COSMOS

"忠太"奮闘記

何かのご縁

2013-08-20 17:58:36 | 思い出
◆ 55年ぶりに蘇る
・「ア…ゾン」で買い物をしたことがきっかけだろうか。
 ブログを開くと「INVICTA」という腕時計の通販サイトがサイドバーに
 飛び込んできた。
・おぼろげながら、この名前に記憶があって、早速ガラクタ箱の中をかき回し、
 亡父が愛用していた形見の腕時計を探し出した。
・数年前五十回忌の法要も済ませているが、今月末の命日が近づきホトケさんが
 引き合わせたのか? 因縁を感じたしだい。
◆ まさか、元気に動くとは!
・とっくにガラス盤も壊れ、無残な姿になってはいるものの、
 ケースは無垢の18金。
・試しに、リューズを巻き上げたところ「コチコチ」元気に動きはじめた。
 デジイチで撮影し「YouTube」にアップ。
 ここに置いとけば、永遠に動き続けるかも・・・。
 ※残念ながら音は拾えなかった。
   陰の声:今日の金相場は@4.548/グラムじゃったの。
   ウフフ! 不謹慎な 

「南極も・北極も、我が領土」なんて無茶な

2011-12-14 15:20:12 | 思い出
今日は「南極の日」
由来:1911(明治44)年の今日、ノルウェーの探検家「ロアール・アムンセ(ゼ)ン」と4人の隊員が
 人類で初めて南極点に到達した。
陰の声:あの時「先に見つけたものが勝ち、我が領土」と主張していたら、どうなっていたのだろう?

「四十七士討ち入りの日」
・今さら書くことも無かろうが・・・。
 子供の頃、娯楽と言えば劇場で観る映画、小遣いもほとんど映画館で使ってしまったものだ。
 とりわけ年末の定番は、この「赤穂浪士、討ち入りの段」のクライマックスシーを観るため、
 み~んな劇場に行った。
・今、考えると先般放映を終えた長寿命TV番組「水戸黄門」同様、結論が先に分かっているにも
 かかわらず、その年のスター級の役者を揃えての作品とあって、飽きもせず・・・。
 休憩時間は ♪~エ~ェ「おせん」に「キャラメル」「あんぱん」に「ジュース」、「酢こんぶ」、
 「するめ」、「ピーナツ」・・・はいかが~♪
の売り子の声に、残った小遣いはたき、口に頬張って観た。
 おのれ、憎っくきは「吉良上野介」と信じ込まされ、役者まで憎い顔つきに見えた、お気の毒さま。
陰の声:本当は翌15日早朝4時頃らしい。

「忠臣蔵の日」
陰の声:モノは考えようで「世間知らずで短気な若殿が、しでかした刃傷沙汰」の後始末を「世間の目」
 とやらがあって「しぶしぶ、仇討に駆り出されたお人」もあったのではないか?と横睨み。
 メマイ (@_@) でフラフラしていては、とてもじゃないが仇討など、お陰で遅刻に・・・ 

きのうから博多に来ている。

2011-11-06 06:00:00 | 思い出
■高校時代の親友夫妻とお昼を一緒に。
 彼は脳出血と脳梗塞で2度倒れたが、奇跡的に一命のみならず、五感と筋力のほぼすべてを回復、
 後を継いだ令息の医院で週3日診療を行っている。
 地元では「赤ひげ先生並み」の人気者。
 先年お亡くなりになった久留米大学名誉教授脇坂順一先生に師事し、
 研修医として医局に勤務時代、恩師たちがネパールに「医療奉仕団」を派遣した時は、
 団員として現地に赴き、医療奉仕活動のかたわら、近くの山々に登る山男。
 恩師について 多くを語るより→こっち

■昨日の同期会出席メンバーは 歳か 歳で「後期高齢者」のお仲間入り。
 体力さがる 気力も下がる 税金上がる 血圧上がるシワ増える 
 で、話題は大いに盛り上がった同期会。
 次回は「生前分与」、「遺産相続」、「葬儀」が話題の中心に?
 顔見てすぐわかるのは昔のガキ大将グループ仲間!

