COSMOS

"忠太"奮闘記

孫帰る(p_-)

2011-09-05 20:46:35 | 思い出
・帰省していた生後7か月の孫が、本日「上機嫌」で京都に帰って行った。
・二つほど覚えた「芸」をお土産に。
 その1.二週間前に来たときは「縄文語」だったが、
     ジジ&ババの特訓よろしく「弥生語」を覚えた。(^O^)/
 その2.顕著に腕力・脚力がついた。
     オムツの交換の際、母親を突き飛ばす勢い。(@_@)
・滞在中のJPG静止画とAVIムービーファイル約2ギガバイトをDVDに収め土産にことづけた。
・万一、パソコンが不調になった時に備え、「KNOPPIX Version 6.2」も添える。
 Windowsが起動しなくなっても、このDVDでOSを起動し、大切なファイルをバックアップができる。
 これで、ジジ&ババ奮闘記もめでたくお開き。

脳卒中リハビリ革命-脳が甦る

2011-09-04 22:04:28 | 思い出
ある日突然「脳卒中」に襲われ・・・周囲に複数の知人友人がおられ、
いつか自分も、と気になっていた「脳卒中」
偶然テレビのスイッチを入れたら
NHKスペシャル「脳卒中リハビリ革命-脳が甦る」の画面。
NHKの元部外解説委員で関西学院大学教授の藤田太寅氏が、
自らの罹病・リハビリ体験も含めて取材。
***番組予告によれば
介護の原因の第一位とされる脳卒中。長い間良くならなかったマヒを、
劇的に改善する新たなリハビリが次々に登場している。
脳科学の発展で急激に変わるリハビリ最前線を取材。
「4年間まひしていた手が、10分の訓練で動きだした」。
今、脳卒中のリハビリで新たな手法が続々登場している。
重いまひが残ることも多い脳卒中は、発症から長い期間がたつと、
リハビリの効果も落ちるとされてきた。
しかし、脳科学の進展で、脳の驚異的な再生力が明らかになり、
難しいとされていたまひの改善が可能になってきた。
最新の電子技術を使った手法から、リハビリ効果を格段に上げる
意外な工夫まで、変化の最前線を取材。
***
◆再放送予定
2011年9月13日(火)午前0時15分~1時04分(12日の深夜)総合テレビ

美しい星空はまだ?

2011-08-31 10:54:22 | 思い出
居座り総理を真似た訳でもあるまいが、なかなか「秋冷の候」となりそうもない。
それでも、暦は明日9月、今年も残りわずか122日となった。
62日後の11月1日には辰年の年賀はがきが発売される。
まさに光陰矢のごとし。
さて、ジャズ・ヴァイブの第一人者として知られるライオネル・ハンプトン
(Lionel・Leo・Hampton)が9年前2002(平成14)年の今日、
心不全によりジャズメンとしては長寿の94歳の生涯を閉じた。
しばし、秋の夜長を星空眺め、静かに耳を傾けてみるのも一興。
この人にこの曲あり、これを聞かずしてJazzを語るなかれと言う人もいるほど。
接近中の台風12号が汚れた空気を消し去ってくれた後の、
済んだ夜空にちりばめられたスターダスト!


◆Stardust-Lionel Hampton All Stars(15'00")
◆Stardust-Lionel Hampton & Oscar Peterson
◆Stardust
「スクラッチノイズ」も懐かしい
◆Flying Home(1957)
赤い灯青い灯を横目に見て、帰心矢の如し!
◆In the mood
この曲を映画「グレンミラー物語」で覚えた人も・・・
◆Autumn Leaves
 ちょっと早すぎたかも
◆Sing Sing Sing
◆In The Mood
オーケストラとのコラボレーション(55分12秒の長編)
-1994収録の「Munich Summer Piano Festival 1994」より

野田総理選出、どんな「どじょう?」

2011-08-30 13:11:22 | 思い出
今朝の某中央紙のコラムを読み、スカッとした読者も多いのではないか。
お叱りを覚悟で、我がブログの記録にとどめておきたい。
(せめてものお詫びの印までに、購読申込み先はトリミングせずにおこう)
←(画像クリックで拡大)
♪永田町名物荷物にゃならぬ、聴いてお帰り安気節♪
 愚鈍が売り物の新代表が持ち味活かし、民意を汲んで、
 どんな「どじょうすくい」を踊って見せるか、これを最後に、一縷の望みを託し見守りたい。

