16年前にも大きな地震があった日本。
いい年をした大人だった私だがその時の被災地の様子をあまり見た記憶がない。
地震の3日後に出産したためかとは思うけど今思うとあまりにも無関心だった。
北陸に住んでいたので広島から来てくれるはずの母の交通が寸断されていることが気になっていたことはよく覚えている。
あの時も今ほどではないにしてもきっと毎日報道があったはず。
あの時よりも遠い被災地がこんなに気にかかるのは自分に余裕ができたからだろうか。
町全体での引越しや学校全体での引越し。
落ち着かない発電所と放射能。
まだまだ続けなければいけない復興支援。
関心を持ち続け噂話に惑わされず人の話を聞ける人間にならなければと思う。
いい年をした大人だった私だがその時の被災地の様子をあまり見た記憶がない。
地震の3日後に出産したためかとは思うけど今思うとあまりにも無関心だった。
北陸に住んでいたので広島から来てくれるはずの母の交通が寸断されていることが気になっていたことはよく覚えている。
あの時も今ほどではないにしてもきっと毎日報道があったはず。
あの時よりも遠い被災地がこんなに気にかかるのは自分に余裕ができたからだろうか。
町全体での引越しや学校全体での引越し。
落ち着かない発電所と放射能。
まだまだ続けなければいけない復興支援。
関心を持ち続け噂話に惑わされず人の話を聞ける人間にならなければと思う。
神戸の大震災も中越地方の震災もTVでよく知っていた気がしてましたが、今思うと私はやはり他人事だったんだな、と反省。
私は軽い被害でしたが(地震そのものは)まさか自分が被災者の一人になるなんて思わないですよ。
でも思い出すと長崎の大水害も経験して(これも金曜日でした)、しばらくして被害はないものの雲仙普賢岳の爆発を身近に感じたりと世の中何が起こるか分からないほど周りには災害があったのだなと不思議な気持ちです。
今キーを打っている最中も余震があり、ここ数日は少し間隔は遠くなっているものの、もうひっきりなしの余震で感覚がおかしくなっています。
女性に多い症状のようですが、地震でもないのにずっと頭や身体が揺れているのです。
本当に揺れているのです、自分の中では。
実際には電灯にぶら下がっている紐はピクリとも揺れていないので地震ではないのです。
昨日は特にひどくて立っていられないくらいでしたが、これくらいで病院には行ってられない。
ガソリンもないし(笑)。
今日も雪が降りました。
なかなか春が来ませんね。今年の桜はいつ咲き出すのでしょうね。
毎年4月、そんなに遠くない三春というところの有名な滝桜を見に行くんですよ。
広島はもっと早く咲き出しますね^^
神戸の地震は、私にとって衝撃でした。
四国でもかなり揺れました。
もちろん寝ていましたが、
揺れる直前に目が覚めて、なぜ目が覚めたのかな~
とぼうっとする間もなく揺れはじめ、
ゆっさゆっさと長い間揺れました。
すぐにテレビを付けて神戸の地震だと分かりました。
衝撃だったのは、その後の火事でした。
地震って揺れて壊すだけではないんだということを初めて知りました。
そのとき、同じ職場だった人のお父さんが一人で神戸に住んでいたのに
連絡が取れないということで、
その夜から神戸へ行かれました。
無事を確認して、こちらへ連れて帰られました。
でも、結局仮設住宅に住まわれると言ってすぐに神戸へと。。
慣れたところを離れたくないということでした。
その後、1,2年してから神戸の街を電車で通ってもブルーシートをかけた屋根が点在していました。
もちろん、今回の衝撃は比べられないほど大きいです。
それは、被害の大きさと身近な人が増えたからです。
ヨンちゃんのおかげで心配に思う友達ができました。
それから、個人的には、夏の研修のおかげで同じく心配に思う仲間ができました。
その人たちからとてもリアルに被害の様子を聞き