■今日は早朝から土砂降りの悪天候。
 晴れ女の誉れ高き女房殿のご威光か、昼前には薄日が差すほどに回復。
 ホテルで時間つぶしの後、タクシーで変貌甚だしい市内中心部の観光、
 途中堅粕の母校へ立ち寄り、昔のままの校門前で撮影。
  (画像クリックで拡大)
 ※タクシーの運転手さんに撮ってもらった。
  懐かしの風景にちょっとばかりしんみり・・・。

 昔も今も「九州大学」合格者競争が続いている。
 2011年度の「九大合格校ランキングトップ5」をネットで調べてみると
 1位・修猷館高/2位・福岡高/3位・筑紫丘高/4位・東築高/5位・明善高
 残念ながらわが母校は、3人差で修猷館高の「後塵を拝す」結果だった。
 約60年前、高校の入学式の校長歓迎あいさつで、早速「修猷館」に負けぬよう
 勉学に励めと訓示があった。
 自分は期待に応えられなかったが・・・、同級生たちが頑張ってくれた申し訳なし。

■博多山笠「追いやま」は、ここ「櫛田神社」からスタートする。
 この石をぐるりと回り「オッショイ・オッショイ」の掛け声とともに市内へ繰り出す、
  (画像クリックで拡大)
  (画像クリックで拡大)
 子供の頃、スタートを観んものと、早朝よじ登り「高みの見物」としゃれ込んだ
 こともある、境内の楠は60年を経てなお健在。
  (画像クリックで拡大)
  (画像クリックで拡大)
 
  (画像クリックで拡大)
 おりしも「七五三のお祭り」で着飾った小さな子供さんたちを連れた親御さんや
 ジジ・ババで境内が賑わっていた。
 肖像権(?)の都合で、画像掲出は遠慮しポスターで
  (画像クリックで拡大)
 アジア系の若い観光客に頼まれシャッター(何とCANONのデジイチ所有、免税店で購入?)
 を数枚切ってあげたら、今度は私のコンデジで二人揃ったところを写してくれた、
 こんなことならNikonのデジイチ持って行けばよかったと
 つまらぬところで意地が出てしまった。
 子供たちにカメラを向けていたので、知ったかぶりして、
 This is one of famous Japanease traditional ivent.
 Seven Five Three years old Festival・・・と説明したが「キョトン」
 「シチゴサンマツリ」と言い直したら「Oh I see」と来たもんだ!
 団体旅行のブリーフィングで、日本語での呼び方を教えてもらったのかもしれない。
 後ろ髪を引かれる思いで  土産話を手に博多を後に、 一路広島へ向かう。
■行きも帰りも「ももたろう」(メールのニックネーム)夫妻と一緒の予定。
 しかし、友からの連絡で一電車遅らせるとのことで、別々の帰広。
 友はありがたきかな、色々と気を遣ってくれた。
 山ほど撮った 整理が大変 

ついでのことに
■お見合い記念日
由来:1947(昭和22)年のこの日、東京の多摩川河畔で集団お見合いが行われた。
 結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、
 戦争のために婚期を逃した男女386人が参加した。
◆陰の声:戦後のベビーブームのきっかけになったかな?

■アパート記念日
由来:1910(明治43)年のこの日、東京・上野に日本初の木造アパート
 「上野倶楽部」が完成した。

タイムカプセルのように

2011-11-04 06:05:00 | 思い出
■今日はユネスコ憲章記念日
・由来:国際連合の専門機関のひとつとして1946(昭和21)年の11月4日に、
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)
 ※UNESCO=United Nations Educational, Scientific,and Cultural Organization)が
  発足したことを記念して制定された。
 ユネスコ憲章は、アトリー英国首相と米詩人マクリーシュによって前文が起草され、
 本文は15条からなる。
 日本は1951(昭和26)年7月2日に加盟した。
■あすは中学校の同期会
 今年は我々のクラスが当番幹事。
 地元(博多)に住むクラスメートから「3組全員集合」との呼びかけ。
 幹事の一人から「今回が最後になるかも知れん、出て来んしゃい」と連絡が入った。
 幸い体調も何とか持ちそうなので、こちらにいる同期生と出席することにした。
 幹事氏によると、同期生122名中、所在が分かり通知できたのはわずか60数名。
 入院中、体調不良・・・などで、出席者は30名弱とのこと、
 本当に最後になるのかもしれないと感じる。
 昔のアルバムを引っ張り出し40点ばかりスキャナーでデジタル化し持参することにした。
 会場にプロジェクターがあればよし、
 無ければ、プリントを久し振りの再会の話題にしようと思う。
 地元勢は毎年クラス会で逢っているだろうが、何しろこっちは50年以上疎遠にしているので、
 タイムカプセルから抜け出たようなもの。
 往年の「ワルソウ坊主(いたずらっ子の意)」たちも、みんな好々爺になっていることだろう。
・58年前の写真(1953(昭和28)年5月 忠太撮影)
 西公園から福岡市中心部のぞむ
 左寄りの黒く背の高いビルは、呉服町に建てられ、当時市内最高の地上50m超の
 「大丸博多店」ビル(○印)もしくは
 屋上に高い塔があったので、右側の楕円で囲んだビルかも知れない。
 帝国ホテルが九州に進出し、このビルに同居していた。
  (画像クリックで拡大)
 最近の航空写真
  (画像クリックで拡大)
 上の写真は、矢印の方向から写したと思うが記憶は定かでない。

