2011年9月27日(火)に開催されたCITEトークセッション2011「エンタテインメントの歴史と現在」に参加しました。
今年度は5回シリーズで開催され、その第2回目となる今回は、大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科教授、雑誌『上方芸能』編集代表の森西真弓氏がゲストスピーカーとして登場され、「エンタテインメントの歴史と現在」をテーマとした講演をされました。
(会場の様子)
森西教授は、放送や出版など幅広いメディアを通じて伝統芸能への案内役を務めておられ、著書には『上方芸能への招待』などがあります。また、文化庁文化審議会委員などを歴任されるとともに、1993年には「咲くやこの花賞」を受賞されています。
(今回のゲストスピーカー:森西教授)
伝統芸能とはなにかという解説にはじまり、大阪との関わりや現状と課題についてまで及んだ森西教授のお話は、次のようなものでした。(以下はお話の要約です)
森西教授のお話から、現在において伝統芸能と言われているものは、大阪にかかわりの深い魅力の一つであり、かつては娯楽として観覧したり、習ったりしていたエンタテインメントであることが良くわかりました。また、せっかくの魅力を活かすためにも、伝統芸能に向き合う際には肩の力を少し抜いて、自分なりに楽しむことが大切なのではと感じました。
伝統芸能にご興味のある方は、山本文楽堂や上方芸能ナイト、国立文楽劇場、文楽応援団のホームページをご覧の上、是非とも劇場に足を運んでみて下さい。
第3回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに同志社女子大学教授の影山貴彦氏をお迎えして、10月24日(月)に開催されます。テーマは「大阪のメディアエンタテインメント」です。
放送の現場で豊富な経験を積んだ後、大学教員としてメディア研究に携わるゲストスピーカーに、大阪のメディアエンタテインメントの特色や歴史を聞きます。同時に、まちづくりとは切っても切れない情報発信の側面から、在阪メディアの元気のなさや大阪イメージの偏りなどの課題を指摘してもらい、その中で今後、メディアエンタテインメントが目ざすべき方向性などについて共に考えます。
ご興味のある方は是非ご参加ください。
なお、参加費は無料ですが、事前にお申し込みが必要となりますのでお気を付けください。(定員は30名・先着順)
みなさまのお申し込みをお待ちしています。
日時:平成23年10月24日(月) 18:30~20:30
会場:i-spot<淀屋橋odona>
ゲストスピーカー:影山貴彦氏(同志社女子大学教授)
テーマ:「大阪のメディアエンタテインメント」
主催:CITEさろん/(財)大阪市都市工学情報センター共催
参加費:入場無料
定員:30名(要事前申込み・先着順)
参加者ならびに連絡先(電話またはメールアドレス)を明記の上、メール、電話、FAXのいずれかで下記までお申し込みください。
(Mail)cite-salon@osakacity.or.jp、(Tel)06-6949-1911、(Fax)06-6949-1925
詳細:「CITEトークセッション2011 第3回のお知らせ」
今年度は5回シリーズで開催され、その第2回目となる今回は、大阪樟蔭女子大学学芸学部国文学科教授、雑誌『上方芸能』編集代表の森西真弓氏がゲストスピーカーとして登場され、「エンタテインメントの歴史と現在」をテーマとした講演をされました。
(会場の様子)
森西教授は、放送や出版など幅広いメディアを通じて伝統芸能への案内役を務めておられ、著書には『上方芸能への招待』などがあります。また、文化庁文化審議会委員などを歴任されるとともに、1993年には「咲くやこの花賞」を受賞されています。
(今回のゲストスピーカー:森西教授)
伝統芸能とはなにかという解説にはじまり、大阪との関わりや現状と課題についてまで及んだ森西教授のお話は、次のようなものでした。(以下はお話の要約です)
・伝統芸能とは?