全く揺れを感じなかった私も心が痛い。
↑スーさんのお話もまたしかり。
三春。ネットで見てきました。
まさに渦中のところですね。
そして、四国住民の恐怖は、いつ南海地震が起こるのかということです。
四国も寒いですが
桜は咲き始めました。
満開の桜に今年は何を思うのでしょう。
すみません。またコナンさんちでこんなに書いてしまった。。
自分ちで書けよ~
ちょうど、同じ看護学校を出た同級生が15人も住んでいて、一番の親友も居たから心配でたまりませんでした。数日後にようやく連絡が取れましたが、現地はすごいことになっていたみたい。職場に居た数人は帰宅することも出来ず不眠不休で働いていたとか・・・病院にはロビーまで運ばれた人が寝かされていて・・・水も出ないからトイレも汚物であふれてる。と聞きました。「何か出来ることがあるなら
飛んでいく!」と、いったのですが(当時はまだ独身で身軽でしたから)「来る道も閉ざされているし、来たところで、寝るところもなければ食べるものもないよ。いまは遠くから応援してて!」と、いわれました。
友達は、しばらく恐怖で家に入れず車で寝泊りしていたそうです。そんな人もいるかと思えば、あの大震災でも目を覚まさず昼前に起きて外へ出たら町が壊れていて驚いた。と、話した友達も居ました。
神戸の時は自分のことのように悲しく思いました。
今回、東北には知人や親戚は居ないのですが、ここ神奈川もかなりの揺れがあったためか、恐怖心がまだあります。少しの余震でももっとひどくなるのでは?と、どきどきしてしまいます。
そして、あの映像を思い出すだけで、絶句してしまいます。親と引き裂かれてしまった子供たちを見ては
涙が止まりません。こちらでも、
目に見えない放射線の恐怖などなど、いろいろ心配事は耐えませんが、情報を正しく見極める力をつけ冷静な行動をしていきたいです。
そして、この先も支援の輪が継続していかなければ・・・と、思います。
今年中は続くのではないでしょうか
私も今回初めてこんなに余震を体験したことがなかったので 体内地震なのか 揺れていないのに妙に体が揺れているような錯覚に ちょっとした音に敏感になったりと・・・
今朝のニュースで言っていましたが 予想できない
今回の大津波 自然の破壊力のすさまじさ本当に恐ろしいことです。
どんなに津波を想定して避難練習していても自主避難
自分の身は自分で守る 津波=高台に逃げる
常に危機感を持って生活すること
地形にもかなり被害を拡大したよいんが リアス式海岸だったのがこの未曾有の大災害につながったと
私はこの災害がもし夜中に起きていたらと思っただけで まだ日中だったので
国としてまた一人一人が同じ思いでこの苦難を乗り越えて復興のために頑張っていくことが命を落とされた方々のためにも 今 心を一つにしてね。
日本人はあきらめない 必ずよみがえてみせると
この強い精神で頑張るしかないですよね。
小さなことからさ自分でできることからさ。
被災地の方のところはどうでしょう~?
そうですよね、コナンさん輪が息子達の生まれた年に
阪神大震災があったんですよね~
今回の東北の地震は16歳になる息子達にもしっかり
刻まれた出来事になったと思います!
日本に住んでいたなら、1度や2度の自身の経験は皆さんありますよね~ですから地震でないのに揺れてる間隔ってみなさんわかるんじゃないですかね
今回の災害も、地震から津波、原子力と次々問題が移って行ってきています、毎日のTVのニュースが気になってしょうがないです。
せめて季節だけでも、皆さんがしのぎやすいように1日も早い春が来てほしいと思います。
ヨンジュンを知って確かに日本のどこかに友達ができてとっても日本が近くなって来ました~
だからこそ今回の災害には、本当に心がとっても痛かったです・・・でもやはり当事者の心をわかるのは難しく、それでも少しでも、そんな方に寄り添って、何かできたらと思います!