きょうは「白秋忌」

2011-11-02 06:00:00 | 思い出
■白秋忌
・九州・柳川の 「白秋記念館」
・柳川にもう一つ名物(?)九州場所の人気を独り占めなるか、初試練の大関「琴奨菊」関、がんばれ。
・北原 白秋
 1885年(明治18年)1月25日-1942年(昭和17年)11月2日)
 日本の詩人、童謡作家、歌人。
 本名、北原 隆吉。
 詩、童謡、短歌以外にも、新民謡(「松島音頭」、「ちゃっきり節」等)の分野にも傑作を残している。
 生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、
 活躍した時代は「白露時代(*)」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。
 ↑以上、Wikipediaより抜粋引用
 *「露」は三木露風のこと。
50歳まで勤務させていただいた会社の創業者のお子さんたち。
・兄は東大、弟は慶大、ひとり娘さんは日本女子大卆という、いずれ劣らぬ才子才媛のご一家。
・男兄弟二人はともに白秋門下生。
 高見順の「昭和文学盛衰史」のなかに「K兄弟・・・」で登場する。
・創業者は仕事一筋の方だったが、子供たちが高学歴を身につけ、飯の喰えない文学の道に
 一時的ではあれ身を置けたのは、自分の経済力が支えたからだ。と、常に語っておられたことを思い出す。
 因みに、創業者は「漢学塾」で勉強された由。
 若いころ、学歴のハンディキャップで苦労されたのだと思う。
転居荷物の中から
・故人となられた、次男T氏の詩集が2冊見つかった。
 推敲に推敲を重ねるタイプで寡作だった由だが、1940(昭和15)年、34歳の時に
 詩集「古調月明集」↓ を出版。
  (画像クリックで拡大)
 白秋が絶賛「月明二章」と題し「春」「秋」の2編を巻頭に寄せている。
・その後、家業に就かれたが、1960(昭和35)年1月、病のため、満53歳で急逝された。
・訃報に接し「大木淳夫」氏が取り敢えず、寄せた追悼文を紹介しつつ、詩友「坂本ひさし」氏
 (いずれも故人)の筆になる記事を掲載した地元紙。
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 ※坂本氏の追悼文中「古風円明集」、「古調円明集」とあるのは、「古調月明集」の誤植。
・七七忌にあたり、精神的遺産たる遺作を集めた「詩集」が実兄の手で出版された。
 表装は「棟方志功」の版画で飾られる超豪華版。
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・文学に疎い自分だが、改めて古調の詩なるものを、無い知恵絞り熟読鑑賞させて頂こうと思う。
 このような方々の身近で、仕事をさせていただくチャンスを、もっと生かせばよかったと
 反省することしきり。
・故武二氏の令息は4代目社長を経て、現在会長職にある。
広島市西区にある「三瀧寺」には友人たちの手で「詩碑」が建立されている。
・故大木淳夫氏の詩碑もここに
三瀧寺はこれから一年で一番美しい「もみじ」の季節を迎える。
 鑑賞がてら、適度の散歩にもなる遊歩道を散策されてはいかが。
新広島四国88箇所巡礼中の「KI」さんへ、次なるお奨めコースは、広島ぶらり散歩「文学碑巡り」はどうですか?
 個人的なことに触れることにやや躊躇したが、いずれも公刊されているものばかりなので、
 あえて断りなく使わせていただいた。
 新聞スクラップ、詩集ともに自己所有物を撮影した。
10月のブログ投稿率
 こんなことやって何の意味があるの?
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 ◆陰の声:「継続は力なり」と言うぞ!

