goo blog サービス終了のお知らせ 

Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

中国酒家 蟹と春雨炒めの土鍋 北長狭通 神戸

2007-02-15 22:10:06 | 関西グルメ
休みを三日取ったので当初、黒川温泉か石垣島、はたまた鹿児島の妙見温泉等と漫然と考えていたが優柔不断で宿の手配に至らず、結局は留守宅の様子が気になることもあって大阪に帰ることにしました。
緊急の用というわけでなく、母親の体調も良いので神戸便に乗りました。元々一日前に乗るつもりが春一番の嵐と云うので一日繰り下げたので好天の中降り立つことができました。予備知識は仕入れずに乗ったのですが、ルートは富士山北側を通過、A席だと多分真下にくっきり見えたはずです。
神戸を通り越して姫路の手前から南下、明石大橋を東向きに通り越して最後はかなり大きく左に舵をきって着陸。他はANA一機のみ。直ぐ前に関空までの高速水上バスが見えました、関空開港の際にポートアイランドまで結んでいて採算割れで廃止したいわく付きの高速船、こりゃまた赤字の塗り直しだなと思いながらポートライナーに乗りました。
10時半過ぎに三宮についたので少々時間潰ししなければなりません。西村珈琲に行きたいと思いましたが昔会員になっていた蔦の絡まる北野坂の店まで登るのは母親にはきついだろうと諦めて三宮アーケードの中の地下の西村に入ろうとしましたがどういう訳か杉本珈琲という店に代わっています。結局大丸で時間を潰し、11時半になったので鯉川筋から一つ入った北長狭通の中国酒家へ。
処がまだ「準備中」そんな訳はないと思って中を覗いて「何時からですか?}「12時からです」そういえばこの店の近くに新愛園、紅宝石、順徳と昔お世話になった店が並んでますが皆まだ準備中。東京の店で12時からってあり得ないけど、ここ神戸の店はそうだったんですね。仕方が無いので店の前の陽溜まりで待つことにしましたが程なく奥さんが「良ければ中でお待ち下さい」と声を掛けてくれました。中でお茶を頂く間に「昔、私~・・・ものでよく来てたんですけど、ご主人はお出かけですか?」と会話を始める。奥さんも思い出してくれて昔話と大震災の時の苦労話。「主人は今ちょっと買い物に出ています」「開店したとき娘が2歳で今は28歳だから、もう26年やってますね~」
私がこの店に来だしたのは1983年である。本保さんという先輩と昼飯グルメツアーをやっていて見つけた店である。店名が大仰で胡散臭いと思ったのだが手頃で本格的な料理を出してくれ、主人と直ぐに親しくなった。主人はOwnerで本業は食材、雑貨の輸入をやっている人である。
「震災の後ね。この辺が最後まで水道とガスが来なかったんですよ。家はこの店の少し上なんだけど、そこもここもガスが復旧まで2ヶ月かかりましたよ」「水はどっかから貰うて来て、ガスボンベでラーメン作って配ってたんですよ」
「私の通っている時分、この通りでヤクザの出入りが有りましたよね、何て云いましたっけ?」「一和会。今はもう無いけどあのときは警察の楯がぎっしりだったから、商売あがったりでしたよ」
奥さんは厨房と話をしながら「蕎麦屋、電話したら今出ますやて! まるっきり時そばやわ~」おやおや、まかない飯には飽きましたか。やっと12時になり「お待たせしました」
この店は広東料理である。一番好きだったのが海老を蒸した料理なのだが、今日は出来ないとのこと。それではと同じくいつも頼んでいた「炒三鮮」

このポテトの籠にもったホタテと海老とイカ、この店で味をしめてから時々他の店でも頼むのだが、久しぶりの味に感激。
そうこうする内に主人が戻ってきて私を見つけて「久しぶりやね~」ひとしきり神戸空港の話で盛り上がる。「国内線は所詮あかんわ。上海に便飛ばしてくれるとええんやけど」
話している内に蒸し海老の代わりに頼んだ蟹と春雨炒めを土鍋で焼いたもの。季節だと上海蟹で作ってくれたのだが今回はワタリガニ。少し辛くて濃厚な味。主人が鍋に貼り付いた春雨をこそげ取ってくれたがお焦げの旨かったこと。
もう一品酢豚を頂き、最後にマンゴプリンを頂いて終了。
久しぶりに満足の中華でした。
神戸支店時代は神戸生まれの同僚の女性達は良家の子女が多く、それぞれ行きつけの店をお持ちでした。曰く「牡丹園」ある人は「群愛」そういう中で当時開店2年位だったこの中国酒家は私の行きつけとして彼女達にも認知されたのです。
随分いろんな人を連れてきました。当時神戸、大阪にいた仲間は殆ど連れてきています。そして神戸を去ってから鹿児島に勤務するようになってからも2シーズンは10月中旬になると主人に電話して「もう上海がに入った?」と電話してイソイソと上海がにの蒸しものショウガ炒め、土鍋炒めを食べにに神戸に戻ってきたのです。
そして7~8年前でしょうか。函館支店時代に社員旅行に神戸ということになり、当然の事ながら私がセッティングすることとなり、この店でコースを組んで貰いました。大好評で今でも話題に出ます。
店を出た処で主人と又少し立ち話、主人は赤のチェックのシャツ姿がお似合い。
三國連太郎がPAPASで赤シャツ着てるけど、俺も赤シャツが似合う歳になったんだよな~ 秋になったら赤のチェックのPAPASを買おう!せめてLLが入る体型にならないと。PAPASの3Lはないだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蒸し寿司 福喜寿司 難波 大阪

2006-12-14 21:39:34 | 関西グルメ
2ヶ月ぶりに大阪に帰った。いつも乗る上本町行きのバスが出た直後だったので難波行きのバスに乗りミナミで昼食にした。
福喜寿司、この店は元々東京柳橋である。
随分前、そう30年位前に黒門市場の横にある本店に名人と云われた職人がいて、ここの寿司が日本一という噂が立った。尤も大阪人がそう評したに過ぎないが。
自分の金で行ける店でなかったが亡くなった親父が何回か連れて行ってくれた。黒いドッシリした構えのいかにも高そうな店だと思った。そのとき食べたのは握りだったが余り印象に残っていない。
その頃は寿司とか鰻だとか云う食い物に興味が無かった。一端の酒飲みを気取っていたから日本橋界隈(大阪ではニッポン橋と読む)だと「たこ梅」のおでんとか法善寺横町の串揚げの方がずっと良かったのだ。勿体ないことをした。
従って福喜寿司の蒸し寿司は親父がなくなってからここ高島屋の支店で食したのみである。
蒸し寿司は大阪名物というものの大体に於いて出す店がそんなにあるわけでない(と思い込んでいる)。一番有名なのは吉野寿司だが面白い事に吉野寿司の主人も元々東京の人だ。東京の寿司職人が大阪の箱寿司と蒸し寿司に惚れ込んだのだと大阪人は思っている。
ここのは甘めの酢飯の中に切り昆布が入っている。上に載せる魚で外せないのは瀬戸内の穴子と立派な海老と椎茸と錦糸卵だろう。これは吉野寿司の蒸し寿司にも入っていてこれぞ大阪寿司の真打ちという存在感があった。
といっても吉野寿司の蒸し寿司を食べたのはもう20年以上前だろうからいささか心許無い。大阪に住まなくなってからというもの、中々御堂筋を徒歩で北上するなんて暇と余裕はないのだ。
蒸し寿司、久しぶりに旨かった。単品の昼飯としては量は相当足りないけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする