せいこのつぶやき

大阪のCitronのせいこの日記です。
みなさま、よろしくおねがいします。

断捨離の功罪

2022年02月11日 10時48分00秒 | Weblog
 つい最近までは整理整頓という言葉しかなかった
 けれどいつの時代から「断捨離」などという言葉が書籍やネットを席巻するようになった
 必要でないものを捨て快適な生活を手に入れようというものだ
 メディアは飛びつき、断捨離名人と言われる人達は度々メディアに登場し部屋のあちらこちらのモノを捨てるようにアドバイスする
 世俗にまみれ大量消費時代に暮らしている私たちには、まさに神からの啓示の如くありがたいアドバイスとして受け取った
 服、本、食器、入浴剤・・・etc
 人は長く同じ場所に住むとついついモノが増えてしまう
 そらそうだ
 今でこそ写真は情報として扱われ、小さなUSBにたくさん収納出来るが、第二次ベビーブーム生まれの僕からすれば写真は無限に増えていくものの一つだった
 「増えるアルバム」という商品があったぐらいだから、当時から写真は増えるモノという前提があったのだ、50年も前から
 それに高度成長期、モノを購入することは国民の喜びであり使命でもあった
 だから世の中はモノで溢れ出した
 けれどバブルが崩壊し、幾つもの不景気に飲み込まれた日本人は購入する喜びだけを残してたくさんのモノを失ったのだ
 そこに現れたのが「断捨離」
 目から鱗
 モノを捨てれば生きやすくなりますよ、幸せになれますよ、とある日提案されたのだ
 人々はこの提案に熱狂する
 もちろん僕も、そして周囲の人間も一度は「断捨離」にチャレンジしている
 必要なモノ以外は捨てましょう
 本当にその数のフライパンは必要ですか?
 その小説は必要な時に古本か電子書籍で購入したらどうですか?
 思い出は写真に撮って保存しましょう・・・
 ミニマリストという生き方もクローズアップされている
 狭い国土しかない日本で、その上住みやすい都会にはウサギ小屋と揶揄される住宅事情しかないのは当たり前
 そこに溢れるほどのモノを持って生きることはどう考えても無駄である
 そこにみんなが飛びついた「断捨離」
 僕は考える
 昔からあった整理整頓という言葉をブラッシュアップにしたに過ぎない
 本当に皆が求めていたモノは、しがらみだらけの人間関係の「断捨離」なのだ
 モノを捨てる勇気があれば人間関係も整理出来る
 そして「断捨離」を言い訳に出来ると
 21世紀は50年前からは考えられないような生活空間になっている
 スマートフォンにネット社会、リモートやら
 情報の伝達方法が変わってしまった
 そして人間関係もかなり変化している
 五里霧中で模索しているのではないか
 そう思うと僕には「断捨離」はまだまだ無理なよう
 最低限のモノで生きる良さがわからない
 だからといってモノに溢れている生活も嫌だ
 きちんと整理された部屋と面倒臭くない人間関係さえあれば幸せだ
(当たり前か)
 「断捨離」は魔法の言葉
 唱えるだけで素敵な生活になった気がするから
 必要なモノを必要とする理由と嫌なモノと訣別する勇気があれば「断捨離」は必要なくなるような気がする

四百字詰め5枚程度
 
 

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注文したわ

2022年02月11日 00時06分00秒 | Weblog
オムロン

上腕式

手首式は微妙らしいから



測ってやるわ!!


大丈夫かしら?
あたし

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