今日は「登山の日・山の日」

2011-10-03 08:20:48 | 思い出
日本アルパイン・ガイド協会の重野太肚二氏が発案し、同協会が1992(平成4)年に制定。
 「と(10)ざん(3)」の語呂合せ。

・はやりの「山ガール」をWikipediaで検索したら・・・。
~~山ガール(やまガール)とは、かつての登山用品とは異なるファッショナブルな
 アウトドア用衣料を身に着けて山に登る若い女性のこと・・・だそうで、
 2009(平成21)年頃からマスコミが使い始めた言葉。
 2010年ユーキャン新語・流行語大賞の候補60語に選ばれた。
 かつてはニッカーボッカーズを着用する例もあったが、最近「山スカート」も
 見られるようになった。~~ (一部編集)
 とのこと。
 「トレッキングガール」とも言うらしい。
◆陰の声:な~に「姥捨て山」の下見か、散骨適地探しさ!!

・先日テレビを見てたら「山ガール」の後は「囲碁ガール」だそうだ。
 縄張り争いに快感を見付けた「囲碁ガール達」がファッショナブルな店で
 ソフトドリンク片手に「パチリパチリ」。

・婚活中の「アラサ―&アラフォー」達がハマルのが、魚も餌も触れない
 「釣りガール」
 陸(オカ)でせっせと「♂」釣ったほうが「釣果」が期待できるかも!
 (余計なお節介)
 
・その内「麻雀ガール」もか!? 
 やれやれ「ポン」「チー」「ロン」と、かしましいことになるかも。
 ※すでに「認知症予防」効果ありと、流行の兆しあり。
  ジャン卓の上には「牌」にマジって「入れ歯」がゴロゴロなんて(@_@)

・確実に言えることは、だんだん「♂」の居場所がなくなり、
 あろうことか「男の隠れ家」に逃げ込むことになる。
 やがて「タフガイ」が死語となる日も近い?
 神は、種の保護のため「♀」を逞しくお作りになった!
 「電柱見ると“オシッ○”かけたくなる♂どもよ」諦めるなかれ。
◆天の声:電線地下埋設完了まで先は長い、ヒガムでないぞ!
 

今年も残り3カ月

2011-10-01 10:01:01 | 思い出
■1970年(昭和45年)10月1日、旧国鉄呉線の全線電化完成に伴い、同年9月末で、
 大型蒸気機関車(SL=Steam Locomotive)C62、C59型が牽引していた
 寝台急行「安芸」が姿を消すことになった。
 翌10月1日、「安芸」は「あさかぜ」と名を替え、山陽本線経由に変更された。
 「安芸」は,1968年(昭和43年)12月より,急行としては異例の「 ヘッドマーク」をつけていた。
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 前年(1969年)9月の時刻表
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 その後、C59164は、現在京都の梅小路蒸気機関車館機関区で動態保存されている。
 C59161は、現在「広島市立こども文化科学館」で大切に静態保存されているが、
 火が消え蒸気の出ない姿は何とも哀れ。
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 このSLは、1946(昭和21)年に日立製作所で製造された。
 これらの写真は、最後の運行、1970(昭和45)年10月1日に撮影されたもの。
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 ハテ、これはどこかで出会った人のようだが!
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 ↑呉線SL最後の日、広島駅0番ホームでのワンショット。
 忠太のかみさん・長男・長女たち。
 申し訳ないが次女はお腹の中・・・。<(_ _)>

 余談だが、府中町の「ダイヤモンドシティー」に静態展示されているSLを。
 植木で隠れ見苦しかったので、良く見えるように剪定してもらった。
 (9月30日撮影) 
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  ↓ 移設前は、旧国鉄可部線・三段峡駅前に静態展示されていた。
  (画像クリックで拡大)
 投稿時刻にこだわる。
 SL談義の続きは後日 “忠太”
 9月も皆勤 (^O^)/
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今日は「パソコン記念日」

