シーラカンスの憂鬱

照る日もあれば、曇る日もあるんだし…

『涙とLOVE SONG』

2005年10月08日 | 音楽
時代を越えて、
世の中に溢れる様に歌われ続けるLOVE SONG

ある人には、
  軽く聴き流され忘れ去られてしまう曲だったとしても、
ある人には、
  傷つき打ちのめされた心を優しく包みこむ様に響き、
  その人にとって忘れられない曲になる事だってあります。

特別なLOVE SONGたち。
そうした忘れられない曲たちは、
痛々しく流した涙の想い出と共に、
いつまでもいつまでも
大切に大切に
人々の心の宝箱に入っているものです。

   何かにすがりつきたい。
   誰か僕を慰めて欲しい。
   窓の外の月にさえ、僕を癒してくれる何かを求めてしまう…。
   こんな気持ちで大泣きした事があります。
   シーラカンスの憂鬱:『多摩蘭坂』より引用。

時々、耳にする言葉で、
傷ついた人に掛けるセリフがあります。

   「時が癒してくれるよ。」

『Me.ing Sisters ~日記っぽいもの~』のmicco様が、
『時は癒してくれず』という記事で仰ている内容に僕も同様の思いです。

   時が癒してくれるだとか、
   時が解決するだとかそんな気休めを言う人をよく見ます。
   私はその言葉ほどテキトーな言葉はないのではないかと思うほどです。
   (適当ではなくあえてテキトーと書きました。)
   私の友人が最近大恋愛を終わらせたのです。
   だけど私が言えることはただひとつ。
   「泣きたいときは泣けばいい。」 
   Me.ing Sisters ~日記っぽいもの~:時は癒してくれずより引用。

「時が癒してくれるよ。」というセリフを用いる全ての人が
気休めやその場限りの繕いの気持ちで言っているとは思いませんが、
僕も、心の傷は「時が癒してくれる」ものではないと思います。

   心の傷を癒すものは、「自分自身の心」です。

「自分自身の心」に正直に、
泣きたいだけ泣き叫んで流れ出た涙。
それは、ただの水ではない。
固く塞ぎ込んで閉じてしまいそうな心の扉を
少しずつ少しずつ
静かにゆるやかに開いてくれる
心の泉から湧き出る魔法の水

   泣いて
   泣いて
   泣きじゃくって

新しい一歩を踏み出すのは、それからで良い。

   「零れ落ちた涙は、
    きっとダイヤモンドになる!」

そう想い続けています。

『アインは☆おっ気軽に。。。』のアイン様の
『涙の数だけ』という作品では、短い言葉の中に
解りやすく綴られた素敵な想いが表現されています。

特別な出来事たち。
痛々しく流した涙は、
「自分自身の心」を育んでくれるでしょう。
そして、
やがてダイヤモンドになり、
いつまでもいつまでも
大切に大切に
人々の心の宝箱に入れられているのでしょう。

時代を越えて、
世の中に溢れる様に歌われ続けるLOVE SONGは、
誰かの心から零れ落ちた涙(ダイヤモンド)の結晶ではないでしょうか。

◆関連リンク◆
   シーラカンスの憂鬱:『多摩蘭坂』
   シーラカンスの憂鬱:『愛すべきホイミスライム -癒し-』
   シーラカンスの憂鬱:『Dudada』