写真は2015/9/23~25「岐阜県 飛騨~新穂高温泉~上高地」
写真上:明神岳からの伏流水で冬でも全面凍結しない明神池
日本統治下で日本は韓国でどんなことをしたのでしょう?もちろんすべてを知ることは難しいでしょうが、石窟庵などの文化遺跡に関する資料はないかな?と探してみました。
奈良県立図書情報館には「韓国併合史 研究資料」シリーズ16まで(あるいは以上?)の7巻を所蔵しています。そのうち「韓国誌(朝鮮総督府編、龍渓書舎、2001復刻版・シリーズ14)」には当時の人口や地勢に始まり、生産・農学業、河川、気候と植物、運輸・交通、地方自治制度、教育と学術など多岐に及んで詳細に記録しています。
また「韓国通覧」には「朝鮮調査 予察報告」として「各地域の生活・住宅や田畑景色」などについて写真やイラストを交えた考察も行っていて、これが社会・文化関連に近いです。だけど見たところでは寺院・文化遺跡などの記述はなく、当時の韓国はもとより日本人においても関心・意識は薄かった、あるいはなかったのかと想像します。
思い込みではありますが、もし日本人が大掛かりな遺跡の修復などを行ったのであれば、なんらかの記録・報告があるだろうと思えます。どこかにあるのかな?それにしてもこうした記録・報告は、今となっては韓国にとっても貴重な資料ではないでしょうか。
なぜ日本人の記録や資料を調べるのか、というと「日本人が修理にセメントを使い、庵全体を密室化したことで保存状態が悪くなり、二重ドームが必要になった」ことがどうにも納得できないからでしょうねえ。古来より日本では建造物において湿気対策がとても必要でしたが、それを防止するのは決して「密室化」ではなく、反対に「開放・通風」ではなかったの?
そもそも石仏は花崗岩で造られ、約1300年間自然の中で、後半はほぼ雨ざらし状態で保存されていたわけです。この素材の花崗岩は「石英・長石を主成分に、黒雲母・白雲母などの有色成分が10%以下含まれ、各成分の結晶粒子が大きく熱膨張率が異なるために、風化や浸食を受けやすく表面がボロボロになりやすい」とのこと。言ってみればお地蔵さんの風貌です。
墓石でおなじみのように色は全体にグレーの濃淡となり、特に純白系(といってもグレー色は混じる)の産地は現在ではアフリカ・中国などらしいです。石窟庵の本尊・石仏はガイドブックなどの写真で見る限り、純白でとても古代の手彫りの丸彫りとは思えないなめらかさ、流線型の美しい姿とお肌です。古代の石仏は磨崖仏・線刻といった形式が一般的なので、特別な存在と言えるでしょう。
するとネットに次のような記事がありました。2013年11月15日10時26分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
門を閉めて国宝・石窟庵を現場点検、結果には口をつぐむ…なぜ?(1)(2)
*** 近日に続く ***
写真:別名「鏡池」「神池」と呼ばれる明神池。美しくて面白い
写真:鳥居の正面中央上に明神岳が聳える。(見えにくいけど…)
写真:薄くて神秘的なキノコ
写真:魚(うまく撮れなかった)も鳥ものんびり?
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