2011-09-28 18:00:16 | 思い出
■1979(昭和54)年、日本電気(NEC)がパーソナルコンピュータPC-8000シリーズを発売し、
 パソコンブームの火附け役となった。
■ところで、我が日本人は何でも縮めるのを得意としている。
 大正デモクラシー華やかなりし頃、西洋かぶれの人達が競ってモダンな洋風の「異装」
 と、にわかに身に付けた欧風習慣をひけらかす軽薄な風潮も、また広まり、
 「モボ・モガ」というやや嘲笑的な表現が流行した。
 ご承知、この言葉も「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」を縮めたもの。
■榎本健一(これまた略して「エノケン」)の唄で有名になった「洒落男」の歌詞に
 ♪俺は村中で一番 モボだと言われた男・・・♪と言うのがあった。
 心当たりがある人は、まだまだ現役! 関連サイト
■然らば「パソコンとは?」言うまでもなく「Personal Computer」の日本語読みを
 縮めたもの。ここまでは誰でも知っている。
 しかし、これを英語圏の人達に「私の趣味はパソコンです」を
 “My hobby is a PASOKON”と説明したら通じるか? 答えはもちろん「NO」。
 正しくは「Personal Computer」もしくは「PC」と言わねば通じない。
 この手の話はワンサカあって数え上げればきりがない。
 一番ひどいのが、日本製英語を縮めたもの、全く国籍不明になってしまう。
■さて、この傾向、今やグローバルな地位を獲得しそうな気配。
 これが分かる人は、かなり流行に敏感な人→「UR2Old (JK)」
 日本の中高校生が携帯でやり取りするメールの文面には彼らの世代独特の
 表現があるが、英語圏でも同じようなゼネレーション・ギャップがあるようだ。
 "UR2Old (JK) "とは "You are too old, just kidding" の略。
 2008年3月9日付 「New York Times」の記事によると、2005年には53%だった
 5歳から24歳までの携帯電話の保有率は2010に年までには80%を超えるだろうと
 予想されている。
 ちなみに日本では高校生で90%以上の保有率となっており、
 おそらく国際的にも若年層の携帯普及率が極めて高いのだろう。
■次のティーンエージャーのメール用語が分れば、あなたの語学力は凄い!!
 imo・・・in my opinion=私が思うに
 ayt・・・are you there=そこにいるの?
 dk・・・don't know=知らない
 ilu・・・I love you=愛している
 pir・・・parents in room=両親が部屋にいる
 mos・・・mom over shoulder=ママが後ろから見ている
 
 後期高齢者の仲間入りした、忠太には「はぁ~、脳ミソがみてた、ついて行けん」

今日は「ワープロの日」

2011-09-26 15:30:14 | 思い出
■今日はワープロの日
・1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売、価格は630万円だった。
 日本語ワード・プロセッサ(以下ワープロと略す)が最初に現れたのは
 1977年のビジネスショウで,シャープから参考出品の形で「かな漢字変換方式」
 の「試作品」が展示された。
 翌1978年9月26日に東芝から本格的なワープロ製品「JW-10」が発表され、
 データショーでデモ展示。
 よって、この日を「ワープロの日」とされている。

・JW-10の仕様
 CPU:ミニコン「TOSBAC-40C」相当機能のLSI
 ディスプレイ:ブラウン管CRT 24dot表示
 ハードディスク:10MB
 外部記憶媒体:10インチフロッピー・ディスク
        直径、約25センチで、ウチワの代わりになった
 フォント:独自開発
 印刷機:24dot ワイヤドット・インパクト・プリンタ
 重量:180Kg
 このマシンはキーボードによる「かな漢字変換」を実用化し,
 24ドットの表示・印刷機能,ハードディスク記憶装置を持つ画期的なもので,
 後のビジネス用ワープロの基本となった。
 その後小型化・低価格化が進み,1979年9月にシャープから発表された
 「書院」は初めてタブレットによるペンタッチ入力を採用し,重さは80kg,
 価格も295万円と半値以下になった。

