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"忠太"奮闘記

きのうから博多に来ている。

2011-11-06 06:00:00 | 思い出
■高校時代の親友夫妻とお昼を一緒に。
 彼は脳出血と脳梗塞で2度倒れたが、奇跡的に一命のみならず、五感と筋力のほぼすべてを回復、
 後を継いだ令息の医院で週3日診療を行っている。
 地元では「赤ひげ先生並み」の人気者。
 先年お亡くなりになった久留米大学名誉教授脇坂順一先生に師事し、
 研修医として医局に勤務時代、恩師たちがネパールに「医療奉仕団」を派遣した時は、
 団員として現地に赴き、医療奉仕活動のかたわら、近くの山々に登る山男。
 恩師について 多くを語るより→こっち

■昨日の同期会出席メンバーは 歳か 歳で「後期高齢者」のお仲間入り。
 体力さがる 気力も下がる 税金上がる 血圧上がるシワ増える 
 で、話題は大いに盛り上がった同期会。
 次回は「生前分与」、「遺産相続」、「葬儀」が話題の中心に?
 顔見てすぐわかるのは昔のガキ大将グループ仲間!

■今日は早朝から土砂降りの悪天候。
 晴れ女の誉れ高き女房殿のご威光か、昼前には薄日が差すほどに回復。
 ホテルで時間つぶしの後、タクシーで変貌甚だしい市内中心部の観光、
 途中堅粕の母校へ立ち寄り、昔のままの校門前で撮影。
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 ※タクシーの運転手さんに撮ってもらった。
  懐かしの風景にちょっとばかりしんみり・・・。

 昔も今も「九州大学」合格者競争が続いている。
 2011年度の「九大合格校ランキングトップ5」をネットで調べてみると
 1位・修猷館高/2位・福岡高/3位・筑紫丘高/4位・東築高/5位・明善高
 残念ながらわが母校は、3人差で修猷館高の「後塵を拝す」結果だった。
 約60年前、高校の入学式の校長歓迎あいさつで、早速「修猷館」に負けぬよう
 勉学に励めと訓示があった。
 自分は期待に応えられなかったが・・・、同級生たちが頑張ってくれた申し訳なし。

■博多山笠「追いやま」は、ここ「櫛田神社」からスタートする。
 この石をぐるりと回り「オッショイ・オッショイ」の掛け声とともに市内へ繰り出す、
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 子供の頃、スタートを観んものと、早朝よじ登り「高みの見物」としゃれ込んだ
 こともある、境内の楠は60年を経てなお健在。
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 おりしも「七五三のお祭り」で着飾った小さな子供さんたちを連れた親御さんや
 ジジ・ババで境内が賑わっていた。
 肖像権(?)の都合で、画像掲出は遠慮しポスターで
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 アジア系の若い観光客に頼まれシャッター(何とCANONのデジイチ所有、免税店で購入?)
 を数枚切ってあげたら、今度は私のコンデジで二人揃ったところを写してくれた、
 こんなことならNikonのデジイチ持って行けばよかったと
 つまらぬところで意地が出てしまった。
 子供たちにカメラを向けていたので、知ったかぶりして、
 This is one of famous Japanease traditional ivent.
 Seven Five Three years old Festival・・・と説明したが「キョトン」
 「シチゴサンマツリ」と言い直したら「Oh I see」と来たもんだ!
 団体旅行のブリーフィングで、日本語での呼び方を教えてもらったのかもしれない。
 後ろ髪を引かれる思いで  土産話を手に博多を後に、 一路広島へ向かう。
■行きも帰りも「ももたろう」(メールのニックネーム)夫妻と一緒の予定。
 しかし、友からの連絡で一電車遅らせるとのことで、別々の帰広。
 友はありがたきかな、色々と気を遣ってくれた。
 山ほど撮った 整理が大変 

ついでのことに
■お見合い記念日
由来:1947(昭和22)年のこの日、東京の多摩川河畔で集団お見合いが行われた。
 結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、
 戦争のために婚期を逃した男女386人が参加した。
◆陰の声:戦後のベビーブームのきっかけになったかな?

■アパート記念日
由来:1910(明治43)年のこの日、東京・上野に日本初の木造アパート
 「上野倶楽部」が完成した。

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