカレーが旨いといえるかどうかの判断は差し控える。
後記、本当に偶然だがこの記事をアップして数時間後、こんな記事が出ました。
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