■自分の記憶をたどってみる。
 東芝のワープロ専用機発売から、さかのぼること数年、米誌「ニューズウイーク」
 だったか?の記事で「Word Processor」なる技術が紹介されていた。
 和洋を問わずタイプライターのミスタイプ訂正や文字の加除添削は大変だった。
 「Word Processor」技術は、この問題を一挙に解決する画期的技術と紹介されていた。
 これは凄い技術だ、と直感した。
 と言うのも、この「ミスタイプ」、時には「原稿ミス」で、打ち直しを頼む際、
 先輩お姉さんにきつい目で睨みつけられた苦い経験があったのだ。
 ↓当時の代表的な「邦文タイプライタ。
  (画像クリックで拡大)
 そして、将来きっと英語の時代が来る、勉強しとけと、先輩にそそのかされ一緒に
 「英文タイプ教室」に通う羽目に「ASDFDSA、JKL;LKJ」をやらされ、三日坊主で
 二人とも「自主卒業」。(^O^)/
 良くよく考えてみると、将来タイピストになるわけじゃなし、英会話を勉強すべき
 だった。
 二人とも、最初から入口を間違えていたのである。
 しかし、会社の「Renington Rand」製タイプライターで遊んでいたことが、
 後に「かな漢字入力」で、まさか役立つことになろうとは・・・。
 閑話休題
 そんな経験から「Word Processor」があれば一挙に問題解決と、
 しきりに新製品開発を号令する役員会に提案したが、あえなく「没」。 (>_<)
・1986年に自己都合で退職した時に購入したパナソニック製「パナワード」は
 「MS-DOS」で動作するものだった。
 営業マン氏いわく「OSはMS-DOSなので、汎用性・互換性がある」、何のことやら
 分からぬまま、マァ応用が利くのかな程度の理解で買った。
 ※後から分かったことだが、ワ-プロメーカ各社が競って「MS-DOS を搭載した
  商品を開発し、続々発売し始めたが、メディアの互換性はなく、
  全く期待はずれだった。
 営業マン氏自身も良く分からず、メーカーの研修会で習ったセールストークを
 並べ立てたのだと思う。(@_@)
 独立したディスプレイ・PC本体(FDドライブ2個)・キーボード。
 諏訪精工(現EPSON)製ドットインパクト・プリンタにパソコン・ラックを付け、
 価格は60数万円だったと記憶する。
 保存メディアはプラスティック製のソフトケースにペラペラの5インチ磁気ディスクが
 入っていた。
 ほどなく、友人から節水システム販売の開発協力を頼まれ、企画費などで40数万円で
 引き受け、早速ワープロ購入費の回収に充てた。
 ※あれから、おおかた25年経つが、最近このシステムが見直されていることを知る。
  先立った友人が知ったら、さぞかし喜ぶことだろうに、残念至極。
・やがて、NECがPC-9800シリーズを発売しパソコンの泥沼に足を突っ込むハメになる。
 「Multiplan」(表計算)に泣かされ「桐」(データベース)に翻弄され、
 ようやく辿りついたのが、純国産本格ワープロ「一太郎」!!
 「次郎」が無くて「花子」(グラフィック)「三四郎」(表計算)
 「五郎」(データベース)と「国産愛用」とばかりに、のめり込んでしまった。
 と言えば聞こえは良いが、すべて上澄みをかすめただけだから
 「パソコンって何ができるんだろう」が分かった程度。
 分からぬことを聞くにも、OSなのかハードウエアなのか、アプリケーションなのか
 問い合わせ先さえ暗中模索、
 電話をタライ回しされ、挙句の果て最初の問い合わせ先に逆戻り、など日常茶飯事だった。
 まるで、トイレのいたずら書き
 「右を見よ」→「左を見よ」→「後ろを見よ」→「キョロキョロするな」のパソコン・バージョン!
・最近は「聞き流すだけで、突然英語が話せるように・・・」とか
 「一週間でパソコンできちゃった!」などの広告を見ると、凄い人たちがいるもんだと
 感心したり「一体何ができちゃったのだろう?」と首をかしげている
 “忠太”でございます。

今日は「藤ノ木古墳記念日」

2011-09-25 20:10:05 | 思い出
■1985(昭和60)年9月25日、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発堀された。
 藤ノ木古墳は直径約48m、高さ約9mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半に
 作られたものと考えられている。
 1985(昭和60)年に第1次調査、1988(昭和63)年6月に国内の発掘調査史上初めて
 内部保護も兼ね「ファイバー・スコープ」を使った石棺の内部調査が行われ、
 その年の10月8日に1400年ぶりに石棺の蓋が開かれた。
 未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っており、当時の埋葬儀礼を解明する上で
 貴重な資料を提供した。
 極力、外気の流入を防ぐため、ファイバー・スコープが内部観察・撮影などに貢献。
 (メーカー不詳)
■光学系長波長の光ファイバーが画像観察に使われたが、今日は極細石英ガラス繊維
 の中を短波長のレーザー光が大量のデータを送受信する時代になった。
 “忠太”