大阪において伝統芸能と呼ばれているものには、「能楽」、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」などがある。現在は伝統芸能と呼ばれているこれらのものも、生まれた時点ではそう呼ばれてはいなかった。
「能楽」は室町時代に生まれ、江戸時代までは現在でいう公務員にあたる人たちが従事していた芸能であったが、明治維新により大名につかえていた家元に当たる人たちが、いわばリストラされたことにより凋落していった。その後、家元に近い人たちが復興に向けて動き出すとともに、海外視察でオペラなどの文化サロンを体験した当時の知識層(元大名など)が、能楽による文化サロンをつくったことをきっかけに復興した。
「歌舞伎」や「文楽」などは江戸時代に生まれたが、自ら興行を行っていたため、明治維新の影響を受けることなく興行を続けることができた。しかし、主に時事を題材にした演劇を見せる新派と呼ばれる劇団が大阪で旗揚げし、人気を奪われたことなどから衰退が始まった。歌舞伎は新派の演目を取り入れるなどの取り組みを行うが、人気の回復に失敗し、明治40年頃以降は伝統を意識して純化していくことになる。
このように「能楽」は貴族的芸能であり、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」、は庶民の芸能であった。明治以降に新たな芸能が生まれたことなどにより衰退したものの、その後に復興を遂げたことから、昭和20年頃以降に文化として認識されるようになり、伝統芸能と呼ばれるようになった。
・大阪のまち・人との関わり
「能楽」については、豊臣秀吉が自分を主人公にした演目をつくらせている。豊臣家の没落後は上演されることもなくなったが、いくつかは再上演されている。また、大阪市内には能楽堂がいくつもある。
「歌舞伎」は、江戸幕府の始まった西暦1603年に京都で生まれたが、元禄(1688年)以降は大阪で盛んになり、道頓堀に歌舞伎座が5つあった。なお、歌舞伎で舞台転換のために使われる回り舞台は、大阪で発明されたもの。
「文楽」は約400年前に大阪で生まれ、大阪で育った芸能。道頓堀に当時の文楽を代表する竹本座があったほか、3大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』といった演目も大阪で生まれた。
「地歌・上方舞」は遊郭を中心に流行し、大阪の町人文化を代表する芸能であった。町人の娘は三味線や踊りを習ったりしていた。
このように、伝統芸能と大阪のまちや人との関わりは深く、まちおこしに活用できるのではないかと思う。
・近代化の影響、現状と課題
大正時代は、芸能の曲がり角とも呼べる時期であった。工業化が進み人々忙しくなるとともに、機械化が進んで映画、レコード、ラジオなどが登場したことから、かつて空間と時間を共有するものであった芸能は、家で楽しめるものへと変わって行った。このような流れに影響を受けて、文楽などの伝統芸能は衰退し、これに従事する人も少なくなるなど、産業として成り立たなくなってしまった。
現在の大阪では、伝統芸能を守るために民間の人が立ち上がり、様々な取り組みが行われている。大阪市中央区にある山本能楽堂では、毎月第1・第3土曜日に「上方伝統芸能ナイト」という伝統芸能になじみのない初心者でも気軽に楽しめるようなイベントを開催しているほか、文楽応援団という民間のボランティアグループにより、大阪市中央区にある国立文楽劇場での演目解説などが行われている。
芸能はライブで見ると良い。定期的な上演ができるようになると従事する人も増えるので、伝統芸能を守ることになる。伝統芸能にふれる機会は、増えているので是非活用して欲しい。
伝統芸能にふれるとなると、理解しなくてはという思いにとらわれて難しく考える人もいるが、歌舞伎役者の所作のカッコ良さや衣装の色彩の美しさといった視覚的な良さを感じることから始めても良いのでは?
物語を理解したくなれば、解説本や劇場でのイヤホンガイドなどの助けを借りることもできる。楽しみ方も様々なので、良いと思うところを見つけて、気軽に体験して欲しい。
大阪において伝統芸能と呼ばれているものには、「能楽」、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」などがある。現在は伝統芸能と呼ばれているこれらのものも、生まれた時点ではそう呼ばれてはいなかった。
「能楽」は室町時代に生まれ、江戸時代までは現在でいう公務員にあたる人たちが従事していた芸能であったが、明治維新により大名につかえていた家元に当たる人たちが、いわばリストラされたことにより凋落していった。その後、家元に近い人たちが復興に向けて動き出すとともに、海外視察でオペラなどの文化サロンを体験した当時の知識層(元大名など)が、能楽による文化サロンをつくったことをきっかけに復興した。
「歌舞伎」や「文楽」などは江戸時代に生まれたが、自ら興行を行っていたため、明治維新の影響を受けることなく興行を続けることができた。しかし、主に時事を題材にした演劇を見せる新派と呼ばれる劇団が大阪で旗揚げし、人気を奪われたことなどから衰退が始まった。歌舞伎は新派の演目を取り入れるなどの取り組みを行うが、人気の回復に失敗し、明治40年頃以降は伝統を意識して純化していくことになる。
