写真は2015/9/23~25「岐阜県 飛騨~新穂高温泉~上高地」
全体にお天気が悪かったのが残念
写真上:「奥飛騨温泉郷」のハイライト「平湯大滝」
中国が申請した「南京大虐殺の文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録され、日本政府は「ユネスコの中立・公平を欠く審査」「中国による国際機関の政治利用」と批判しています。また菅官房長官は、「我が国の(ユネスコへの)分担金や拠出金について、支払いの停止等を含めてあらゆる見直しを検討していきたい」と述べました。
これに対して中国政府は「日本がユネスコを公然と脅迫」と反発しています。そして「(今回は)記憶遺産への登録が見送られた慰安婦問題の資料について、『ユネスコから他の被害国との共同申請を勧められた』と主張。韓国を念頭に、2017年の審査に再申請する方針を示した」とのこと。
ところでこの拠出金(分担金)の最多分担率となっている米国は支払いを停止中なので、2013~15年の三年間は日本の10.83%が最大(37億円あまり)なのです。
ううむ、いろいろな問題が含まれていますね~。まず中国の素早い対応は「目には目を、脅迫には脅迫を」そのものですが、一応正当化しているつもりなのでしょうか? そしてもし日本が拠出金を見直すことになれば、ユネスコにとっては大きな問題でしょうが、もちろん中国はそのぶんを負担するつもりなのでしょうねえ? なにしろお金持ちですし・・・。
だけど個人的な印象としては互いに中傷合戦になるような登録はもともとの目的にはそぐわないと感じます。日本が申請した「シベリア抑留に関する文書」に対してもロシアが取り下げ要求していますが、類した記憶が多数登録されるようだと世界遺産の行く末が案じられます。
もうひとつの問題はユネスコに関することです。前回に続き「なぜ韓国の世界遺産・石窟庵はガラスで覆われているのか?」について奈良県立図書情報館で文献を調べていると、「韓国古寺紀行~日本仏教の源流を訪ねて~」(桑野淳一、2001、彩流社)に次のような記述があります。少し長くなりますが引用します。
・・・・・・・・以下引用部分・・・・・・
・・・韓国観光公社の案内によれば、「十九世紀初頭まで参詣の人々が絶えなかったこの石窟庵は、朝鮮末期の混乱期には人々から忘れ去られていましたが、1909年のある日、夕立に遭った一人の郵便配達人が雨宿りのために入った石窟の中ですばらしい仏像を発見したことから、再び日の目を見ることになりました。」
とある。しかし、その前年1908年には日本の高官が巡視し、その直後に石窟十一面観音像の前にあった大理石小塔、及び二体の仏像が搬出されて行方不明になるなどの事件がおきたりもしている。これ程の像が簡単に忘れ去られるとは考えがたい。その後、日本の総督府による修理、戦後には韓国政府によって、そして1961年にはユネスコの後援による三年がかりの改修が行われる。その結果二重ドームによって外部とは完全に遮蔽されることになり、冷暖房による適正温度、背後地下水の排水などによって保存の環境も飛躍的に良くなった。
単純な造りと前記したが、実は像には最新の心くばりがされている。右手は右ひざの手前まで伸びているが、これも後方の腕と手の大きさがバランスよく見えるように手前のほうを幾分小さく造作させているという。また像をドームの中心よりやや奥に置くことによってちょうど中心に位置するように見えるという目の錯覚にも気を配っている。既に世界的な傑作として広く紹介されているので今更これ以上の弁は要しないだろう。
・・・・・・・・・引用ここまで・・・・・・・
これまでのあいよっこの見解によると「なぜ左右の腕の所作が違うのか?ユネスコはこうした違いなど問題としないのか?なぜ世界遺産と認められたのか?」が疑問でしたが、この文章からは「おお、ユネスコは改修もするのね。とすると承知の上で認めたってこと?」とさらに疑問が沸き上がるのです。正確な時期的な流れはよくわかりませんが・・。
なぜかひとつのことにかかわってしまうと、調べていくうちに、またそれに関するニュースが出るごとに、大きく広がってしまいます。「拡散と収束」を良いバランスで行わないといつまでたっても終了できないよ~~。
写真:平湯大滝公園から大滝までの散歩コースも楽しい
ところどころ色づき始め
写真:大滝公園では足湯もさすが大きい。この池の周辺。
写真:この光景に「わあ、植物にも『擬態』があるのね!」
写真下:拡大するとこんな風に枯れ葉に隠れる「きのこ」たちが
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