ID3タグ勉強を思い立つ

2011-09-24 10:34:52 | 思い出
■今日24日は清掃の日
 1971(昭和46)年のこの日「廃棄物処理及び清掃に関する法律」
 いわゆる「廃棄物処理法」が施行されたことにちなむ。
 9月30日まで「環境衛生週間」で、廃棄物をできる限り減らして
 資源再利用に役立てることを目的にしている由。
■こっちはデータファイルの大掃除の準備
 これを機に“頭の掃除”をしようと、思い立つ。(いつも・・・)
 「mp3」や「wav」サウンド・ファイルが増えてきた。
 将来、大量のコレクション(おおかたゴミも)の中から希望ファイルを
 探し出すのは大変だ。
 流行り言葉「業務仕訳」にあやかるわけでもないが、
 自分なりの仕分システムを構築(大袈裟な)しようと思い立つ。
Q:図書館には「日本十進分類法(NDC)」や「UDC」がある。
  これを使えないか?
A:ジャンル不足で、とても使えない。で、おじゃん。
Q:NHKと「日本レコード協会」などが「歴史的音盤アーカイブ推進協議会」を設立、
  浜松支局で保存されている「SP版レコード」(約16,000枚)の
  デジタル化に取り組んでいる。
  沢山の音源を、独自の仕分け方法に基づき分類整理・保管しているはず。
A:NHKアーカイブス(埼玉県川口市)ではコンテンツのデジタル化が着々と
  進められているが。分類方法は公開されていない模様。
Q:埼玉県立図書館がNHKのレコード分類を参考にしていたと記憶
A:見つからぬ。
Q:それじゃ、いっそのこと、音源の分類は「mp3」の「ID3タグ」の分類を
  参考に挑戦してみるか!
A:というわけで、ボチボチ取りかかろう!!

今日から二日連続で 「ラジル★ラジル」でNHK FM番組
 「今日は一日“浜松アーカイブス”三昧(ざんまい)」が放送される。
 聴きたい放題! ありがたや。
本人に「粗大ゴミ」との自覚がないところが「大問題」の清掃の日であります“忠太”

