それでは本題に入ります。特にあいよっこが注目したのは石仏さまの両腕・両手、つまり「印」の結び方です。
「慶州で2000年を歩く 新羅から現代への旅」(武井一、桐書房、2003)によると「印は降魔触地印(片手の先を地面につける形)である。釈迦が悟りを開く寸前をあらわしている印で、新羅の仏さまにはこの印をしたものが多い」と記し、具体的には左手を曲げて上向きに腹部に置き、右手は右脚から下に向く形です。
写真下:「トラベルデイズ 韓国」(2013、昭文社) より
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一般的なガイドブックやネットサイトではこのような写真が多く使われています。撮影方向が前方やや下方向からで、後ろからの照明のためか、光の反射が強くて石仏の詳細さや材質感がわかりにくいです。(この写真はそれほどでもないです)
ところが同じ「トラベルデイズ:韓国」(2013、昭文社)の「慶州」とびらページ掲載写真は、胸部分から下に強い影があり、とっても不自然でなにか隠すように補正しているように見えます。
さらにあるガイドブックの「石窟庵写真」は、これまで見てきた仏像の撮影方向が違っていて目を引きました。と同時になにか違和感をも覚えてしまいました。「なんでだろう?」
「世界遺産~一度は行きたい100選~アジア・アフリカ」(小林克己、JTBパブリッシング、2009)の写真が次のものです。
写真上:「世界遺産~一度は行きたい100選~アジア・アフリカ」より
違和感の原因はちょっと不自然に見える両腕にありました。ここでは左手が下に伸び、右手が曲がっているようにも見え、それをなにげに修正したようにも見えます。どちらにしてもお腹から下部分があいまいな感じです。
とすると「どこかで両腕・両手の方向が入れ替わった」ということでしょうか? そう思って写真を見直してみると、修復前の写真も下腹部が黒くなっているし、その上にある黒い影の写真も「なにか隠したいのだ」と納得できます。だけど韓国には文化遺産や歴史史跡などに関する専門家とか研究者がいるはずですよね?
もしこれが事実としたら、「いったいどこまでの修復作業が認められるのだろうか?そもそもそこに仏像は存在していたのだろうか?世界遺産ってなに?」という疑問と不思議な気持ちが湧いてくるのです。
次回は「なぜ石窟庵は厚いガラスで覆われているのか」について考えてみたいです。
・・・続く・・・
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