joon愛さんリダくんのTV情報ありがとうでした
でも、間に合いませんでしたすみません
コナンさんが教えてくれた4/6に頑張ります(でもこの日は息子の入学式なんで忘れないか心配です。
輪が息子我が息子
間隔感覚
下船病とか地震酔いとか言われていますね。
ストレスを軽減させるとか少し動くと良いんだそうですね。
こういう状況ですからストレスを減らすのも大変です。
ガソリンはこちらでは不足しているわけではありませんが、あまり出かけないようにしているのでまだ震災後には給油していません。
少しでも東に回るといいのですが…
まだまだ寒くてとても桜が咲きそうにもありません。
入学式のころには咲くでしょうか。
なかなか当事者にならないとその実情はわからないですよね。
想像だけでは限界があります。
何もかもなくなったのに仕事もないんですからこれからどうすればいいのか考えられないという方が何万人もいらっしゃるんですよね。
しかも身内が行方不明で県外に避難するわけには行かないと。
原発の近くでは捜索もできないと。
何もできないもどかしさ。あちこちにありすぎますね。
あの阪神大震災もあまりに悲惨な状態を見て悲しみながらも自分の幼子を育てるのに必死でしたね。
私は無関心だったんじゃなくて 無関心でいたかったんだと思う。
でも今回は無関心でいられないのも 直接降りかかる問題が多すぎるから。
やっぱり地震以上に今回は原発という見えない放射能が将来のこどもたちに与える怖さを思うと親として守らなくてはいけないものが多くなったのでしょうね。
原発の被災地の人でも 高齢の人にとっては県外退避によるストレスと 10年後の健康と比べたら 今 自宅に留まりたいはず でも 物資が行き渡らないなら 避難させなくてはいけないし 考えたら大変…
地震と原発のダブル それに今後日本のどこかで起きるかもしれない大きな余震
復興支援も日が経つにつれさらに課題が増えてくると思うと やはり 無関心ではいられない。
日本全体で考えないと明るい未来は望めないです^^;
正直 実際 自分で経験しないと本当の苦しみは共有できないと思うけど…
そばで寄り添ってあげれなくても ずっと関心を持っていることが一番被災者のかたには励みになると思います。
1ページまるまる使ったたくさんのコメントありがとう。
コメント欄にたくさん書きすぎて【これ記事にまわそう】と思うこと私もよくあります。
私の場合書くのが不得意なので余計に思うのかもしれません。
ブログに書くことなくなっちゃいますから~
神戸の時には愛媛もかなり揺れたんですね。
広島も揺れたんだろうなぁ。
あの時広島に残っていたのは父だけだったのでもう聞けませんがどんなんだったんだろう?
我が家の下のほうにも活断層があってちょっと危ない地域なんですけどね。
芸予地震からも10年が過ぎましたね。
津波の心配はないところですが地震は怖いですね。
四国は桜が咲き始めたんですか?
こっちも咲いているのかしら?ちっともその手のニュースは見てないですが…
看護職されてるんですね。(なんとなくそういう知り合いが多い私です^^;)
今回の震災でもいても立ってもいられずに休暇をとって地震2日目から現地に入ったお医者さんが新聞に特集されていましたが
医療従事者は絶対必要ですしケガが多いと大混乱になりますね。
誰でも代われるという訳ではないので代わりの人がいないと休めないですしね。
余震も放射能も怖いですし、まだまだ避難所では食料も足りていないんだとか。
4人の家族でも毎日買い物しないといけなくて、食べ物って本当にすぐになくなると実感していますが
それが何十万人分もですからね。
今までお米でよかったものをおにぎりを届けないといけないとなると必要量が作れないんでしょうね。
放射能は吸収されるものはあまりなくて洗えばとれるものが多いようですね。
水が汚れていてはどうしようもありませんが、もう徐々によくなってきているようですね。
慌てすぎない判断力が必要になってきています。