鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

夕方の4時前です。3時前に1時間ほどの昼寝から起きた。

2011-11-30 11:51:41 | 直言!
明日、画面構築をするジャーナリスト・ネットの「奈良おんな物語」の原稿をゆっくりと読んで見直して訂正をたくさんして画面構築をした。
やれやれ、1つの事が片付いた。
また取材交渉して次の準備をしていかないといけない。
とりあえず11月の原稿の構築は土曜日の後1回となった。
外はまた明日から寒くなると天気予報ではいっていた。
暑いのも苦手、寒いのも苦手です。

次の「奈良おんな物語」の名刺を出して連絡先をメモしていた。
明日、文書作成してFAX送信をしよう。日程の調整をしないといけない。
師走に入って忙しいが12月の掲載者は準備できているが1月はまだ準備していない。どうしても取材する人が奈良県北部に固まってしまう。
申し訳ないと思うが----。知人からの紹介、また私の知人など頭の中でめぐらしていると雑誌記者時代にお世話になった親しい人たちの名前が浮かんでくる。
あの頃は皆、若くてはつらつとして活動しておられた。
とても懐かしい人の顔が浮かんでくる。

もし-----。
もし今、奈良新聞で最後は総務局長で亡くなったMさんが生きていたら「こら。もっとちゃんと文書を書け」といわれるかもしれないが「こんな人がいいと思う」といって取材対象者も教えてくれただろう。
亡くなって10年、生きていればそれこそ還暦を迎えている。
それで1950年生まれで奈良県で活動する多くの人脈があったのかと今になってわかってくる。
音楽家の松本真理子さん。マリンバ奏者だが奈良県で有名、Mさんとも懇意にしていた。今、生きていればどこかの居酒屋で彼も入れて何人かで食べて飲んでいたかもしれない。今、私は夜の仕事はほとんどしなくなったので夜の外出、奈良市内だったら出て行こうという気がするのでJR奈良駅か近鉄奈良駅近くの居酒屋で食べてのんで話し込んでいたかもしれない。
私の40歳前後に彼らたちとよく行ったのが元興寺近くの界隈、昔、置屋だったところがしゃれた酒処になった「まんぎょく」、今もあるだろうか。
もう20年近く行っていない。
在日韓国人の新聞記者になって猛烈に忙しくなって道であっても挨拶程度になった。少し時間があると立ち話程度になった。生きていればと思うが----。あれが彼の寿命だったのか。
先日の奈良新聞の合同例会に出席していた同新聞社の幹部役員と少しだけ懇親会のときに話した。生きていればという言葉が私も彼からも出てきていた。
「仕事はきっちりした人」という言葉を関係者からよく聞くようになった。
今、彼の残した仕事が後輩に受け継がれてそれを話す同僚たち、頑固で意固地で「もう----」と思うことは何度もあったがやはり「憎めない人柄」だったことを同僚の話から感じ取った。
今ごろ天国で「俺、もっと生きたかった」という言葉が聞こえてきそうだ。
ある女性を追いかけて追いかけて------。
今だったら振り向いてもらっているだろうか。2人に縁がなかったのか---。
またそんなことを考えている。
もう4時半です。
夕食の支度をしないといけない。
ついまた亡くなった人の在りし日を思い出してしまった。
生きていれば「奈良マラソン」の現場が気になってカメラを持って奈良の町をウロウロしていたかもしれない。あまりにも亡くなるのが早すぎた。
もし----。と、そんなことを思っている。
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