このように「能楽」は貴族的芸能であり、「歌舞伎」、「文楽」、「地歌・上方舞」、は庶民の芸能であった。明治以降に新たな芸能が生まれたことなどにより衰退したものの、その後に復興を遂げたことから、昭和20年頃以降に文化として認識されるようになり、伝統芸能と呼ばれるようになった。
・大阪のまち・人との関わり
「能楽」については、豊臣秀吉が自分を主人公にした演目をつくらせている。豊臣家の没落後は上演されることもなくなったが、いくつかは再上演されている。また、大阪市内には能楽堂がいくつもある。
「歌舞伎」は、江戸幕府の始まった西暦1603年に京都で生まれたが、元禄(1688年)以降は大阪で盛んになり、道頓堀に歌舞伎座が5つあった。なお、歌舞伎で舞台転換のために使われる回り舞台は、大阪で発明されたもの。
「文楽」は約400年前に大阪で生まれ、大阪で育った芸能。道頓堀に当時の文楽を代表する竹本座があったほか、3大名作と呼ばれる『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』といった演目も大阪で生まれた。
「地歌・上方舞」は遊郭を中心に流行し、大阪の町人文化を代表する芸能であった。町人の娘は三味線や踊りを習ったりしていた。
このように、伝統芸能と大阪のまちや人との関わりは深く、まちおこしに活用できるのではないかと思う。
・近代化の影響、現状と課題
大正時代は、芸能の曲がり角とも呼べる時期であった。工業化が進み人々忙しくなるとともに、機械化が進んで映画、レコード、ラジオなどが登場したことから、かつて空間と時間を共有するものであった芸能は、家で楽しめるものへと変わって行った。このような流れに影響を受けて、文楽などの伝統芸能は衰退し、これに従事する人も少なくなるなど、産業として成り立たなくなってしまった。
現在の大阪では、伝統芸能を守るために民間の人が立ち上がり、様々な取り組みが行われている。大阪市中央区にある山本能楽堂では、毎月第1・第3土曜日に「上方伝統芸能ナイト」という伝統芸能になじみのない初心者でも気軽に楽しめるようなイベントを開催しているほか、文楽応援団という民間のボランティアグループにより、大阪市中央区にある国立文楽劇場での演目解説などが行われている。
芸能はライブで見ると良い。定期的な上演ができるようになると従事する人も増えるので、伝統芸能を守ることになる。伝統芸能にふれる機会は、増えているので是非活用して欲しい。
伝統芸能にふれるとなると、理解しなくてはという思いにとらわれて難しく考える人もいるが、歌舞伎役者の所作のカッコ良さや衣装の色彩の美しさといった視覚的な良さを感じることから始めても良いのでは?
物語を理解したくなれば、解説本や劇場でのイヤホンガイドなどの助けを借りることもできる。楽しみ方も様々なので、良いと思うところを見つけて、気軽に体験して欲しい。
森西教授のお話から、現在において伝統芸能と言われているものは、大阪にかかわりの深い魅力の一つであり、かつては娯楽として観覧したり、習ったりしていたエンタテインメントであることが良くわかりました。また、せっかくの魅力を活かすためにも、伝統芸能に向き合う際には肩の力を少し抜いて、自分なりに楽しむことが大切なのではと感じました。
伝統芸能にご興味のある方は、山本文楽堂や上方芸能ナイト、国立文楽劇場、文楽応援団のホームページをご覧の上、是非とも劇場に足を運んでみて下さい。
第3回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに同志社女子大学教授の影山貴彦氏をお迎えして、10月24日(月)に開催されます。テーマは「大阪のメディアエンタテインメント」です。
放送の現場で豊富な経験を積んだ後、大学教員としてメディア研究に携わるゲストスピーカーに、大阪のメディアエンタテインメントの特色や歴史を聞きます。同時に、まちづくりとは切っても切れない情報発信の側面から、在阪メディアの元気のなさや大阪イメージの偏りなどの課題を指摘してもらい、その中で今後、メディアエンタテインメントが目ざすべき方向性などについて共に考えます。
ご興味のある方は是非ご参加ください。
なお、参加費は無料ですが、事前にお申し込みが必要となりますのでお気を付けください。(定員は30名・先着順)
みなさまのお申し込みをお待ちしています。
CITEトークセッション「大阪とエンタテインメント」
◆第3回(5回シリーズ)◆
◆第3回(5回シリーズ)◆
日時:平成23年10月24日(月) 18:30~20:30
会場:i-spot<淀屋橋odona>
ゲストスピーカー:影山貴彦氏(同志社女子大学教授)
テーマ:「大阪のメディアエンタテインメント」
主催:CITEさろん/(財)大阪市都市工学情報センター共催
参加費:入場無料
定員:30名(要事前申込み・先着順)
参加者ならびに連絡先(電話またはメールアドレス)を明記の上、メール、電話、FAXのいずれかで下記までお申し込みください。
(Mail)cite-salon@osakacity.or.jp、(Tel)06-6949-1911、(Fax)06-6949-1925
詳細:「CITEトークセッション2011 第3回のお知らせ」