 いでよ 平成の志士! 
 誰も寝てはならぬ・・・関係ないか(@_@)

“アラ エッサッサ~”なんてふざけてる場合じゃないよっ “忠太”

唇が腫れそう

2011-08-29 11:24:04 | 思い出
永遠の名曲「べサメ・ムーチョ(Bésame Mucho」(英題「Kiss me more」)を作った
「コンスエロ・ベラスケス(Consuelo Velázquez)が1924(大正13)年の今日生まれた。
 この曲は彼女が17歳の時に作曲した、相当おませなお嬢さんだったのだろう。
 今なお、これほど世界中で唄われ演奏される曲もないのではないか。
 と言う訳で、今日のテーマは「べサメ・ムーチョ」。
 YouTubeから面白そうなものを拾ってみた。(邦人を除く)

◆トリオ・ロス・パンチョス(Trio Los Panchos)
 このバンドのヴォーカルと「レキント・ギター」の音色に魅せられ
 ラテン音楽のファンになった人も多いはず。
 バンド名を「Tori Otosu Panties(取り落とす、パンティース)」
 などとふざけて誤読した輩がいたとか、いなかったとか・・・。
 忠太のあずかり知らぬ噺。
 同じ頃に「ロス・トレス・ディアマンテス」と言うバンドもしばしば来日していた。

◆エディット・ピアフ&シャルル・アズナブールのデュエットで(Edith Piaf & Charles Aznevour)

◆エルビス・プレスリー(Elvis Presley)

◆ビートルズ(The Beatles)

◆若き日のプラシド・ドミンゴ(Placido Domingo)

◆盲目の天才テノール、アンドレア・ボチェツリ(Andrea Bocelli)

◆ディーン・マーチン(Dean Martin)

◆ナット・キング・コール(Nat King Cole)

◆ティノ・ロシ(Tino Rossi)

◆サルサで(SALSA LATIN BAND)

やれやれ、拾っていたらきりがない。
あとはYouTube内をのんびり散歩でもするか…。“忠太”

◆今日は何の日「民放テレビスタートの日」、または「テレビCMの日」

2011-08-28 07:13:45 | 思い出
 ・由来:1953(昭和28)年8月28日午前11時20分、日本最初の民間放送によるテレビ局
  「日本テレビ」が本放送開始。
 ・日本初のテレビコマーシャルも放送されたことを記念して、日本民間放送連盟が
  2005年に制定したもの。
  初のテレビCMは服部時計店(精工舎・SEIKO)がスポンサー。
  ナレーションは「精工舎の時計が正午をお知らせします」の予定だったが、
  不慣れのためフィルムを裏返しに入れてしまい、音も不明瞭なものとなってしまった。
 ・当時のTVコマーシャルは16mmフィルムで作成し、局に持ち込み「テレシネ」
  と言う装置で、30コマ/秒(正確には29.970029コマ/秒)に変換し電波に乗って放送された。
“忠太”注記:
  フィルムの音声(サウンド・トラック)は片側(画像の背面から見て右側)
  しか記録されていないので「裏返し」なら当然画像も左右逆さまだし、当然音声も出ない。
  フィルムに直接焼き付けず、音声用のネガ・フィルムに焼付け画像ネガと重ね合わせて
  現像完成した。
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 「国民総白痴化放送」の始まりぃ~い!!
 このまま続けることになったら、静かなテレビ放送が実現してたのにな~ぁ

音声認識の実力や如何に?