今日は「お彼岸」そして「万年筆の日」

2011-09-23 09:58:16 | 思い出
■由来:1809年、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが
 金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許をとった日に因む。
■悪筆ゆえに、「弘法 筆をえらぶ」もありかな、とばかりに、
 万年筆売り場へ行くと足が止まってしまったものだ。
 金ペン軸など手が届く筈もなく、もっぱら「Just Watching!」。
 就職後、社内報の編集を命じられ、パソコンはおろかワープロさえない時代、
 事務所の中でガチャ・ガチャ・ガチャ~ンと鎚音高く響くのは
 「日本語タイプライター」と、パタパタと紙を叩く文字ハンマーの音が聞こえる
 米国Remington Rand(レミントン・ランド)社製英文タイプライターの音。
  (画像クリックで拡大)
 ↑コンピュータ・キーボードの文字配置のもとになった手打ち式英文タイプ。
 キーを押すと文字ハンマーがテコの作用で勢いよく立ち上がり、
 インク・リボンをたたくと、インクが紙に転写されるしかけ。
 早打ちしても、ハンマー同士がぶつかり難いようにキー「A~Z」の
 配置が決められ、そのまま現在に引き継がれた。
 大文字小文字の切り替えの「Shift」キーの働きもそのまま。
・走り書きの原稿を印字してと、タイピストのお姉さんに頼みに行くと、
 怖い顔して「ゲンコー用紙に書いたら!」と叱られた。
 仕方なくコクヨの400字詰め原稿用紙を買い、鉛筆舐めナメ書いたものだ。
・話しを万年筆に戻そう。
 その頃、本通り商店街の中に洋書や結構高い文具、そして名高い、あの
 「Burberrys」のコートを扱っている「丸善」と言うお店があった。
 ※現在は八丁堀のデパートにあるはず。
 筆記具売り場へ行くと、輸入物の高級万年筆がショーケースの中に鎮座、
 値札にびっくり。
 仕方なく、国産品を買い求めたことを思い出す。
・なぜ、万年筆にこだわるか?ルーツをたどると
 どこかで、有名作家の直筆原稿を見たときのあのショックだと思う。
・そうだ、頭に浮かんだことを、流れるように文字に置き換えていく、
 それには手の一部のような万年筆が必須である!と、勝手に決め込んだ。
・デパートでは、高級品に目もくれず、片っ端から試し書き。
 ここで、いつも後悔する問題にぶつかる。
 ペン売り場には腕に自信の達筆家が試し書きしている、
 こっちは悪筆だからせいぜい「あいうえお」くらい書いた後は、
 グルグル同心円や蛇の蛇行跡を書くのみ。
 ペン先の滑りテストだけして、買って帰り、さて漢字交じりの文章を書くと、
 からっきしいうことを聞いてくれぬ。
 そんなこんなで、引出しの中で眠ることになる。
・いつしか、インクが詰まりペン先だけ記念に残しゴミ箱行き。
・その後、某中央紙文化部記者が「これは良いペンだ、大切にしなさいよ」と
 褒めてくれたドイツ製のポンプ吸入式万年筆があったが、
 いつの間にか引出しから家出したまま未だに帰ってこない。
 陰の声:携帯なら呼び出せるのに!
・今日が「記念日」と知り転居荷物を再点検。ようやく2本探し出した。
・このマークを見ると、なぜか胸が高鳴るのだ。
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  ↑ペリカンのロゴマーク
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  写真上段:しなやかな書き味が気に入っていた、パイロット製「Elabo」書き味「S-F」
     中段:独PELIKAN製「SILVEXA」(シルバー・ヘアライン仕上げ)
     下段:先だけ残った「PELIKAN 18C-750(書き味-EF)」 ペン(ニブ)+ペン芯
・「般若心経」の暗誦にチャレンジした「 I 」氏(彼は中途で暗礁に乗り上げたそうな)に
 倣い、写経でペン字練習をするかな。心身健康にもなるだろうし。
 万年筆ファンは健在、ネットでうようよ。
 K市のS万年筆さんには名匠がおられ、東京の川窪万年筆さんも元気。頼もしい限り。
■100年音質CD!!
 これ書いている内に、セーラー万年筆さんが「ガラスコーティングの100年CD」を
 作っていることを知る。
 100年先にはいないので、試聴にとどめる。 
 保存期間さりながら音質も良いとのこと、興味と財力のある方は
 「100年品質 カラスCD」
 
 「モンブラン」や「パーカー」より
 「ペリカン」や「ウォーターマン」が好きなヘソ曲がり“忠太

Autumn in New York

2011-09-20 17:44:17 | 思い出
・台風15号の接近のせいで「静かな秋」は、まだまだ遥か先のようだが、
 ふと「ニューヨークの秋」(Autumn in New York)と言うジャズを思い出した。
 懐かしい、今は亡き世界的テナーサックス奏者「松本英彦」の演奏が聴ける。 感謝!
オフィシャルページ
モントレー・ジャズ・フェスティバルに招待され、授賞多数。
 惜しくも2000年2月29日、73歳で亡くなった。
・大昔、日本に「第一次ジャズブーム」を巻き起こした「ビッグ・フォー」と言うジャズ・バンドが
 存在したことを記憶している人は、おそらくこの度の「敬老会」に招待されていることだろう。
・残念ながら、バンドメンバーは全員他界された。
 テナーサックス:松本英彦(2000年没)
 ピアノ:中村八大(1992年没)
 ベース:小野 満(2008年没)
 ドラムス:ジョージ・川口(2003年没)
 ※中村八大は坂本 九が唄い大ヒットさせた「上を向いて歩こう」作曲のほうが有名かな。
  作詞は永 六輔。
・ちょっとムードは異なるが、同名の映画「Autumn in New York」が松本英彦が亡くなった
 2000年に制作されたのも何かの縁かな? ストーリーは全く関係ないけど。
 出演:リチャード・ギア/ウィノナ・ライダー/ジュリアン・ヘネシー
あらすじ

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