2011-08-27 12:51:00 | 思い出
◆朝顔がようやく本調子になってきた。
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◆音声認識に挑戦
・感音性難聴を補助するため使えないものか?と、
 次期バージョン(Windows8?)でさらに機能アップが予定されている「音声認識」機能を
 WindowsVistaで試してみた。
・仕組みは、パソコンの操作(コマンド)や文字入力をすべて音声(言葉)でおこなう。
・プログラムの場所は
 [スタート]ボタン→[すべてのプログラム]→[アクセサリ]→[コンピュータの簡単操作]→[Windows音声認識]
 でソフトを起動、画面指示に従い、あらかじめ用意された文章をマイクに向かって話す。
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・この作業で使用者の声色、話し癖、アクセント、訛りなどをコンピュータに覚え込ませる。
起動すると小さなウインドウが開く
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 認識できない時は左側のボタンが「オレンジ色」に代わり「何ですか」と聞いてくる。
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 試しに[メモ帳]を起動し、マイクに「ウインドウズ」としゃべると、
 すかさず「Windows」の文字がメモ帳に入力される。
 ジャパニーズ・イングリッシュでもちゃんと認識してくれた。
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 メニュー[ファイル]→[名前を付けて保存]などの操作も一切言葉で実行する。
 ※メニューバーのコマンドは番号で指定する。
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感想
・特殊な単語や熟語は変換間違いも起こすが、ユーザー辞書を充実させれば十分使用に耐えると感じた。
・音声入力練習用文例の文字変換精度はかなり高かった。
・コマンド実行やマウスクリック、キーボード操作をすべてマイクを通じ言葉で実行するため、決められた「入力ルール」を覚えなくてはならない。
 使い始めは面倒だが、習熟すれば十分な機能と感じた。
・自分の意思を文字化する方法としては使えるが、対話相手の言葉を文字に置き換えることは無理。
・当面の解決策として、超指向性マイクで聴くしかないのかも。
 しかし、ピストル型ガンマイクを向けられた相手は、さぞかし驚くことだろう。

朝顔日記-第46日、そして終戦・・・。

2011-08-15 08:46:55 | 思い出
◆サギソウが一足お先に開花
 お盆にタイミングを合わせるかのように昨夜開花してくれた。
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◆アサガオ、ムムッ!
 まだまだ、気を持たせること。
 
◆終戦記念日の思い出
 忠太、9歳の夏休み、旧満州・奉天市の加茂小学校校庭に全児童が集められ、直立不動で頭を垂れ正午「玉音放送」(4分47秒)を聞いた。
 雑音にかき消され、その上児童には難解な言葉も多く、放送内容は分からなかったが、先生から、早く家に帰るように言われ帰宅した。
 
 良く知られる「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の部分は、後日大人の会話と活字で知ることになる。
 夕方、小規模な暴動が起きて近くの工場建物の壁が壊され、中から「反物」のようなものを担いで逃げる人の姿が見えた。
 怖いというより、一体何が起きたのか分からず、ただ茫然と二階の窓から見ていた。
 近所の人たちが近くの倉庫から持ちだせるものなら何でも・・・、ということで小学4年の忠太も駆り出され、重い袋を引きずって家まで持ち帰り、開けてみたら「氷砂糖」だった。当時甘いものが無かったが、どうしてこんなに多量の氷砂糖が保管されていたのか未だに謎のまま。
 ウニの塩漬けなど、当時滅多に口にできないものもあった。
 後に「隠退蔵物資」という言葉を知った。まさにこれであった。
 旧日本軍が戦時中に民間から接収したダイヤモンドなどの貴金属類や軍需物資について、GHQ占領前に処分通達を出し、大半が行方知れずとなったいわゆる「隠退蔵物資事件」に比べれば「氷砂糖」など可愛いものだった。
 勝っても負けても、いつも損をさせられるのは庶民。

◆満州国の放送とラジオ
 当時、ラジオ放送を聞くには「許可」が必要だったなんてこと全然知らなかったし、有料だった(放送無線電話聴取料)にもかかわらず、広告放送が既に存在していた。(日本国内での民間放送が開局する10年以上前の話)
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 受信機の内側に張られた注意書き「ラヂオは許可を得て聴きませう(しょう)」
 受信機を購入してもすぐには使えなかった。
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◆父はシベリヤへ抑留
 終戦の直前に「召集令状」が来た父は、前線で武装解除されシベリヤ行となり、およそ2年間のラーゲル生活を経て帰国(昭和22年6月)。
 後々、極度の栄養失調が肝臓病の引き金となり13年2か月後、享年56歳であっけなく黄泉の人となる。 
 ボチボチ自分史を兼ね昭和~平成の整理してみたい “忠太”